たくさんの人がいる中で、自分の夢や希望みたいなものがチープに感じてしまう事がある。
価値あると思っているものは、本当に価値があるのだろうか。
そんな事を考えてしまう夜、結局辿り着くのは自分を信じるしかないという事実と、価値は相対的なものと絶対的なもの2つの意味合いがあるということ。
絶対的な自分の中での価値は揺らがないけれど、相対的な価値は他人がどれだけその価値を信じてくれるか、感じてくれるかという部分に依存する。
薄らいじゃったり、揺らいじゃったりしてしまうんだ。簡単に。
時々来る、寝起きのあの絶望的な気持ちや無力感に殺されそうになる。
人の心理は、こんなにもコロコロと変わってしまうものなんよなぁ。
だから一瞬一瞬に感動したり泣いたりして生きてたいな。
「生きる」ということは。。なんて、大げさな事をよく一人で考えてる。
この答えももう出ていて、「瞬間を味わい続けること」でしかない。
思いついた瞬間、どれだけ自分が幸福なのかということや、生かされているのかという事を感じ続けることが生きるということだ。
将来どうしようとか、そういうのはおまけでしかない。
どんな現実が今、目の前にあったとしてもそれを味わうというのが生きるということだ。
スマホを覗き込めば、無数の価値観があって吐きそうになる時がある。
まるで宇宙だ。
途方も無い。
きりもない。
一人きりの部屋で迷子になりそうな時間。
自分は何者で、どんな位置にいるんだろう。
宇宙空間を裸で漂う存在。
週末の渋谷のスクランブル交差点を歩いて自分に特別感を感じるのが難しいように、相対的な考え方では自分自身に特別感を感じるのは難しいのだろう。
きっと、誰もが自分は特別な存在だと信じたいはずなのに信じられないのはこの原理があると思う。
位置が分からなくなってしまうのは、相対的に考えているからなんだろうな。
北斗七星を見て北を探しているような感じ。
本当はそうじゃない。
一人ひとりが北斗七星なんだな。
相対的な位置を探るから迷うんだ。
自分自身が絶対的な位置にいると考えたなら、絶対的な存在でしかない。
自分が漂ったりさまよったりしているのではなく、自分の周りを景色が通り過ぎているという考え方。
自分は動いていない。
これ、時間の概念に似ているね。
時間は過ぎているのではなく、向こうからやってきているという考え方。
過去から未来に進んでいるのではなく、現在という地点に自分はずっと居て、未来がこちらに向かってやってきていて過去は後ろに通り過ぎていく。
車が前方からやってきている感じ。自分と交わった一瞬が、今。
通り過ぎた状態が過去。
この時間の概念、最初うまく理解出来なくてさ。
今はこうして理解できた。
この世界の捉え方だって千差万別なはずだ。
無数にいる人の事を想像して気持ち悪くなって吐きそうになってしまう夜は、絶対的な存在でしかないという事を思い出そう。
どれだけ未熟な自分でも、堂々と生きたらいい。
心無い人の言葉にビクビクする必要もない。
未熟さを受け入れ、それが現在の自分だと思えばそれ以上でもそれ以下でもない。
人に自分の考えを理解されようがされまいが、絶対的に心の中に存在する本当の感情をかき消す事は出来ない。
本当の気持ちはずっと持ち続ければいい。
大胆不敵に存在すればいい。
それを実現しているのが猫という存在だから、いつも愛しく思い尊敬してる。
猫は人間が怒っていてもあくびをする。
愛しい。
猫は矛盾を抱えながら受け入れている。
のんびりしたいけれど冒険したい。
撫でてもらいたいけれど恐い。
気になるけど近づいてほしくない。
など。
成功するか失敗するかで考えていないから、時々派手にやらかす。
その姿をたまらなく愛しく思う。
挑戦した事を誇りに思う。
人は、失敗=ダメ だと決めつけすぎてる。
失敗したからって死ぬわけじゃないし立ち直れない程のダメージを受けるわけでもないのに。
理解されないことや批判されることを苦しく思う。
俺の心の中にも少なからずあるけど、俺は失敗をする事でしか学べないので失敗前提でいくようにしてる。
人間は有機的な人工知能だと思ってる。
ディープラーニングするには、成功と失敗、どちらも必要でしょ。
その経験から生活の中の一つ一つの事を決めていってる。
人工知能と何も変わらないよ。
文明が違えば技術も違う。
きっと、有機的なものでパソコンのようなものを作る文明があってその流れで人間というものが有機的な感じで作られたのではないかと思う。
そもそも有機的か無機的かという振り分けも、人間が勝手に行ってるものなんだよなぁ。
概念でしかない。
全ては有機的なものなのかもしれない。
その存在からすれば、チープすぎるものとして無機的なものが位置づけられてたりね。
