ここ数日、とても天気がいい。今日はずっと窓を開けてみている。大きな音を出せないが、窓を締め切っている時に比べ、これだけでも心が晴れやかになる気がする。
相変わらずプログラミングの勉強を進めていて、先日入った新規のホワイトボードアニメーションの仕事もやっている。やりかけたウェブライターの案件を今日こそ完成させねばと思いながらきっとまた明日になるのだろう。
ご飯を食べ、お昼寝をして目が覚め天井を見上げながら、じんわりと幸せだなぁと感じた。眠りにつく前に毎日感謝の気持ちがこみ上げる。本当に毎日。泣きながら会社に通った日々の自分に教えてあげたい。
人間性は未熟ながら、それでも自分で稼いで自分らしくいられる日は来るんだよと。ピンチになっても、助けてくれる人がいたよと。ダメな所を出しても、嫌わないでいてくれる人はいるよと。
じんわり汗ばんで居心地の悪い服と皮膚の間に季節を感じる。もう夏は近いな。その前に梅雨か。なんて、そよ風を感じながらのんびり考えてた。その時間自体が幸せの正体であり、ずっと願ってきた時間の過ごし方だったのだと気がついた。
今、自分らしくいられてる。お仕事をくれるクライアントや、支援してくれたみんなのおかげ。自分の中で、お金についての不安は消え去ってはいないけれど、”今”を、”今日を”楽しみながら幸せを噛み締めて過ごしていけば、きっとまた極端にお金がなくなってしまったとしても頑張れるんじゃないかって思った。
俺がやりたいと思っている事や価値を感じる事は、必ずしもお金に繋がるものではない。だとしたら、そのもの以外の場所でお金を作る必要がある。先日、福山市に咲いている薔薇を撮影しまくってきた。この時期にしか出来ない事。
いつもなら仕事ばかりやって、「あ〜…今年も行けなかったな…。」なんて思ってた。今年は、とにかく行く!と決めて、天気がいい日を狙っていってみた。これが出来たのも、同じように桜を撮りに行った時の写真をフォトブックにして、支援のお礼にする事で支援をしてくれた人がいてくれた事実があるからだ。
いつか、この1日の行動が支援してもらう事に繋がったなら金銭面でも無駄にはならない。例え、お金にならなくても自分がいいと思った写真を撮影してみんなに見てもらって楽しんでもらえたなら、その時点で目的は達成されているとも言える。ただ、出来る事なら共感してもらって少しだけでも支援してもらえたら、また撮影に行きたいと思った時の行動の原動力になる。
今回は、グループに数日かけて丁寧に投稿してみた。春日池公園にこんな場所があるんですねというコメントや、アイネスの屋上庭園を知らなかった方が知るきっかけになり喜んでもらえた。キャスパ横の建物が取り壊されたのも実際に駅前に自分で行けたからであり、撮影して今の姿をみんなに見てもらう事が出来た。
ばら公園にも数年ぶりに行けて、こんなにも美しいものかと感動した。それもすべて、過去に支援してくれた方々のおかげだなって思った。俺の幸せに直結し、活動にも繋がった。誰もが同じように、生きているだけでお金がかかっている。会社員の時はあまり意識した事はなかったけど、フリーランスとしてどうにか毎月の支払いを行っていく中で、1日あたり最低稼がないと生活が成立しない金額ということを意識するようになる。
逆を言えば、その最低限の金額をクリアし続ける事が出来るのであれば、どう過ごしたっていいというのがフリーランスの強みでもある。会社員の方がやりにくい事を活動の中で俺がまとめてやる事だって出来るわけだ。薔薇が福山中に咲いていると知っていながらもなかなか動けない人もいる。または、遠方に住んでいて見たいけど福山に来て帰るだけでかなりお金がかかる人もいる。身体的に自分の目で見に行くのは難しい人もいる。
俺が時間を使えば、たった一人の時間でありながらもグループに投稿する事によってたくさんの人に楽しんでもらえると思った。その事に価値があると思ってる。行きたいけど行けない…と思ってる人にこそ見て楽しんでもらいたい。そういう想いがいつもある。だから、出し惜しみしない。
撮った写真はなるべく全部出すようにしてる。フォトブックを作成して支援のお礼を用意する時も、作ったフォトブックは全ページ見れるようにしてる。ただ見るだけならそれで満足だろうし、お金で支援出来ない人も、内容は見て楽しんでくれたらいいと思うから。
そしたら、純粋に支援しようと思ってくれる人だけ支援してくれる。事情があって、応援したいけど自分の事で精一杯だという人だっている。俺がまさにそうだから気持ちは凄く分かる。俺は俺の活動に専念する事しか出来ない。楽しみながら日々を過ごし、活動していく事が自分にとっても関わる人にとってもいい。俺は誰の犠牲にもなってないからな。
福山周辺の風景は日々変わっていってる。同じ場所を撮影しても、毎年微妙に違うものだと思ってる。活動は撮影だけじゃないけれど、見える形では分かりやすいわな。管理人って、見えない部分の方がやる事は多い。今でも毎日手作業でグループにふさわしい投稿かそうじゃないかを判断して承認作業を行ってる。
こうする事で、趣旨に沿わない投稿を全くメンバーに見せる事なく、濃いタイムラインが完成する。今、否定的な思想を持っている人は俺のグループの中では少数派になってるんじゃないかと思う。コメント欄をざっくり見ただけでも、不快になるコメントはほとんど見かけない。全体公開の6000人規模のグループでこれが成立してるのって、奇跡的な事だと思う。価値観を統一し続けた結果なんよな。
たくさん時間を使って価値観が違う人と対話してきた。ほとんどが分かり合えない人達との対話なので、建設的でもない時間。でもこれを誰かがやらないと快適な場所にはならんのんよな。言いたくない事もたくさん言った。だから今がある。無駄ではなかったと思える。
支援してくれる人というのは、きっとそういうとこも全部見ていてくれたり想像して理解してくれているのだと思う。その評価として支援してくれているのだと思う。本当にありがたい。
願っていた事はほとんど叶っていると気付いた事を残しておこうと思った。あとは安定してお金が手に入るようになれば活動に集中出来る。自分にとっては、そこが一番むずかしいんだけど、単純に活動を理解してくれる人が増えるだけでも成立する可能性ってあるよな。みんながちょっとずつでも協力してくれたら多分、普通に叶う事だと思ってる。
もちろん、自分でも行動しつつ、やりたい事がもっとやれる環境を整える。パッと撮影に出かけられる環境というのは常に整えておきたい。あと、災害とか起きた時に情報の整理やグループの管理に集中出来るような体勢を整えておきたい。大雨の災害の時に仕事どころじゃなくなってしまっていたから。あ〜いう時にお金の事気にせず起きている時間ずっとグループに集中出来れば、みんなの不安も少しは軽減出来るのにともどかしい思いをしたのを思い出した。
やりたい事をやりたいようにやりたい。願うのはいつもその事。そうする事が自分の為にも周りのためにもなるように構築していく。
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