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知らない人と心が通じ、訪ねてくれた。 | なおきち思考日記

ブログ

知らない人と心が通じ、訪ねてくれた。

誤字脱字も気にせず、文法がめちゃくちゃでも意味がわからなくったっていい。

このブログはそんなブログ。

一つだけ決めているのは、誰にも理解されなくていいから出来るだけ自分の中の奥にあるイメージを言語化すること。

出来ることなら言いたくない部分を、どこまで自分から自分の言葉で出せるかというチキンレースでもある。

感じたなら、鬱陶しいくらい何度も同じ事を書く。

もういいよ、それこの前聞いたよって思われても、何度だって書く。

ネット上に無数にいる細かい事を指摘してくるやつとは相性悪いね。

関わる人を決めているから、ある程度は問題ないと思ってる。

 

とことん自己中心的に書く事を決めているこのブログに、流れ着いた方から時々メッセージをもらう事がある。

コメント欄で、DMで、あらゆる形で。

誰にも理解されなくてもいいから書く。ということをコンセプトの一つにしているけど、やはり心のどこかで誰かに理解してもらいたくて、見つけてほしくて、共感してほしいのだと思う。

ただ、理解してもらう事をベースに書くと本当の気持ちを書けないから、まるで中学生のようにイキって「理解されなくてもいい!」なんて言ってんだろうな。

 

理解されなくて悲しいのは昔の名残り。

本来、人というのは理解されないと悲しく寂しく感じるものだ。

当然なんよな。

当然の事なのに、社会で馴染んでいくなかで強くあらなければならなかったので蓋をした。

 

このブログは原点回帰へのリハビリ。

ワガママでどうしようもなかった頃の自分へ戻るための旅。

分かり合えなかった人たちはいたけれど、振り返って思うのは、そんな自分でも愛してくれた人がいること。

どんなに最低な自分のことも、誰かしら見捨てずにいてくれたよ。

それってすごいこと。

 

俺なんか、ネット上でちょっと軽口叩かれただけで憤ってるのに。

ちっぽけ。

小さな存在。

そんな自分を、いつも笑って受け入れてくれる人がいたんだな。

 

生意気でどうしようもない俺みたいな存在にも、意味を作ってくれた。

人はみんな、自分が生きる意味を探し続けると思うんだけど、その半分以上は他者が作ってくれたり見出してくれるものなのかもしれない。

感覚値だと、7割か8割くらいは他者が作ってくれているように思う。

 

猫の存在が完璧だと思うのは、猫はありのまま存在しているだけで可愛がられ、あくびをしているだけで尊がられるから。

寝ても擦り寄っても離れても遊んでも、その全てに愛しさを感じてもらえる存在だから。

究極体。

猫は媚びない。

それでも愛される。

ということは、誰かにとって都合がいいから愛されるとか、メリットがあるから愛されるとか、そういうことではないのだと思う。

少なくとも、本人が意識している気配はない。

 

同時に、猫は可愛らしくなる事で生き延びた種族でもあるように思う。

進化の方向性が、人に愛される方向に向いたとしか考えられない場面がある。

例えば、猫撫で声。

あと、表情。

猫には人間が違いを判断出来るほどの顔の個性があると思う。

毛の色や柄の個性も面白い。

特別感がある。

動きもしなやか。

しゃなりしゃなりしてる。

意外性もある。

さっきまで寝てたかと思うと、次の瞬間には走り回ってる。

 

あと、猫は毎日遊んでもらってる遊具でも、まるで初めて見たかのように夢中になる。

驚き、追いかけ回し、捕まえようとする。

その全てが愛しい。

 

いつもベッタリではなく、いつも少し距離をとってるのに、急に自分のタイミングで擦り寄ってきたり、寝るときは決まってピッタリくっついてきたり。

そっけないようでいて、必要とされている感じがあるよね。

まるで、人の心理をベースにプログラムされたような生物だ。

 

猫の好きなところを挙げれば枚挙にいとまがない。

それくらい猫という存在にやられてる。

 

 

話を戻そう。

このブログは、猫が自分勝手に書いてるだけのようなブログ。

それでいい。

 

猫のように愛されるブログになったらすごくいいけど、そうならないだろうと思いながら書いてはいる。

昔から一部の人には刺さるようで、わざわざ感想を伝えてくれる人が時を経て今もいるというのはありがたい。

 

昨日、配信をしてたら「思考日記から来ました。」という人がいた。

好き勝手書くために、あまり活動とブログを結びつけてなかったのにも関わらず。

探してきてくれたんだ。

 

