前回の記事を書いた日、色々あった。

あの後、仕事用の撮影に電動アシスト自転車で出かけた。

学生時代に運動部に入っていたこともあり、屋外での暑さには割と強い方だと思っていたんだけど、初めて熱中症っぽい症状が出た。

反省点は、家を出る前に意識して水分を取るべきだったことくらいか。

外は想像以上に熱く、気分が悪くなりそうだったので早めに自動販売機で水分補給をした。(炭酸飲料)

 

撮影を続けながら、まだ気分が優れなかったので商業施設に入って再び水分補給。(炭酸飲料)

この時点では涼しいところで十分な水分補給をすればすぐに治ると思っていたし、まだ余裕があった。

しっかり休んだが、撮影の撮れ高は十分だったので帰路についた。

帰路の途中でも少し撮影した。

食料品を買って帰ろうと思い、ドラッグストアに寄った時になんとなくマスクをつけてレジでお会計をしていたら、一気に気分が悪くなった。

自分が吐く息が熱いのを感じた。

これはまずい。。と思いながらなんとか帰宅。

 

エアコンをつけて横になろうと思ったが、その余裕すらなくお風呂に直行。

服を脱ぐのもしんどくてキツくてそのまま水を浴びようかと思ったが、それも嫌だったので脱いでお風呂へ。

真水のシャワーを体にかけるが、さすがに冷たすぎるので足元から徐々に慣れさせていく。

お湯でぬるくするという手もあったが、すぐに冷やしたかった。

 

立っているのもキツイので湯船のふちに座り、目を閉じ真水シャワーを浴びる。

思考力が落ちている中、こんなに冷たい水を一気にかぶったら逆に体に悪い可能性ないか??と思いながらも半分どうでもよくなってた。

足から徐々に真水を上半身に当てていく。

新しく当たる場所が冷やい。笑

 

なんとなく太ももの付け根や脇や首を冷やした方がいいような気がしたので、それがいいか分からないけどそうした。

頭のてっぺんまで水を当てることに成功したが、しばらく動けなかった。

目を閉じているのに目が回っているような感覚。

 

仮に意識を失ったら。。と考え、最悪、前に崩れ落ちるように。。と思ってた。笑

苦しかったので意識を失えるならそれはそれでありなんじゃ?と思った。(危ないか)

ちなみに、覚えている限りでは人生の中で睡眠以外で意識を失ったことはほぼないと思う。

 

だいぶ普通の状態に戻ってきたので、十分に水シャワーを浴びた後、冷蔵庫から水を抱えて部屋に入りエアコンをつけた。

なかなかドアが閉まらなくて、焦ってドンッ!と閉めたら小指の肉を挟んで内出血した。

けど、そんなことはどうでもいいくらい気分が悪かった。

まだ本調子じゃないらしい。

 

お風呂で座っている時は、もう身の置きどころがないような苦しさで、どんな体勢でも苦しくてキツかったけど、お風呂あがってからは横になれそうだったので横になった。

 

今回、キツかったのは電動アシスト自転車に乗っている最中に太ももの付け根などが筋肉痛になって攣りそうになっていたこと。

あれは水分が少なかったからなのか。。単純に運動不足というのはあると思うが。

 

日差しが強すぎて、体表の温度がかなりあがっていたんじゃないかと思う。

帽子は被っていたけど、帽子内部も暑かった。

1日でかなり日焼けして今でもヒリヒリしてる。

 

良かったことは、現在の自分の限界が分からないと思って早々に帰路についたこと。

限界を把握出来ていない時は、極力無難に行く。

何をするにしてもそう。

 

十分に体を冷やしたからか、本来なら横になってる時に足がつるレベルで疲れていたはずなのに、つらなかった。

ちゃんと冷やすことに効果があるんだと実感した。

その後、軽度の筋肉痛は来たが、熱中症っぽくなってる時の方がキツかった。

ーーーーーー

その日の夕方頃、状況が少し変わった。

具体的には書けないが、いい話か悪い話かと聞かれれば、いい話。

自分の限界を超えて結果を出せれば状況は改善するかもしれない。

中途半端にやれば、あまり意味がない。

 