ありが人間を認識出来ないように、人間からも、その人間を人工知能として作り上げた存在を認識する事は出来ないのだと思う。
見えているのに認識出来ない。
そういう事は存在するよね。
太陽や宇宙空間が、たとえ巨大な動物の目であり俺らは相対的に見れば細胞どころじゃない小ささの存在の可能性だってあるわけで。
大きいとか小さいとかっていう概念も相対的なものでしかないしな。
きっと、人間が想像しうる事なんてたかが知れてるんだろうな。
それでも俺らは人間として小さな事に一喜一憂して生きて死んでいく。
その過程で、今を生きるということをしていなければ空洞のような人生になると思った。
明日に怯え、やりたい事もやらず生きる事は空洞のようなものだ。
甘えだっていいじゃん。
やりたいことならなんだっていい。
マウント取ってくるやつは無視で。
偏っていたり常識に当てはまっていなくても自分の本心が自分の人生の中で優先されるべきでしょ。
ここ最近、自分が思う価値についてずっと考えてる。
そして、好きな事にしか圧倒的な時間は使えないという事実とも向き合ってる。
俺は好きな事だけをやって生きていく人間なので、ローカルの活動とゲームの活動だけをやっていくべきだ。
好きな事は移り変わる事もあるし増えたり減ったりもする。
興味の輪の中で共通点を持った人達と快適にぐるぐる楽しんでいくという事が俺に出来る唯一の価値提供であり、共に楽しんでいくという価値しかあげられない。
10年以上前からずっとそうやって生活してきたよ。
楽しめる場所を作ってみんなで思い出を作って。
それしか出来ないし、それがやりたいなんだなって改めて思う。
だから俺は堂々と「これいいでしょ?」「価値あるでしょ?」「素敵でしょ?」と、本心で伝え続けるしかないんだな。
不器用なのでうまくは出来ないけど。
価値があると思ってくれた人がお金をくれて、支援してくれて生活をしていく。
現状考えつくのはそんな子供が思い描くようなチープな方法だけだ。
大好きな人達からお金をもらわなくたって、本当はね、楽しいしそれでいいと思っちゃうんだ。
お金がほしくてやってるわけじゃないからさ。
ただ、そう思ってやってきて今にいたるわけでしょ。
本当は10年以上前からもっとうまくやっていたならお金の悩みなんてなくなっていたかもしれない。
ちょっとずつでもいいから毎月助けてくれたなら俺の人生は激変する。
助けてと言えなかったよ、以前はね。
苦しくても全部抱え込んでさ。
だって、本当にお金なんてもらわなくてもみんながいてくれたらそれで良かったから。
今でも全く気持ちは変わってない。
でも、俺がもっと自由になれば受け取ったお金以上に楽しい時間や快適な場所を提供出来るし、俺は義務感を感じてやる仕事にはうんざりしてんだ。
やりたいからやる仕事だけをやりたい。
その為に協力してほしいと思ってる。
ゲームや撮影など、俺にとってはご褒美のような事が活動として広がっていき生活出来るようになったら素晴らしい。
ただ、その中で義務感を感じてしまうとパフォーマンスが落ちるので、あくまでも楽しみながら出来る方法でやりたい。
フリーランスになって、何度か好きな事でお金をもらえるようになったけれど、結局義務感を感じて好きだったものを嫌いになってしまう事があった。
あんなに楽しかったのに。
もうあんな思いはしたくない。
方法が間違ってた。
楽しさが最優先されるべきだった。
常識に縛られてた。
”ちゃんと”しようとしてた。
それ、いらなかった。
表面上ちゃんとしようとする事よりも、もっと深く関係性を築く事が大切だったんだな。
大切に思っている人達に損をさせようなんて全く思うわけないし。
貢献して喜んでもらえたなら幸いと思う気持ちの中で、”ちゃんと”しようとするか、”のびのび”しようとするかで結果がどちらがいいかなんて考えなくても分かる。
それを理解して”配慮ある依頼”をくれる友達がいる。
本当に嬉しいし優しい。
なんか、人として扱ってもらえてるなって。
価値観や判断基準など、あらゆる部分を任せてくれて、どんな結果になったとしても楽しんでくれる。
優しい。
依頼をする事で共通の思い出が増えていく感覚。
1年経った時に、「あの時はありがとう。」「こちらこそ。」となる。
素敵。
ポンコツで、どうにか社会と馴染もうと大人の顔をする事を覚えたけれど、やはりいつまで経っても本質は変わらなくて昔と変わらず義務感のような退屈でつまらない事は向いてないなぁ。
毎日全く違う日々を過ごしたいね。
お金をたくさんもらえても、退屈だと感じたら猫のように逃げ出したくなってしまう。
窓の外に見える世界に飛び出したくなってしまう。
