ざっくらばんに思いつくままに書いておこ。

直近、ここ数年の中でなかなか上位なピンチを迎えてる。

先月メインのクライアントの都合で仕事量が減った。

正直焦ったが、お世話になってるしごねるつもりもなく承諾した。

しかし、内心、困ったなぁ。。でもどうにかなるか。と思ってた。

 

そして今、割とどうにもなってないという。

先月いっぱいでそのクライアントとの仕事は終了したが、先月末くらいには少量の仕事を請けていたのでその間にどうにかすればいいかと思ってた。

ちょうど別件で力を入れたいことがあったので、むしろちょうどいいと思ってたんだけどね。

今までそんな感じでのらりくらいやってこれてたけど、この1,2年で状況は変わっている気がする。

 

まだ来週から少し具体的な望みがあるので、それに賭けようと思うがどうなることやら。

最悪、駄目だった場合に備えておかないと。。

仕事関係のことは、ぼやかしながら話すの難しいね。

 

この機に、自分にとってどういう働き方なら幸せなのか改めて考えてみたよ。

基本的に自分は自分の気持ちしか分からない。

相手の気持ちは想像することしかできない。

今までの経験や「一般的にどうか」を照らし合わせて判断する。

ほとんどのことは問題ないが、時々外すので重要な場面では不安になる。

 

仕事をさせてもらう時、基本的に我は必要ないと思ってる。

経験上、多くの場合、邪魔だったから。

 

でも、本当は自分の判断が必要な仕事をしたい。

それらは自分の活動の中でやればいいと思ってる。

生活のための仕事には、本心は重すぎる。

 

それが社会で生きていくことだと言い聞かせながら、ありがたくお仕事をいただく。

それが真摯に向き合っていると言えるのかは視点によると思うが、少なくとも自分にとってはこの形しかない。

 

この枠を飛び出し、自分の判断において自分の価値観を大切にしながら仕事をしたいというのが本当の気持ち。

昔、好きなことの一部を仕事に出来たことがあった。

自分はこれがいい!と思って提案しても、相手の「こっちがいい!」と合わなかった。

お仕事だから仕方がない。そう言い聞かせて、自分の中でのベストではないものを仕上げた。

 

違和感を感じた。

おもしろくなかった。

絶対こっちのほうがいいのに。。

 

でも、仕事とはそういうものだ。

その時の自分は言い聞かせるしかなかった。

そして、好きだったはずのものが見るのも嫌になった。

 

こういうことって、自分と同じタイプの人間が必ず経験することだと思う。

すごく寂しくて悲しい。

でもそれが現実。

 

自分の「良い」を貫けないのなら。。と、最初から自分の「良い」を意識して持たなくなっていく。

だって、邪魔でしか無いから。

求められていないから。

 

こうして、本当にやりたいことは自分の活動の中でやり、生活のためのお金を稼ぐための仕事には我を持たないようにしていった。

 

弾けるように生きていたい。

全力疾走するように仕事したい。

その形は、いまだ形を成さないまま。

 

現在、自分が思う理想に近い形はYouTubeで結果を出すこと。

TikTokでもXでもInstagramでもなんでもいい。

自分がやりたいようにやって結果を出すことでしか幸せにはなれない。

 

誰の指示も必要とせず、我を通していい場所。

クライアントという形で関わってしまえば、やはり言うことを聞かないといけなくなるから。

分かってる。仕事でお金をもらうってそういうことだから。

 

うまくいくであろう方法と自分がやりたいことが違ったならどうすればいい?

結局、型にはめて数字だけ追い求めてしまえば、我を出さず仕事することと何も変わらない。

 

この10年くらい、自分の好きなことを思うようにやったらどうなるだろうと思ってやってみた。

思ったより結果は出なかったけど、「これくらいか。」という感覚は掴めた。

YouTubeのショート動画で頑張って月間100万再生いけるかどうかくらい。

これが現在の自分の実力。

直近は70万再生くらいか。

でも、ショート動画はびっくりするくらい本当お金にならない。

一応、これ毎回書いておかないと勘違いする人もいるだろうから。

ちなみに、通常動画で月間100万回とか回るならそれだけで食べていけると思うよ。

ショート動画の100万回とはぜんぜん違う。

 