今は不確定要素が多すぎる。

その不確定要素の上に生活が乗っかっている感じして、とても居心地が悪い。

今週は動きがあるので、それがいい方向に進むかどうか。

なんにしても、当分厳しい状況が続くことに変わりはないが。

 

手堅く生活費を稼ぐための仕事と、結果が出せれば報酬に繋がる仕事、後者のほうに力を入れたいが、バランスをミスれば詰む。

ーーーーー

ここまで書いて放置。

現在、7月14日。

体調は完全に戻った。

様々な想定をしていた中では、物事がいい方向に進んでいると思う。

 

やはり、感じていることはこうして書いたほうがいいのかな。

神様や龍の話は、自分の心の中にはいつもあって当たり前になっているけれど、わざわざ書くまでもないと思ってた。

自分自身、スピリチュアルにどっぷりというわけではなく、どちらかというと自分が感じたこと以外信じないし、信じているものが本当に存在しているのかどうかさえ分からない。

だけど、信じたいから信じる。

すがりたいという姿勢ではなく、そうありたいと思うが故。

 

だから物事がうまくいかなかったり望んだ通りにならなかった時、神様や龍のせいにはしない。

「あ〜、必要だったんだな。」

と思うようにしてる。

 

ピンチになんてなりたくないけど、そうならないと動けないことってある。

平時では絶対に選択しないこともある。

ピンチになっていくと、選択肢がどんどん狭まる。

急速に狭まるので、判断が遅れればあとからその選択はできなくなるかもしれない。

 

だから、選択できる時に選択しようと思う。

自分がピンチだと言ってる時は、大体、いきなり先方の都合で仕事切られたり、こちらの都合の場合は先方と折り合いが悪く一緒に仕事出来ないと判断すれば、こちらからお断りさせていただくこともある。

その場合もピンチにはなる。

つまり、何らかの理由で生活費が稼げなくなって、このまま行くと1ヶ月や2ヶ月で詰むかも。。と思った時にピンチと言ってる事が多い。

ーーーーー

自分の活動に力を入れるにも、生活がある程度安定していないと全く動けないね。

時間だけあっても先行きが見えなかったら何に時間を使っていいか判断が難しくて結局動けない。

何度もそんな経験をしてきた。

こういう時、何も出来ずに1日がすぎることがある。

何かやれば、何もやらないよりはいいはずなのに。

だから精神的に動けなくなってしまう人の気持ちがよく分かる。

苦しいよな、あれ。

ーーーーー

仕事はどれくらい量もらえるか分からないけど、少し目処が立ったかもしれん。

やらせてもらえることをやらせてもらう。

前回の記事を書いた後に生活のための仕事と自分の活動に関することが同時に少し進んだ。

そして熱中症っぽいので苦しんだ。

ちなみに、前回の記事を偶然目にした俺の事を嫌いな人が呪いや生霊を飛ばしてたら。。と思い、思いつく限りの人物の顔と名前を思い出し、生き霊飛ばしてたら倍返しになるようにと考えた。笑

念のためね。

それくらいキツかったから。

呪いや生き霊は誰が飛ばしているか特定できれば倍返しできるらしいよ。笑

本当かどうか分からんけど、そうだったらムカつくから可能性があるならこいつ!と心の中で刻んだ。

 

神様や龍がいるなら、その他の存在もいてもおかしくないということになると思うので、絶対にないと言い切るのではなく、もし存在するなら。。という視点で考えるようにしてる。

前回の記事を書くまで結構ピンチが続いていたのに、その日を境にして物事が進み始めてる。

もし、そういうのがあるのだとしたら、自分の直感が合っているとしたら、文章に書いて公開するのはいいことのような気がする。

 

