自分が何に属しているのか。
組織だけじゃなく、思想やテイストなど。
そのすべてのアイデンティティを叫べ。
俺がブログを書く時って、強く心の中に言葉が浮かんだり感情が揺れたりした時。
今日は、好きなテイストを叫べと心が言っているので書くことにした。
ここ数日、自分の「好き」が繋がっていってる。
なんとなくAyaBambiさんや東京ゲゲゲイさんが気になり、あんなにも突き抜けて個性的で独自の世界観を持っているって素敵だしすごいなぁと思ってた。
さっき、久々に椎名林檎さんのMVを見たら、あやさんとミッキーさんが椎名林檎さんの曲で踊っているのを見た。
以前見たことがあり、インパクトが有る二人だったので、偶然別々気になった存在が椎名林檎さんの曲で繋がった事にびっくりした。
興味はリンクする。
そして好きなテイストもリンクしていく。
現代は本当に素晴らしい世界だ。
自分の好きな世界。
ネットがあってよかった。
ほんとうにほんとうに。
見えない場所で、きっと日々、残酷な出来事は起き続けている。
それらを肯定するのではなく、あくまでも俺視点の俺が見えている世界だけの話なのだけれど。
俺個人が日々、幸せを感じているという、ありんこのように小さい話。
昔は、それでは駄目だと思っていた。
俺だけが幸せでいいなんて今も思ってはいないけど、少なくとも幸せが溢れ出した人じゃないと幸せをおすそ分けするなんて出来ないよ。
溢れ出ていなければ自己犠牲になっちゃうでしょ。
本人も対象人物もどちらも幸せがいいよ。
過去には、そんなふうに出来なかったこともあるよ。
ごめんね。
心ではいつもこんなふうに思っているけど、言葉と行動が伴わない事もあると思うんだ。
本心で思っているのに未熟な部分もあるからなぁ。
でもそれは矛盾しているというよりも、きっとどちらも本心なんだろうな。
人を大切に出来ない自分も、大切にしたいと思う自分も。
どちらも存在しているんだろうな。
誰の事も傷つけない存在にはなれないと思ってる。
きっと歩みを進めれば、その過程で茎に備わった棘が歩いているだけで触れる人を傷つけてしまうと思う。
そんな人間。
当然、罪悪感もあるわけで。
自分が何もしなければ傷つく人もいないと思う事もあった。
その思考の行き着く先は自分を消す事以外ないでしょ?
俺は我儘なので、それでも生きていたいと思った。
生きているだけで人を傷つけてしまうとして、それでも生きていたいと思う傲慢な人間。
その事を受け入れ、生きる事にした。
だから、せめて俺は清廉潔白な人間ではないですよ、汚い部分もあるし駄目なところもあるんですと書くようにしてる。
良い人と思われてしまうと、きっと傷つける人を増やすから。
誰かにとっての都合のいい人間としては生きられないよ。
イメージや期待を裏切り続けると思う。
俺はスライムのような存在。
熱や空気で簡単に形を変えてしまう。
本当に変わらないのは、その本質的な部分のみ。
変化のスピードの速い現代では、そうじゃないと追いつけないとも思ってる。
一昔前の常識を簡単に打ち破れるようではないと、過去の常識に縛られ未来を否定してしまうでしょ。
それはとても不毛なことだと思ってる。
好きなテイストや思考の深い部分というのは、アンテナの役割をしてる。
発信も受信も。
だから常に自分の好きなテイストや深い部分の思考は良し悪し関係なく伝えられるところまで伝えるべきだ。
理解し難い部分を打ち明けられれば打ち明けられるほど、より深い部分で共感出来る人と繋がれる。
多くの人が理解出来ない事を理解し合った時、一歩踏み込んだ話が出来る。
だから、伝わるかどうかは関係なくこのブログは書いてる。
人によってわかりやすいと感じる人もいれば、言ってる事がよくわからないという人もいると思う。
それでいい。
伝える事を目的としているのではなく、”伝わる”事を前提に書いてる。
そもそもどれだけ丁寧に伝えようとしても、一定数理解出来ない人は存在する。
広く伝えようとするより、ごく一部の人に深く共感される事のほうが価値がある。
そのためには、上っ面の言葉なんて何の意味もない。
空気そのもの。
心地よい言葉を選び、その上で言葉以上の感情が伝わるといいな。
額面通りの言葉ではなく、その言葉を書いている心情が言葉の領域を超え直接働きかけるように。
ぐちゃぐちゃの文法でいい、誤字があってもいい、心をそのまま書きなぐったような言葉に俺自身は心惹かれる。
そんな人間がここに1人存在しているなら、きっと同じように感じる人もいるはず。
その信頼感。
脳に浮かんですぐの鮮度の高い言葉を残していく事のほうが、正しい文章よりも価値が高い。
最近、好きなテイストを表現出来てないな。
画像で、動画で、文章で、方法なんていくらでもあるのに。
焦る。
表現したいのに。
生活でいっぱいいっぱいになると、何も出来なくなる。
自分のやり方で自分のペースで、焦ることなく本当にやりたい事を日々やっていけることほど幸せなことはない。
何の心配もせずに好きなテイストを垂れ流していける事が、きっと自分にとっての最終地点であり最終形態なんだろうな。
お金の心配がなくなると、心のスペースもたくさん空くのにな。