この檻から飛び出そうと知識や技術を磨いてみたけど、オレ一人の力より協力してくれる数人の力の方がどう考えても強い。
だから俺は真っ直ぐに価値があると感じる事をやり続けるしかないんだな。
俺たちは誰もが絶対的な存在なのだとしたら、俺もお前もそのままでいいんだろう。
その上で自然に交われる人達で繋がっていけばいい。
コミュニティに属するなら、そのコミュニティの方針に従わなければならないけど、そもそも合わないコミュニティには参加する必要がないだろうし、合うコミュニティは楽しさを増やしてくれる。
ルールやマナーを守る事が嫌じゃないはずだ。
必要だからルールがあるわけで。
設定された背景を聞けば納得出来るはず。
無理なく構築された関係性は力を増幅させる。
所属するコミュニティにお金を使えば、自分自身がいる場所のインフラが整備されるという事をもっとイメージしてもらえるようにしていく必要もあるな。
お金をもらわなくても関わりたい人達からお金をもらうのは心苦しいけど、ここを通らなければ発展はない。
心を消耗していくと時間も労力も無駄になる。
理解を求めていこう。
少しずつの善意で回るコミュニティって絶対出来ると思うんだ。
お金の問題さえクリア出来ればフルスロットルで楽しみながらコミュニティを運営していけるし、思ったようにインフラを整備していける。
すでに毎月支援してくれている方々、ありがとう。
今まで支援してきてくれた方々もありがとう。
とても嬉しいし、役立っています。
今、仕事の量が減っているけど徹夜でましかく写真のサイトを作ってた。
お金がなくなると、こういうインフラ整備にマジで時間使えなくなるから。
ましかくフォトアルバムの試作品を業者に発注してましかく写真を入れるアルバムの良さげなやつを買ってみた。
こういう試行錯誤の時に圧倒的に時間とお金がかかってしまう。
見えない部分にばかりお金がかかるんよ。
そういう時に、手元にお金がないと躊躇して先に進めなかったりする。
今やってるのは、この先ジリ貧になってしまったらサイト作ったり試作品を作る余裕がなくなって時間とお金がなくてできなくなるかもしれないなと思って。
まだ体力が残っているうちにやっておいた。
平均的な仕事量的にジリ貧になるのは分かってる。
この期間に、活動の中でお金を生み出し続けられれば本当にいいのにと思って動いてる。
無理だったらまたクライアントを増やしてウェブライターの仕事を増やし活動の時間を減らす事になる。
出来れば避けたい。
俺がやるべき事はライターの仕事ではなく自分の活動なので。
やむを得ない場合はやる。
そうじゃない時はギリギリまであがく。
ミスってピンチになるかもしれん。
でもそうやっていかないと前に進まないから。
お金がないって、とてもやりづらい。
思うように進まないのがイライラする。
そんな時にFacebookグループに詐欺目的の外国人が入りまくって偽物の前澤さんのライブストリーミングばかりやろうとする。
消えて欲しい。
全て、事前に非承認にしているのでメンバーの目に触れることはないけれど、時間を奪われまくる。
集中力も途切れる。
みんなから見えない部分に時間を奪われてるという事は伝わりづらい。
なんか、頑張ってますアピールするのってダサいと思ってあまりやらないけど、何もやってないのに応援してくれって言ってると思われると応援されないような気がするから言っといたほうがいいのかな。笑
基本的なスタンスとしては、誰からも応援されなくてもやる。やりたい事しか活動に入れてないので。
でも応援してくれるとありがたい。という感じね。
応援ありきだと活動がストップしてしまう事もあるだろうし、なんか重いだろうしね。
うまく伝えられないなぁ。
もどかしい。
行動で示せてない気もしてる。
もっともっと伝えなきゃ。
快適で楽しい場所を作りたいよ。
っていうか、俺にはそれしかないしそれがやりたい事だから。
今日はギリギリまで試行錯誤する作業をやって明日は毎週恒例の徹夜で仕事だな。
自由な時間を生み出すにはこうするしかない。
そしてその自由な時間を活動の為に試行錯誤する事に使ってる。
活動=やりたい事である最大のメリットはここ。
義務感でやってないからお金にならない事もやりたいと思える。
こういう考えがいいか悪いかなんて分かんないし興味もない。
出来るだけジャッジせずにこうして出す。
ありのまま感じたこと。
いいも悪いもない。
誰もが絶対的な位置づけにいるのなら、俺も絶対的な位置づけから叫ぼう。


































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