たくさんたくさん頑張ってみても結果が出ない時もある。
そんなとき、なんとも言えない気持ちになる。
寂しいような悲しいような。
基本的には物事に対してポジティブに受け止めるほうだと思うので普段どうってことないんだけど、不意に立ち止まってしまうと駄目だね。
普段の自分の感覚と、今みたいな時期に垣間見える自分との心の距離に乖離が生まれていくよ。
昨日は土曜日だった。
静かな土曜日。
俺的には今の状況って一大事であり、生活が激変してしまうタイミングでもある。
特別応援してくれている方に外せない用事が入り、その存在の大きさを実感してる。
きっと、このまま行くと来週、配信者ランクは一時的にC3になるのではないかと思ってる。
昨日の感じだと。
本心では絶対に防ぎたいけど、いつもたくさん応援してくれているその方には気兼ねなく思う存分楽しんでもらいたい。
自分の事のように守ろうと思ってくれる人は少ない。
だから自分でなんとかしなければ。。と思って少しでも数字が取れそうなコンテンツばかりに頼る事になる。
今までの流れでやってて今の状況になってしまっているので、変化していかなければならないのだけれど、そうすると今までといろいろ違ってしまう。
俺だっていくらでも時間があれば期待に応えるような事もしたいと思う。
でも、生活が破綻してしまうとそうも言ってられなくなる。
だからどうしても今みたいなスタイルになってしまう。
自分の事のように俺の活動を守ろうと思ってくれている人は、現在本当に少ないので、それくらいの需要しかないのであれば気にする事もないのだろう。
だけど、やはり心のどこかでなんとなく申し訳なく思ってしまう自分もいてバカバカしいなと思う。
期待されていないのになんで申し訳なく思ってんだろ。
そうして孤独の芽は存在感を大きくしていく。
自分の活動は、たとえ自分ひとりになってしまったとしてもやり続ける。
それくらい好きな事をやらないと駄目だ。
そう思いながら日々やってる。
人というのは、分かりやすすぎるくらい分かりやすい。
自分ひとりの力で手に負えなくなって来たときに、どれくらいの人が力を貸してくれる?
今の俺にはほとんど見当たらない。
数人、普段から力を貸してくれている人達だけだ。
自分が相手を大切に思う気持ちと、相手から大切に思ってもらえるかどうかは別の問題。
そして俺は自分の活動ばかりで誰の事も大切になんて出来ていないと思う。
そんなやつが大切に思ってもらえるはずもないよね。
どんな結果になろうとも、自分の感覚の中を生きると決めて生きている。
こういう生き方をしていると、人間関係というのは流れていくものだとよく感じる。
しかし不思議なことに、どんな時代も一部熱烈に支持してくれる人が必ず居てくれた。
この奇跡が何度心を救ってくれただろう。
あなたが僕の存在証明だといえるほど。
野良猫のように生意気に生きてる。
それなのにかわいがってくれたり助けてくれる人って、どうしてそんなにも心が広いのだろう。
そこに何も感じないわけがない。
無限に湧き出る感謝の気持ちで満たされる。
本当に困ってしまったとき、誰が手を差し伸べてくれるだろう。
実力も何もない、なんの価値も提供出来ない俺を誰が気にかけてくれるだろう。
ありのまま生きるということは、すべてを失う可能性があったりすべての人から興味を失われる可能性があるよね。
嫌われるとかではなく、忘れられる。
それは何より恐いことだと思ってる。
それでもやってみようと思えるのは、どこか自分の存在を信じているからというのと、この世界を信じているからなのかもしれない。
社会的に考えるなら大した価値も生み出せていないやつは淘汰される。
しかし果たして人間というのはそんなものなのだろうか。
なんだか、そんなに単純なものではない気がして。
計算機で導き出される答えなんて、計算機に任せたらいいよ。
数字では読み解けない意外性にこそ、人生レベルで楽しさを感じられることがある。
孤独になるリスクを差し出して、人生レベルで検証してる。
というか、そんな不器用な生き方でしか幸せを感じられないので選択肢なんてないのだけれど。
とっくに、普通の生き方なんて挑戦してみた。
結果、そこに自分の幸せはないと判断した。
たとえお金があっても窮屈で退屈な日々は不幸だ。
お金がなくても自由でドキドキ出来る日々は幸せなのだと思う。
ただ、そんな自分でも孤独は出来ることなら避けたいのだと思った。
どれだけ落ちぶれても興味を持たれなくなっても、恥ずかしいその状況を書ける自分でありたい。
それで笑われてもバカにされても、それが俺の紛れもない実力であり等身大だ。
ダサくてもありのままの自分だ。
チクリと刺さる心の痛みも、今同じようにうまく行かないと感じているこの世界の誰かの”自分だけじゃないんだ。”という一縷の望みとなればいい。
ダサいところを見せるという価値はそこにある。
俺がどう思われるとかそんな事よりも、世界のどこかの誰かの心に、0.1℃でもぬくもりをあげられたなら意味がある。
俺の心の痛みなんて中途半端で、世の中にはもっと圧倒的に辛い思いをしている人もいっぱいおるんよな。