ずっと守られている感覚があるというのは前回書いた通りなんだけど、自分の場合、「物を書く」ということにも力が存在していると思うんよ。

というのも、文章きっかけで再会した人が何人かいたり連絡が来るきっかけになったことがある。

 

思えば、仕事でもここ数年文章を書き続けているし、気持ちの整理をしたい時などにこうして文章を書く。

気付けば3時間くらい経ってることもある。

だけど、そんな駄文を公開して何になる。。と思ってそのまま公開せずに閉じることも多い。

この記事だってそうなりそうだった。

 

公開することに意味なんてないもんね。

わざわざ読みに来る人なんていないだろうし。

たまたまネットでこの記事を見つけた知らない人が、「こんな人もいるんだ。」くらいに思ってくれたらいい。

だから公開してもしなくてもどっちでもよくなっちゃう。

 

でも、書き始めはいつも公開するつもりなんよな。

自分の本当の価値は、心の奥底にあるものだとずっと信じている。

それを表現できるのが文章だから、文章が好きなのかもしれない。

 

自分が思う自分の価値が客観的な価値と一致しない時、なんだか寂しいし悲しい。

でも、そういうことはよくあると思う。

自意識過剰なところもおおいにあるからな。

大胆不敵でなければ、夢なんて見られないよ。

身の程を本当の意味で知っちゃったら、身動き取れないと思う。

だから、勘違いも時には必要だ。

 

死ぬまで夢は見ていたい。

形は変わっても。

自分の可能性に失望せず、なんだってやれると思っていたい。

自分次第だって。

 

やっぱ、弾けるように生きていたいな。

ーーーーー

そしてまた時が経ち、現在7月17日早朝。笑

ピンチピンチ言っといってその後の報告も兼ねてこの書きかけのやつは一応公開しとかないといけないと思った。

ちょうど先日連絡をくれた友人(というか恩人)に、近況を報告しとったんよ。

それで、その後どうなった?と連絡があって気にかけてくれてた。

 

ほぼ人付き合いをしていないので、自分の近況を知っている人はほぼいないと思う。

この友人はいつも

不思議なくらいタイミングがいい。

忙しい人なので、わざわざ俺の近況や状況をチェックしてるはずないと思うんだけど。笑

 

こういう「間がいい」人には神様がいると思ってる。

また感覚的な話だけど。

俺は結構、人を「雰囲気」で見てる。

その雰囲気はいくつかのパターンに分かれる。

この友人がまとっている雰囲気が神様っぽいと思ってる。

 

自分視点だから単純にそう見えてるのかもしれないけど、俺となんだかんだ長期にわたり関わり続けてくれてる人って、心がある人ばかりなんよな。

尊敬したい部分。

思いやる心、「大丈夫かな。」と心配する心って、当たり前じゃない。

すごく尊くて大切で有り難いもの。

忙しくなると誰もが忘れがちで、でももらうと嬉しいもの。

 

ピンチになってる時のフリーランスなんて、八方塞がりで恐怖のどん底にいるもの。

そこに指す光明は、まさに神。

 

ここ数日、何度も感じたことがある。どこかで聞いたことがある言葉のような気もするけど、努力したり前向きに取り組んでいる人に神様は機会をくれるのだということ。

前回、ブログを更新したあと、普段は土曜日に仕事の撮影に出かけることが多いんだけど、前倒しで行こうと思い行ったんよ。

で、熱中症っぽくなったわけなんだけど、これを乗り越えられたら何か変わる気がした。

熱中症を乗り越えられなかったらヤバいわけなんだけど。笑

それくらい、マジでキツかった。

 

あれは本当に熱中症だったんかなぁ。

ネガティブな何かの最後の足掻きだった可能性を捨てきれない。

 