それが本音だよ。
刹那的な生き方をする俺は、常に先の事なんてわかんない。
だから、今日、今、幸せだと感じきるようにしてる。
明日どうなるかなんてわかんないもんな。
少なくとも、この瞬間が幸せだと感じられるなら、明日どうなろうが確実に今幸せな事に変わりはないのだから。
幸せを確定していく。
その作業の連続が、死ぬ時に「幸せな人生だった。」と呟けるルートに繋がってるんじゃないかな。
毎日思うんよ。
自分らしくいさせてくれてありがとう。って。
俺の今の生活は、応援してくれている方々の善意や気持ちで成り立っている部分が9割だと思う。
1割は、少数ながらまだ生活の為に仕事をしているから。
100%やりたい事だけをやれる期間は、人生を振り返っても数回しかなかったように思う。
どの期間もとても素晴らしかった。
一生の宝もの。
そして、どの期間での経験も今に繋がってると思うんだ。
その頃を思い浮かべるたび、特にお世話になった人達の顔が浮かぶ。
思い出すたび、改めてあの時はありがとうと、ちゃんと感じきるようにしてる。
死ぬまで何度でもこの作業は行っていく。
自分にとって大切な事だから。
本人に伝わらなくても、何度も何度も感謝の気持ちを感じきる。
物理的には無駄な事なのかもしれないけど、なんだかそうしたいからする。
”なんだかそうしたい”と思える事って、理由はわからなくてもきっと意味があるのだと思う。
だから極力、理由がわからなくてもやりたいと思った事はやってみる事にしてる。
心からの感謝の気持ちを持つ事は、俺の人生を救ってくれているように思う。
親切にしてくれる人は、純粋に喜んでくれたら幸いと思ってくれてる。
俺が心から喜ぶという事が目的でありゴール。
だったら、遠慮なんてしている場合じゃない。
最高に感じきる事が唯一大切なこと。
純粋な親切ならね。
それでいいのだと思う。
見返りを求める親切なら、絶対にお返しをしないといけないのだろうけど。
親切にしてくれる気持ちが善意で義務的ではないことと同様に、お返しもまた義務的であってはならないと思ってる。
本当に親切な人は、そんな義務感望んでないはずだよ。
それが大前提。
そのうえで、やはりお返ししたいという気持ちは持つべき。
密かにね。
そして出来るところで出来る事をする。
または、ペイフォワードの気持ちで恩送りをする。
恩送りをした事を報告する。
きっと、本当に親切な人は恩送りでも喜んでくれるはずだよ。
善意が受け継がれる流れを生み出したその人自身を誇らしく思ってくれるはず。
そんなふうに、サラッと善意が循環していくといいと思う。
俺は自分の価値観を軸に生きていく事しか出来ない。
そして、そういうジャンルの人間だと思ってる。
平坦な社会性を求められると、あっという間に力は失われて平均以下の人間になる。
理解されようがされまいが、俺はしっかりと自分の道を歩き、そこに人を集めるというやり方じゃないと駄目だ。
関わる人を選び、善意であふれるコミュニティにする。
関わる人みんなが気持ちよく快適に生きられる方法だと思ってる。
そのコミュニティの色ともいえる、俺自身が好きなテイストは明確にしておかないといけない。
世界観にも繋がるもんな。
その部分が出来てないなぁと思った。
世界は常に教えてくれてる。
そこから何を学び取るかは俺次第なんよな。
小さすぎても大きすぎても正確に見る事が出来ない、人間の不便な目で想像力で補間し限界を超えてこの世界の輪郭が見えたらいいな。
きっと、その輪郭は自分自身の輪郭とイコールで結ばれるのだと思う。
一つひとつの出来事や存在は、宇宙のように果てしない。
解釈も無数にあるし受け取り方も無数にある。
そのすべてを把握する事が出来ないなら、一点、しっかりとした目を持つべきだ。
一点の視点=オレ個人の価値観であり、複数の視点=多様性なんだろうな。
当然、多様性は存在するし、だからといってオレ個人の価値観は無駄ではない。
正しさを超えた世界で話が出来る人との出会いは貴重。
正しさなんて、視点によって簡単に歪んでしまうので。
時に、幽体離脱したかのように空中から見るフラットな視点も同時に持つべきだ。
自分自身の視点、幽体離脱の視点、どちらもあって始めて自分の価値観の位置がわかるよ。
昔と比べ、見た目や表面的なこと、イメージよりも内面にフォーカスしてるので、どうしても好きなテイストを見せるみたいな事が減ってるんだろうな。
でもテイストも大事だよな。
だって、俺自身、誰かの好きなテイストに共感する事が多いから。
自分で作らなくても好きなものを簡単にシェア出来る時代でもあるしな。
安っぽくないテイストのレトロなイメージが好きなので、なにか良さげなものがあれば共有していけるといいな。
好きなものは昔からあまり変わらない。
自分のライフスタイル自体が、好きなテイストで満たされるといいのだけど、残念ながら現段階ではそうはなっていない。
でも、好きな物もあるので、好きな領域を家の中でも増やしていけたらいいな。
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