構成も文章の正しさも脈絡も何もかも気にせず書くのが好きだ。

本来はそんな適当な人間なんよな。

できるだけカッコつけない。

ダメなところも出す。

それがこの自分のホームページでのブログ。

 

極力チカラを入れずにありのまま書くのがいい。

ライターとしては微妙かもしれないけどどうでもいいよ。

誤字があってもいい、変な表現でもいい、それが本来の自分だから。

 

仕事では”ちゃんと”やらないといけない分、ありのままの自分で居ていい場所は確保すべき。

どんな自分だって許容できるのは自分自身しかいないでしょ、きっと。

誰かにガッカリされたり尊敬されたり、結構勝手じゃん。

知らね〜よっていうのが本当のとこ。

 

確かに良い面を見せることもあるかもしれないけど、誰にだって良い面なんてあるじゃん。笑

その面を見せたら人をガッカリさせる可能性を生む。

これを防ぐには良い面を見せないようにするしかない。

確かにガッカリさせることは減るかも知れないけど、面白いの?それ。

 

たくさんの人をガッカリさせてきたことがあると思うんだ。

どの時代も、自分なりにやってきた。

それこそアクションを起こさなければ誰かをガッカリさせることすらないんよな。

 

何もせず「ガッカリした。」とだけ人に言葉をぶつける人にだけはなりたくないと強く思った。

だって誰でも言えるじゃん。そんなの。

安全なとこから適当に言葉を投げればいいんでしょ。

 

チャレンジしてる人はたくさん失敗する。

何度も挑戦した中でやっと一つ手応えを見つけるんよ。

 

これをやる!と決めて公言したら、一生やらないと文句言われることもあるよね。

一つのことを一生やり続けるような時代ではないと思うよ。笑

それに手応えがないと思ってもやり続けないといけない、飽きてもやり続けないといけない、そんなことを他人に強要されるのなんて最悪だよね。

まさに、知らね〜よ。じゃん。

 

試行錯誤していいんだ。

今、思っていることを表現してもいいんだ。

そのことによって、人が離れていったとしてもいいんだ。。きっと。

 

望まないけど、アクションを起こせば誰かと距離が縮まり誰かと距離が離れるよ。

自分の価値観や世界観を明確にするということだから。

その中で自分が軸となってやっていくことになる。

 

この世界や社会を気に入ろうが気に入らまいが生きていくように、誰もが自分の中に世界を持っていてその中で生きていくことになるんだ。

自分が思い描く世界観や、自分が所有する世界が誰かの答えやヒントになることだってある。

逆もまた然り。

 

宇宙に存在する一つ一つの惑星のように、それぞれが独立していて世界観という銀河の中にいて魅力という重力に引き寄せられるんだろうな。

個別の惑星、その中に世界がある。

似てないといけないとか個性的であったらいけないなんてことはないじゃん。

それが好きか嫌いかだけが存在していて、嫌いだと言われても自分がそれが好きなら合わせる必要すらないわけで。

 

そんなふうに、個々が自分の世界を生きていれば誰かのせいにしたりネチネチ陰湿なことをネット上でやるやつなんていない気がするんだけど。

自分の世界を見失ってるからそんなことに時間を使ってしまうんだろうな。

人は世界観で繋がれるよ。

特に今の時代は。

 

バカにされたって否定されたってダサいと言われたって自分が好きな世界を表現できたなら。

自分が良いと思ったものを強く信じられたなら、きっとそこに人は集まる。

今まで色々やってきたけど、全く誰も人が集まらないなんてことは一度もなかったと思う。

 

大規模なことができることもあればそうじゃないこともあるし、上手くいくときもあればいかないときもあるけど。

それでも、人見知りでどうしようもない俺の近くにいつも興味を持って近づいてきてくれる人達がいた。

自分から話しかけられないなら話しかけられるような人になろうと子どもの頃から決めてる。

 

そしたら自分自身が魅力的じゃなければダメじゃん。

一部で尖るということでもいい。

誰かの感情が動き行動を誘発する。

これが実現できていなかったら俺は誰とも関われていないと思う。

 

本当に俺から話しかけたりアプローチをするのは少ないから。

 

 

 

いつもダラダラ書いてオチが思い浮かばず何度も記事を非公開にしてる。

だから満足したらバツっと切って終わろう。

オチなんかいらん。

どこまでも自己満足でいい。

 

どうやっても、合う人とは関わることになるから。

どこまでもわがままにいこう。

これからも。

自然体の自分で関われる人と関わり自分の中にある世界の解像度をあげる。