積極的に結びつけてはいないけど、頑張ればたどり着ける程度にしてる。

そのハードルを超えて来てくれるというのはすごいと思った。

 

いろんな話をした。

質問もされた。

人に興味を持ってもらえるというのは光栄なことだ。

 

俺は、このブログには辛いときや発想が思い浮かんだときや、インスピレーションが降ってきた時にペンを執る(キーボードを叩く)。

限界まで自由に書く。

文法や誤字脱字や脈絡に気を取られずに、ツラツラと書けるこの場所は心地が良い。

積極的に見ようとする人がいなければ見ることがない場所だからこそね。

たまたま内容が目に入ることがない。

でも、興味を持ってくれる人はアクセスが出来る。

そんな絶妙な場所。

 

見られる事を前提にしてないからいいんだろうな。

見られる可能性があるというのもちょうどいい。

書いても半分くらいは非公開にしてると思うので、書いて気が済む事もある。

書いているうちに落ち着きを取り戻したり、考えがまとまったり。

 

正直、過去に何を書いたかあまり覚えてない。

書いている時に、あ、これこの前書いたな。。まぁいいか。

みたいなことはいつも。

 

本当毎回同じ事しか書いていない気がするし、多分それは気の所為ではない。

でも感じたならこれからも何度だって書く。

自分の中で昇華されるまで。

書きまくって消化ししまくったら、どこかのタイミングで昇華する感覚がある。

 

過去の自分の寂しかった想いを供養してるのかもな。

”あの頃”の想いに寄り添い、自分自身で共感して、過去の自分の涙が止まったら自然と話題にあがらなくなるんだろうな。

なんか、文字にするとすごくさみしい人みたいだな。笑

まぁいいか。

 

共感を軸にコミュニティを作っていく。

そのことをよく意識する。

なんか、ご意見番みたいな位置づけでコミュニティに残ろうとする人っているけど、正直、鬱陶しいよ。笑

いらない。笑

 

もしかしたら、もっと歳を重ねたらそれを心からありがたいと思えるようになるのかもしれない。

だけど、今の俺はまだ未熟なんだろう。

未熟な段階では不要だよ。

経験が足りないのかもしれない。

必要とするその頃には誰も何も言ってくれなくなってるかもな。

それでもいい、覚悟する、だから今はいらない。

 

”今”を快適に生きられないその先に快適な未来なんて待ってね〜よ。

と、思う。

”あれこれ言いたい厨”は自分にとってマジ不要な存在なんよな。

 

きっと、俺はこれからも失敗して頭を打ちまくるのだと思う。

バカだからそんな方法でしか学べない。

失敗はするもの。

重要なのは転け方。

大した怪我じゃないなら自然治癒するじゃん。

だったら問題ないじゃん。

なんで自然治癒する怪我を恐がってチャレンジしないんだよ。笑

おかしいだろ。笑

と、思う。

 

いや、ゆうてもハードルの高さの感じ方なんて人それぞれ違うよね。

俺はお店の店員さんや他人に話しかけるのがありえないくらい苦手。

根明の人からすれば、まじで意味分からんと思う。

そういうもんだよね。

 

結論、チャレンジ出来る領域は人それぞれ違うので、チャレンジ出来る分野でとことんチャレンジしようということ。

頑張れることも人それぞれ違うので、頑張れない事を頑張ろうとするんじゃなくて、頑張れる事をとことん頑張ろうということ。

 

俺の一生のテーマだと思うんだけど、生活費を稼ぐのが苦手な人はどうしたらいいんかな。

これ難しい。

やりたくない事をやらない、頑張れない事を頑張れないで徹底しちゃうと、3ヶ月以内に余裕で生活は破綻すると思う。

やりたくなくても頑張れなくても生活費は稼がないといけない、これが自分の中の思考の課題。

 

ライターの仕事も得意だからやってるわけではないよ。

仕事として成立してるからやらせてもらってる。

 

一番好きなのはやっぱりゲームかな。

ゲーム実況での収入も、まだまだ微々たるものだけど生活費として無視出来ないくらいにはなってる。

今これがなくなったら痛いなぁくらい。

致命的ではないけど、他でこれ分カバーすると思うと憂鬱になる。

 

好きな事しか頑張れない人はほんとうどうしたらいいんだろうね。

「我慢する。」っていうのは一番安易な考え方だと思ってる。

残念ながら、生活費を稼ぐために我慢してる部分はある。

だから悔しい。

 