チャンネル登録者数は先月だったかな、7000人超えた。

昨今、有名チャンネルでも登録者数の伸びが鈍化するどころかマイナスに転じるのも珍しくないことを考えると、まだ救いはあるか。

直近1ヶ月で70人くらい増えてたかな。

ここ数ヶ月は同じくらいで伸びてるんじゃないかな。

 

ショート動画は内容によって再生回数が安定するものと登録者数が伸びやすいものがあると思った。

必ずしも、再生回数が安定してとれるからといって登録者数が伸びるとは限らない。

そこも面白いところ。

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来週から始まる日々には正直ビビってる。

生活が不安定な中、少し自己投資することになってるから。

怪しいことじゃないよ。

仕事に必須だからやるっていうだけで。

そして、その自己投資はこれから自分みたいなフリーランスにとって必須になるかもしれないとも思ってる。

スクールとかにお金を払うっていう話じゃなくて、必要なサブスクに手を出してみるって感じね。

 

たとえるなら、動画編集をガチで仕事にしたい人がプレミアプロに登録するみたいな感じ。

仕事に必要だから登録するし、仕事にする以上ずっと払い続けなければならないもの。

もし、形になったらまた書くかも。

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人の言葉の「本意」には注意してる。

優しく丁寧な言葉でも、相手を大切にしていなかったりズルい考えが見え隠れすることもある。

多分、本人が思ってる以上にそういうのって透けて見えてしまうんだと思う。

自分みたいな状況から相手の気持ちを推測する人間にとっては特に。

そのうえで、どうするかは自分次第だ。

 

利用しようとしてくる人に対しては、こちらも利用してやればいいという考えを持って。。いいのかな。。

でもそれ以上に関わる理由ってなくなっちゃうよな。

 

こちらの事を雑に扱う人とは関わらないようにしてる。

知り合いにそういう雰囲気を感じたら距離をとる。

仕事相手の場合は状況によるかな。

生活が安定しているならこちらから契約を終了することもある。

実際に過去にもあった。

 

なめてる人って、何やっても怒らないとか反撃されないって思っとるんよな。

そして一番怒らせてはいけない人を怒らせる。

普段怒らない人は感情がないのではなくて、できるだけ丁寧に関わろうとしてるだけなのに。

 

なめられると相手をモンスターに変えてしまうこともあるので、気をつけたほうがいいよね。

ある時期からなめられやすくなったと実感してる。

相手の気持ちを尊重するようになってからだ。

人間的には少し成長したのかもしれないけれど、やはり良くないなぁと思う。

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気のせいかもしれないけどちょっと恐い話を書いておく。

何回か書こうと思ってやめてた話。

本当に気のせいの可能性も十分にあるので話半分で読んでくれたら。

 

昔から、何かに守られている感覚がずっとある。

とある人に「あなたには神様がついてる。そして私はあなたの事(その神様)が恐い。」と言われたことがある。

その神様が強すぎて恐いと。

 

自意識過剰かもしれないがこれには心当たりがあり、自分のことをなめてた人や陰口を言ってた人達がことごとく不幸になっていったことがある。それも何度も。

もちろん、自分は手を下していないので、たまたまタイミングが重なった可能性もある。

手伝ってくれと言われて手伝っていたお店や活動が、自分が関わらなくなった途端に売上が下がったり集客ができなくなったり、縁が切れた人が体調不良になったり。

一度だけなら気のせいかと思うけど、これが何度もあった。

 

その共通点は俺に協力を求めておいて感謝の気持ちも持たず、こちらに害を与えた人達。

こういうことってあるのかな。

一方、関わりが薄くなっても俺が感謝し続けている人達は事業がうまくいってたり幸せそうにしてるのを見かける。

とても良かったと思うし、「あの時はありがとう。」と今でも心から思う。

 

この現象ってなんなのかなと考えてみた。

一つは、完全に気のせいであり勘違いという説。

もちろん、ありうる。

 

気のせいじゃないとしたら。。俺は昔から女性に守られている感覚があって、その元を辿ると女性が多い家系に生まれているからかもしれないと思った。

知ってる親戚のほとんどが女性であり、子どもの頃から女性が多い環境で育った。

おとなになってからも、お世話になった人の顔を思い浮かべるとほとんどが女性。

 

足を引っ張ってきたり陰口言ってるやつの大半は男性。

神という存在が自分の中にいるのなら、それは龍か女性だと思ってる。

もしくは両方。

 

結構前に書いたけど龍の存在はあなどれなくて、ある日、TSUTAYAで立ち読みした本に龍のことが書かれていて、その帰り道に「このピンチを乗り切らせてくれたら、存在を信じます!」と心の中で誓った。

その月のうちにフリーランスになって一番売上上がったんよ。

ピンチでヒーヒー言っていたのによ?