それでも俺の世界ではその”小さな痛み”が一大事だ。
たとえるなら、子供が自転車でこけて大した傷じゃないのに大騒ぎする感じ。
痛みや傷は本人の心の中で大きさがあり、他人と比較して決まるものではない。
「そんな小さなことで。。」という誰かの声なんて意味ないよな。
うまくいかない、こんな日々をいつか笑い飛ばせるだろうか。
今の感情は、きっといつか誰かの心に寄り添うために必要なのだろう。
経験していなければ寄り添うことも難しいので。
様々な種類の痛みを学ぶためにこんな人間性になっているのかなぁ。
それなりに長く生きてきて、選択肢なんてほとんどないのだと感じてるよ。
ネガティブな意味ではなく。
どんな生き方をするかは自由。
無限に選べるとは思う。
しかし、現実的に選ぶ選択肢というのはある程度決まっているということ。
絶対に選ばない選択肢は、用意されていてもいなくても変わらないでしょ。
だんだんと見えてくるんだ。
自分が選ぶ選択肢はどれなのか。
その幅が、様々な出来事を終えるたびに狭くなっていく。
つまり自分の心が出す答えを予測する精度があがっていくということ。
実際にやってみて感じると早い。
違和感だらけだったら二度と選ばないし。
たくさんの失敗する方法を実践してきたからこそ、現実的な選択肢が絞り込めてる。
どんなに惨めでも落ちぶれても、自分の感覚で生きていく事しか出来ないのだと思う。
ダサい自分というのは余白。
この余白があるから助けようと思ってもらえるのかもしれない。
完璧な自分を演じていたなら、きっと今とは違っていた。
いつも来てくれていた人が来なくなっても、それでも活動は続いていく。
また振り出しに戻ったとしても、きっとまた誰かが自分を見つけてくれると思う。
その繰り返しなんかなぁ。
「いつまで繰り返すんだろう。。」そんな事を考えたら負けだね。
病むよね。
考えない方がいいこともある。
目を背けるという意味ではなく、心を折らないために。
考えた先に良い答えがある可能性があるなら考えたらいいけど。
少なくとも、心に余裕がないときに考えていいテーマではないね。
今は心折れては駄目なとき。
この1ヶ月でまとまった結果が出せなければ、俺が望まない日々が始まってしまう。
俺は俺らしく生きられなくなることは本当に不幸だと思ってる。
お金がないことよりも。
自分らしく生きるために生まれてきたんだよ。
少なくとも俺は。
だから自分らしく生きられなくなるというのは最悪なことだよ。
きっと、人それぞれ人生にテーマがある。
自分らしく生きられなくともお金がある方が幸せだという人も確実に存在する。
その人を否定するものではない。
人生のルールが違うんだ。
そのルール自体も自分で探っていかなければならないんだ。
俺はそのルールに気づいたから明確に言える。
人生に設定があり、それを外れようとすると不思議な力で連れ戻される。
不思議だけどおもしろい。
無限だと思っていることも、実はガイドラインが決まってる。
そんなふうに感じてる。
人はシミュレーションの中に生きているのかもしれないと思うのはそういう理由から。
シミュレーションの中でもなんでもいい。
どうせちっぽけな存在なら、ありのままの自分を堪能しよ。
その中で求めている事を助けてくれる神と仲良くしていこ。
ピンチをもっと恐れないようになりたい。
この世界の本当のルールをもっと知りたい。
だから引き続き、体当たりで生きてみるね。
今はあまりうまくいってないけど、必ずまたうまくいく。
うまくいかなくなったら去っていき、うまく行き始めたら戻ってくるやつほど信用ならないものはない。笑
それは言っとく。
でも、大半の人ってそんな感じだよね。
逆に、うまくいっていないや困っているときにこそ助けてくれる人も確実に存在するんよ。
本当すごいし尊敬する。
そういう人とは一生関わらせてもらいたいと思うわな。
優しくあたたかい人が好きだ。
もちろん、いいとこばかりの人なんていないけどな。
でも短所もかわいらしく思えることってあるよね。
誰に対しても、できればそんなふうになりたいな。
欠点があるから人はかわいい。
それは本当にそうだと思うから。
人間の”どうしようもないところ”が好きだ。
この感じ、分かってくれる人おるかな。
ありのまま生きるというのは、この”どうしようもないところ”を垂れ流しながら生きるということだ。
とても勇気がいるしほとんどの人から嫌われる。
でも、一部の人からは愛される。
そのことを許容出来るかどうかなんだと思う。
ダメダメでどうしようもないけどなんだか魅力的、そんな存在になれたらいいな。
猫ちゃんはまさにそんな感じの存在。
長所と短所のオンパレード。
きっと、存在の価値なんて勝手に見いだされるものなんだよ。
取り繕ってもそうじゃなくてもね。
平均値をとろうとするのが一番つまらない。
極端に駄目なことは、極端に優れているともいえるはずなんだ。
目指せ、魅力的などうしようもない存在。


































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