あれ、重要なこと書いたっけ。

生活はなんとか良い方向には向かってる。

予断は許さない状況だけど。

 

生活に余裕がある状態を10だとして、ギリ生活は出来るか。。という状態が5だとして、今回のピンチの状態は1.5くらいまで行ってた気がする。

現在は3かな。

予断を許さない。

 

仕事が十分な量もらえれば生活は安定に向かっていく。

ピンチの時は、とりあえず生活を安定させないといけないので、仕事の単価なんて後回しで取ったりするよ。

言ってられないんでね。

あるだけありがたい。

 

でもそれだけではワーキングプアになるだけなので、その後のことは考えないといけない。

報酬を高く提示してくれるクライアントには大切にされていると感じるし、それくらい一緒に仕事したいと思ってくれてるんだと感じられる。

 

でも、ピンチの時は多少低くてもありがたいこともあるし、ケースバイケースだよな。

本当、今回のピンチは久々に血の気が引いた。

フリーランス法なんてものもあるけど、関係性を考えるとそれを持ち出すのって最終手段にはなるよな。笑

よっぽどじゃないとさ。

 ーーーーー

7/20

そしてまた時が経った。笑

読み返すのはめんどくさいので、今感じていることを追記。

自分が関わらせていただきたいと感じられる人には、自分と似ている部分が多いことに気がつく。

そのうえで、自分より結果を出していたり尊敬できる部分が多かったり。

「なんでこんなにすごいんだ!」と思う。

 

自分が逆立ちしても無理なことをやってのけてるので、自然に尊敬できるんよな。

それはビジネス関係の場合もあるけど、生き方としてもそう。

素朴な幸せを大切にしている友人も素敵だと思うし、俺と興味関心がかなり似通っている友人が、俺が興味を持っているジャンルで結果を出していることも本当にすごいと思う。

尊敬できる部分は違えど、根本はなんだか似てる気がする。

本当優しくて思いやりがあって。

そういうのすごく好きなんよなぁ。

別に友人たちは綺麗事で生きているわけではないし、俺にいい面だけを見せないといけないという関係性でもない。

だから、俺が見ている友人の素敵な面は、本当にそうなんだと思う。

 

自分の体調を崩しながらも困っている人を助ける仕事をしている友人もいる。

昔からそういう人だった。

 

というか、「友人」というくくりでは語れない関係性だと思ってる。

友人って書きながらも、なんか違和感があって。

世間一般の言葉として一番近い気がするからそう書いているけれど、友人という枠組みでは何か足りない。

もっと尊敬とか好意とかずっと関わらせてもらいたいとか、関わってくれてありがとうとか気にかけてくれてありがとうとか、そういうの全部ひっくるめた言葉があればいいのに。

関係性に関する言葉って少なすぎるよな。笑

 

友人より「精神的な家族」みたいなニュアンスに近い気がする。

慌てて連絡しなくても、たとえ何年連絡していなくても、不意に連絡したら普通にいつも通りいてくれそうな感じがする人。

逆に、何年連絡なくても急に連絡が来て、まるで半月ぶりくらいの感じで連絡を返せると思える人。

 

そこには、いい意味で「きっといつも通りなんだろうな。(深い部分は)変わってないんだろうな。」と思えるからなんだと思う。

それくらい精神的に成熟している部分があったり芯がある感じがする。

根っこの部分が成熟しているというか、なんか安心感があるんよな。

 

貧乏になっても金持ちになっても、そういうとこで見ていないから全く関係性は変わらないんだろうなと思える。

そういうのって、やっぱ安心感あるよな。

良い時期に人が寄ってくるのは当たり前で、人が集まってる時に更に人が集まってくるのも当たり前で、そういう時期の人間関係ってよくわからない。

言葉ではいいこと言ってくるもんな。

でも、今どれだけの人と関わっているかを見れば分かる。

 