そんなことありえるんかな。

その時の誓いを守り、信じるようになった。

 

自分が長年関わっている数少ない友人たちはいつも幸せそうで親切で、思いやりを持っていて素晴らしいよ。

眼の前の人の幸せを自分の幸せとして実感してるという共通点を持ってる。

そういうのって、すごく素敵。

誰かの幸せな姿を見て幸せになってる友人を見て、俺が幸せになってる。笑

 

きっと、自分と相手の境界線が曖昧になっていくんだ。

相手の喜びを自分の喜びとして感じられるってすごいし、いい人生だよね。

そういう人が関わってくれるから嬉しい。

 

無駄に不快になることもないし、悪意で不要な苛立ちを感じることもない。

悪意を持ってる人と関わり続けるのは自傷行為に近いと思ってる。

離れれば現実が見えるよね。

どれだけ自分が大切にされていなかったかということに。

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昔から、「想いが強い」という自覚がある。

達成したいことやハマっていることがあれば、そればかりやり続けたい。

こだわりが強い。

人に関しても、相手がどれだけ素晴らしいか語れるし、固有の存在だと感じる。

 

昔はネガティブな感情を持ち続けることも多かった。

今は、そもそもネガティブな感情になる要素自体を排除してる。

それでも許せない人物はいる。

10年も20年も前だろうと、憎悪の気持ちって変わらないんだなぁ。

普段、意識することはない。

こだわりたいわけじゃないから。

それに、嫌いな人の事を考え続けるのって損だもんね。

 

でも、恐いのは無意識の段階ではやはり存在し続けていて、顕在意識で感じていなくてもずっと嫌いなままということ。

足を引っ張ったり変な妬みを持ってきたり、そういうやつ(大半が男)はやはり顔も合わせたくない。

その無意識の段階での念が強すぎることによって、なんらかの力が発動して相手を不幸にしているのではないか。。そんなことまで考えてしまう。

 

特に、繰り返しになるけど、向こうから協力してくれと言ってきたにも関わらず、こちらはその当時持ちうる全てを使って協力したのに、貶めたり陰口を言ったり乗っ取ろうとしてきたり、そうやって俺を孤立しようと動いた人のことはどうやっても許せなくてね。

別に呪ってやろうみたいな気持ちはないんだけど、勝手に何かしらかの力が発動してるんじゃないかというのは定期的に思う。

自分の意思で呪ってやりたいとか貶めてやりたいって思ってるわけじゃなく、何らかの力が勝手に発動してるだけなんだとしたら、そもそも呪いじゃないから呪い返しみたいなこともないだろうしな。

力が返ったとしても俺の横を通り、後ろらへんにいくんかな。

 

俺がそういう人物に対しても極力悪意を持たないようにしているからこその力なんだとしたらすごい。

想いが強いというのは、時に恐いよな。

生き霊とかもそうやって発生するんだろうし。

意識してないっていうもんな、あれも。

そんな言葉が世間一般で認知されているくらいだから、本当にあるんかもなぁと思う。

 

俺は自分が好きな人はめちゃくちゃ幸せになってもらいたいって思うし、悪意を持って攻撃してくる人のことは知らん。そこまで心が広くもないし、考える必要もないと思ってる。

女性に対しては、全般的に幸せになってもらいたいと思ってる。

俺自身が傷つけてしまうこともあるだろうけど、根本ではそう思ってる。

よっぽどひどい人の場合は、女性であってもそう思えないこともあるけど。

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想いが強いことによって、シンクロニシティと呼ばれるようなことを何度も引き寄せてきた。

絶対に普通ありえないだろうみたいな、マンガみたいな話が何度もある。

俺の転換期に手を貸してくれた人には特に幸せになってほしい。

頻繁に連絡を取らなくても、いまでも幸せを願っている人がいる。

素晴らしい時間をくれたから。

助けてくれたから。

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今回のピンチは乗り切れるんだろうか。

結構笑えない状況になってきてるけど、とりあえず来週以降の様子を見てみる。

自分らしく生きていける方法を引き続き模索する。