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愛する花。 | なおきち思考日記

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自分自身について

愛する花。

昔から愛情だけは人一倍持っていて、その力に振り回されてた。

人って、とてもキュートで美しくてたまらなくて。

もちろん、全ての人にそう思うのではなくて特別感を感じる人がいる。

 

花を愛でるかのように人を愛する。

その事に罪悪感を感じていた。

昔は愛情が暴走しそうになる事もあった。

 

愛する人に迷惑をかけるのって、違うじゃん。

そこをしっかり自分の中で考えるようになり変わったと思う。

 

好きな人にはこだわりがあってさ。

こんな素敵な人、世の中にそうそう存在しないよ!と思う人を好きになる。

だから容姿に優れている人もいれば内面が美しい人もいる。

その総合値で好きになってるんだと思う。

 

人を愛でる事は、愛でている側の心も癒す。

とてもとても特別な存在だよと心で思いながら接すること。

 

だから、冷めているのに一緒に暮らす夫婦にあまり意味を感じられない。

システムとしての夫婦ならありだろうけど。

 

もっと、柔軟に”それぞれ”でいい時代のはずだ。

それぞれの夫婦の形があり、人間関係があり、カスタムしていいはずだ。

昔と違い、娯楽も増えたし繋がる手段も増えたので家庭という体をなす必要自体がなくなってる。

家庭をもってもいいし持たなくてもいい。

そうしなくても生きていける時代になったんだよな。

 

俺は一般的な価値観に染まれなかったので、一つ一つの事に疑問を持ってしまう。

その都度、不器用に一つ一つの理由を考えて自分を納得させていく。

 

愛する人が複数人いたらどうしてダメなんだろうとよく考えてきた。

愛情が溢れ出す人間としては、ここが罪悪感ポイントなので。

愛情も、ここまでは好きでここからは愛みたいな境界線ってないじゃん。

それに、本質的には恋愛と人間愛の境界線もないはず。

俺は女性が好きだけどね。

 

どうして複数の人を愛したらダメなのかについては、いざこざの原因になるからなんだと思う。

そりゃそうだよね。

でも感情は抑えきれるものではないでしょ。

社会の仕組み的には正しいんだと思う。

 

混乱のもとではあるよね。

複数の人を愛すると。

そして信用を失う事もあるよね。

 

だから事前に、俺は愛情が多い人間だという事は出来るだけいうようにしてる。

一人一人を思う気持ちが薄まるわけではないのに、どうして複数の人を愛したらいけないんだろうとよく思う。

一途だという事と、複数の人を愛する事はトレード・オフの関係にないよ。

 

愛情の深さもそれぞれに違うじゃん。

家族愛なら家族全員を愛していいのに恋愛だと複数の人を愛したらいけないというのはまたおかしな話なんだよな。

 

無邪気に花に水をあげるように人を愛し続けられたらとてもいいのにと思う。

特別感を持った相手から簡単に愛情が失われるってないから。

だから恋愛は向いてないんだろうなぁ。

 

とても好きでも誤解される事はよくある。

あと、どれだけ好きでも全く連絡しないとか平気であるしな。笑

それは連絡しなくても繋がっていられる安心感があるからなのか。

なんなんだろうね。

筆不精。

 

人を思う存分愛したい。

それが例え歪んだ形であれ、相手が迷惑じゃないなら。

愛される事を嫌がってる相手を愛するのはまた違うと思う。

自分という存在が疎ましいなら、立ち去るべきだと思ってる。

自分の感覚と相手の感覚は違うからね。

 

本当に人を愛するという事は、自分という存在が不要なら立ち去る所までが愛なんだと思う。

自分が、愛する人の世界からいなくなってしまった方が愛する人が喜び幸せになるのであれば、そうするのが愛なのだと思った。

自分の気持ちを満たしたいだけならしつこくしてしまうでしょ。

でも、愛情が原因で相手に嫌がられる事に繋がるじゃん。

それって本末転倒。

愛情は、相手を幸福にしたいという根源的な願いからくるものだと思うから。

 

快適でいてほしい、優しい日々を送ってほしい、そうしてあげたいと思う気持ち。

だから不要なのに押し付けるというのは、自分の気持ちの範囲外なので気付きにくいけどダメなんだと思う。

ここの線引はちゃんとしておかないとストーカーを肯定する事になるから。

ストーカーの行為も、愛情が原因ではあるじゃん。

純粋な愛情というもの自体に善悪はないので、あの形は紛れもなく愛情だよ。

人間にとって都合がいいかどうかは関係ないので。

 