社会での正解と自分の中での正解が違う。

社会の中では嫌でも我慢して働くというのが正解でしょ。

それは理解してる。

ただ、その先に幸せないじゃん。

もっと幸せに近づく方法が絶対にある。

 

起きてから寝るまでハッピーなのがいいよ。

糸井重里さんが言ってた。

「仕事はご褒美」だと。

仕事をする事自体がご褒美だからやっちゃうよね〜的な。

 

まじでそれが理想。

それ究極。

それ好き。

目指すべきはそれ。

 

世の中に実現できてる人がいるのに諦める理由なんてないよ。

やってもないのに「やめたほうがいい、できっこない。」なんていうクソアドバイスするやつおるよね。笑

あれは笑う。笑

確かにあなたにはできっこないですよね。

ってなる。

 

それに、出来てない人からのアドバイスをなんで聞かないといけないんだよ。笑

アドバイスをしてきた人は、アドバイスどうりの考えで生きてきた結果、その仕上がりですよね?ってなる。

その人みたいになりたいと、思えるような相手以外のアドバイスってマジ意味なくない?

だって、アドバイス聞いたらその人みたいになっちゃうじゃん!笑

あんたになりたいんじゃないんだよwwwってなる。

っていうか、お前誰だよ!ってなる。

 

だから、やってもないのに無理とかいうやつの言葉聞かなくていいよ。

あと、やったけど無理だったっていう人の言葉も、そいつには無理でも自分なら出来ることもあるしな。

なんでお前以下だと勝手に思われてんだろwwってなる。笑

どんだけ人生極めた自信あるんだよ。

 

たとえば10年前だったら無理だったことも、今なら出来るみたいなこと結構あるからな。

時代は進み、技術は進化し、プラットフォームも充実してる。

諦めたやつは自分で可能性を0にしてる。

そんなことする意味ないのに。

虎視眈々と狙え。

今は無理でも未来はわかんないよ。

 

時々、自分の事を書いてるのに気づいたら誰かに向けて書いてる時がある。

あれなんなんだろうね。

過去の自分に向けて言ってるのか、未来の自分に言ってるのか、同じ事で悩んでいる人に向けていってるのか。

一ついえるのは、同じことで悩んでる人の成功を心から願ってる。

 

このモヤがかかる森を駆け抜けて、出口の先の光景を見れたなら、心から称賛する。

そして俺も負けじと目指す。

行き先は分かりにくくなってるけど、道筋は必ずある。

 

社会における自分と、本当の自分に乖離が生まれようとも、それは矛盾ではない。

生き延びるために必要な技術だ。

少なくとも必要なうちは。

 

もがき、あらがい、爪を立てながら生きる中で、こうして思考を言語化するのは、自分自身の思考整理だけではなく、心を言語化するのが得意ではない人の代弁者となりたいからなのかな。

心の中のイメージを言葉にするのは簡単なことではないけど、理解されなくていいという前提があれば意外と書けるものなんじゃないかと思う。

人が理解出来る形で形容出来るかどうかはわからない。

俺と同じ心の目を持っている人が、まるで暗号のような文章を受け取り、脳内で再生する事で見えるイメージが有るなら、それはそれでいいのだと思う。

 

言葉の意味そのものだけではない何かが伝わってきて、涙が流れる。

それが理想。

どうしてこれを見て涙が出るんだろう。

そんな感覚に陥ることが俺にはあるから。

 

風景だったり、人だったり文章だったり音楽だったり。

なんだか懐かしいような切ないような感覚。

言葉そのものの意味を超えて伝わるものが存在すると信じてる。

そういうことに価値を感じる。

 

俺が追い求める理想や価値は、お金になりにくいと思うし伝わりづらいものだと思うけど、人生レベルで大切な事が多いと自分では思ってる。

共感を軸にコミュニケーションが取れるコミュニティであったり、心の内面を直視して表現することであったり。

どれだけの人が理解してくれるかはわからないけど、理解してくれた人の存在が、自分に意味を生んでくれてるんだ。

ずっと探し続けた生きる意味や存在の意味みたいなものも、己の中にばかり探していたけど、案外体外の身近なところにあるのかもね。

 

そして、きっと総合的なことなんだろうとおもう。

それをイメージレベルで理解出来たとき、また一つ優しくなれる気がする。

 

今後も、理解してもらえないであろう心の奥を書き続けよう。

このブログに、意味を見出してくれて、意味を生んでくれてありがとう。

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