俺は、俺が大切に思っている人達がいつも幸せでいてくれたらそれでいいんよ。

悪意を向けられず、いつも快適にいてくれたならそれがすごく嬉しい。

こう思える気持ちも、友人の姿勢を見て育んでいただいたと思ってる。

 

もともと、どうしようもない人間だからな。笑

自然にこんなふうに思えるようになったこと自体に感謝することがよくある。

それでも、まだまだ悪いところはたくさんあるよ。

基本的には悪い部分も自分の中にあることを認め、その自分と一緒に歩いていくことにしてる。

いくら瞬間的に消そうとしても意味がないからね。

他人は誤魔化せても、自分が自分を騙すことなんて出来ないから。

 

極力大きく見せない。

欠陥だらけの人間だよ。と言いながら、それでも関わってくれる少数の人達を大切にする。

 

「僕」は、何者でもなくてもいいんだ。

それが根底にあるうえで、土台にあるうえで、何者かになりたいし、何者かであると今でも信じてる。

 

野良猫のように生きていく中で、真っ直ぐ前を睨むカッコいい野良猫でありたい。

見た目がボロボロだろうと、お腹が空こうと、睨んだ目の奥にある炎が消えていないような。

「自分らしく生きる。」ただそれだけのことを実現するのが難しい。

 

お金や一般的な幸せをかなぐり捨ててまでやり遂げたいと願ったことは、選択の余地すらない不器用な自分が唯一目指せる光なんよな。

一般的な人が幸せだと感じられることを幸せだと感じられなかったらどうしたらいい?

幸せであるはずのことが窮屈だと感じてしまったなら?

分かってる。後から気付く幸せもある。

その時は退屈でも面白くなくても、何の味もしなくても、その全てが幸せだったのだと。

 

でも自分みたいな人間は、今、その瞬間に感じられなければやはりなかなか価値を感じにくいんだ。

想像力が足りていないから。

瞬間瞬間の幸せを積み重ねることでしか、無理なんだ。

 

たとえ自分が思う理想の幸せを掴むために不幸になったとしても、チャレンジせずにはいられない。

チャレンジしないこと自体が、もう自分にとっての不幸だから。

多くのものを犠牲にして、多くのものを垂れ流しながら失い続けながらやっていくしかないんだな。

 

きっと僕は、強引に一般的な幸せという名の檻に自分自身を閉じ込めてしまったなら、その幸せに関連する人達を不幸にするだろう。

たくさん傷つけ自分も傷つき空中崩壊し、離散し、何も残らないだろう。 

その未来がありありと見えてしまうんだ。

 

どれだけ大切に思う人や好きな人でも、距離感が近すぎると良くないということを人生の中で学んだ。

悲しいくらい大切さを忘れてしまう。

喧嘩ばかりになってしまうことが悲しい。

 

少し物足りないくらいの距離感だと、愛しさを実感できる。

そういうものなんだな。

 

きっと、みんながみんなそうじゃないんだろうけど、そういう人も世の中にはいるんよ。

自分みたいな距離感の人間にとっては、誰が相手でも「一つ屋根の下」では近すぎるんじゃないかと思ってる。

誰の目も気にせずありのままいられる時間は大切だし、その時間があるから人にも優しくなれると思う。

 

もともとがクズみたいな人間性だからなおさらね。笑

関わる人のためにも、俺は自分のペースと距離感を守るべきだ。

自分の至らなさのせいで、大切に思う人達に不快な思いをさせるのはよくない。

大切に思える人達、大好きな人達至上主義なので。笑

 

誰と接する時も、最低限「皮」をかぶってるから、その薄い一枚の皮を脱げるのは自分一人の時だけなんだろうな。

意識してかぶってる時もあれば、無意識の時もある。

だから無意識のうちに発生してる緊張感も解放してあげないと。

そういう意味では自分に優しくすることも大切にしているのかもしれない。

ーーーーーー

この辺で終わっとこうかな。

きりがない。