きっと、愛情という概念もいくつも分岐していて、ストーカーというのも一つの形であり、愛する人を追い詰める愛情はよくないと思う俺が思う愛情も一つの形なのだと思う。

一人の人だけを愛し続けるのも愛情。

 

そう考えると、人の数だけ愛情は存在するんだろうな。

だから、本当は愛情の定義なんて社会が決められるものではないんだよ。

抑圧した愛情は時に憎悪に変わる事があるでしょ。

そうならないように気をつけているのが俺の愛情だな。

 

自分の心の動きには注目してる。

俺が思う愛情を持つ対象に願う事は、ただただ快適でいてほしくて優しい人に囲まれて日々をストレスなく楽しんでもらいたいという事。

まさに俺が行う活動の目的そのもの。

大好きだと思える人達を幸せにする為に俺の活動があるといっても過言ではないね。

 

多分、俺が愛情を持っている人でも頻繁に連絡をとらないのは、その人が快適に幸せで居てくれてさえいれば俺が直接関わっていなくても嬉しいと感じるからなんだと思う。

だから困った事があれば話を聞いたり、苦しいと思ったなら寄り添う。

。。なんか都合のいい男になりそうな予感がする考え方だな。笑

 

それくらい俺が思う愛情ってサラサラしているものなんよなぁ。

例え複数の人を愛する事になっても、その一つ一つの愛情の重さは影響を受けない。

そりゃそうよな。

たくさんの人を愛すれば愛するほど薄まるんなら、家族も含め世の中で一人だけしか愛さない人が最強になる。

 

社会の仕組みと自分の愛情にずれがある人は罪悪感を感じがちだけど、自分は自分という気持ちを持ち、愛する人に嫌われる原因になろうとも、一度愛情について考える必要があると思う。

愛情をたくさん持っている男なんて信用ならないという人もいると思う。

そういう考えもあるね。

でも、本質的にたくさんの愛情を持っていないと継続的に活動をする事は出来ないよ。

 

恋愛だけを特別視するという事が出来ないんだろうな。

恋愛も家族愛も、全て人間愛でしかないので。

その視点で全てを包み込むような愛情しか持てない人はどうすればいいの。

個別に切り離してなんて出来ないでしょ。

 

まるっと、愛してたらオッケーみたいなざっくりした立て付けじゃないと無理なんだと思う。

人は、”愛されてる感”を感じたくて複数の人を愛する人を信用出来ないといってる側面があると思う。

自分だけを愛してほしい、特別感を感じたいというエゴ。

誰もが持ってるんじゃないかと思う。

でも、自分だけを愛してくれる愛情じゃないとそれは愛情とは呼ばないという事については考えが俺とは違う。

 

きっと、俺みたいな愛情の持ち方をしてしまう人はみんな悩んでる。

どうして自分は世間一般の人みたいに、一人の人だけを一途にずっと愛せないのだろうか、たくさんの人を好きになってしまうのだろうかって。

そういう人もいるんだよ。

とても愛情は深いのに。。と苦しいよね。

 

愛する花が、自分だけに水をちょうだいと言ってきたらとても苦しい気持ちになる。

言い分は間違っていないしみんな表面上はそうしてるから。

言葉だけ「そうする」と答えるのは簡単だけど、それは本質的には意味ないじゃん。

 

愛情って難しいよね。

一度愛した人への愛情は簡単には失われない。

それだけでいいんじゃないかと思うんだけどな。

 

一人しか愛しちゃいけないシステムの場合、気持ちが全部切り替わっているのだとしたら、恋愛が終わる度に愛情もコロコロ変わってる事になる。

一度愛した人をそんなに簡単に愛さなくなるっていうこと逆にあるかなぁ。。と思っちゃう。

特別な面があるから好きになり愛情に変わっていくわけじゃん。

容姿が好きという事であれば人はだれもが劣化するので仕方ないけど。

 

好きだけなら、劣化で冷める事はある可能性もあるけど、愛情にまで発展していたなら劣化したあとも愛情自体は失われない気がする。

そう考えると、人を好きになるきっかけとして容姿は関係するけど、愛し続ける理由としては失われても構わないのか。

そうだな。切り口はなんでもよくって、好きになるきっかけは数あれど、一度愛情に昇華した感情はその好きになった切り口ではなくその人自体を愛する事になるから失われてもいいのか。

 

容姿が優れているなどはあくまでも入り口。

長所の一つ。

 

このブログでは、だいぶフラットにお金の話をするようにはなったけど愛情についての話をする事は少ないね。

それはまだ恐いからなんだと思う。

俺が好きだと感じる人が読んでドン引きして離れていったら。。とか。笑

 

出来る事なら好きだと感じる人とは末永く一緒にいたいな。

物事をフラットに考えていくと、一般的な人には変な目で見られるよ。

でも本質に沿って考えていくとさ、やっぱり一般的な考えとはズレがあってさ。

 

出来るだけありのまま生きていく。

そういう人間という事を知った上で愛してくれ。

出来るだけこうして書いていくから。

 

若い時は本当に苦しかった。

見る目が養われたのか、今はそんなに恋愛においては頻繁に愛情を持つ事もない。

人間的に愛情を持つ事はある。

というか、出来るだけ持ちたいと思っているから。

 

きっと俺は人間としては少し機能が足りなくて、猫として生きるのにちょうどいいくらいの人間なのだと思う。

だから猫だと思ってくれればいい。

猫以上、人間未満。

いや、自由度でいうと猫の方が優れているので猫未満、人間未満か。

まずは一人前の野良猫になれるように頑張ろう。

撫でてくれる人に感謝しよう。

 

野良猫は公園とかでどこからともなく出没する自転車に乗った優しいおばちゃんにご飯をもらう。

なんかだいたいあのおばちゃんは自転車に乗っていて帽子を目深にかぶっているイメージが有る。笑

気難しそうな雰囲気の人が多い気がするね、おばちゃん。

でも猫ちゃんがお腹空いているんじゃないかと思ってご飯持っていってあげてるんだね。

優しい。

 

いや、人間の世界では地域猫じゃないなら野良猫にご飯あげたらいけないんだろうけど。

やはり猫目線で考えちゃう。

 

そういえば、俺がどうしていつも自己中で自分勝手に生きてるのに助けてくれる人がいるのかよく考えるんだけど、恐らく根本に愛情があるからなんじゃないかと思ってる。

自己中心的な考えを持ちながらも、その根本に人の幸せを願うという事があったりお互い様という気持ちがあるからなんじゃないかと思う。

 

ただただ嫌われる人っているじゃん。周りから本当に一切人がいなくなってガチで一人ぼっちになっちゃう人。

そういう人達と何が違うのかについてもよく考えるんだけど、このブログのようにありのままの自分を表現して伝えているかどうかや、優しさがそこにあるのかどうかなんだと思う。

 

生放送の時とかにも俺は一見、傍若無人な態度をとるけど、その根本には自分が快適にいたい以外に仲いい人を快適にしたいという守りたい気持ちがある。

その時点で利害も一致してるはずだし、一人にならない理由の一つになってるのかなと思う。

 

出来るだけ心を解き放ってありのまま生きてあいのまま愛し愛されるのがいいよ。

好きな人や愛情を持って接する人たちが本当にいつも幸せだったらいいのにと思う。

正直、俺がお金を持ったら大好きな人達が快適に過ごせるように使う。

あ、だから活動に使っているからお金なくてももうやってるのか。笑

 

全ての人に価値があるとしても、俺がこだわりを持って接する人達は俺にとってすごく特別な価値を持っている人達だ。

純粋さであったり、不器用な中にも優しさがあったり、愛すべき存在は幸せにしたいじゃん。

まだまだ力不足だけどさ、人を愛し幸せにしていきたい。

 

活動の根本にその気持ちがある事を再確認した。

個人的に大好きだと思っている人も幸せに出来るような男になればいいな。

自分の事すらままならないのに人を幸せにするっておこがましいかもしれないけど、自分と相手の境界線なんてないんだよ。

 

自分が幸せなら相手も幸せを感じてくれる人がいてくれ、俺も相手が幸せだったら自分の事のように幸せを感じる。

その感性が育まれている人達で集まって接していくと、そこにいる人数分だけ幸せが倍増するんだよ。

これ1対1でもいいけどコミュニティレベルでこれ実感したら涙出るレベルだと思う。

 

そんな幸せに満ちた場所を作りたい。

だから俺のコミュニティは入れる人が限られてるってことね。

関わるレベルにない人はソッコーブロックして終わりっていう。笑

 

真摯に関わろうとしている人に対してはそんな雑な扱いしないけど。笑

雑なやつには雑で返す!とうぜん!

 

愛情も同じように、丁寧に接してくれる人には出来るだけ丁寧に返す。

これは返報性の原理なので人間に備わっている基本的な機能よな。

愛情で満たされた場所になるといいなぁ。

 

愛する花に日々、水をあげるような作業がコミュニティを作るという事であり、人を愛するという事だと思ったよ。

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