早朝にふと。
数年前まで、全ての人に受け入れられたいという気持ちが強かったように思います。
受け入れてもらう為には自分のマイナスな部分を出さないようにし、絡みやすい人にならなければならないと思い込んでいた。
そもそも、なんでそんなふうに思うようになったかというと、たくさんの人と関わるようになったからだ。
この人と俺は価値観があまりにも違うなぁ。。と思いつつも、自分が合わせれば成立してしまうんだよね。
もちろん、自分だけではなく相手も合わせてくれていたのだろうけど。
もともと狭く深く人と関わる事しか出来ない人間。
努力でカバーしてた。
究極は、自分の「我」を捨ててしまえば難しい事ではないと思った。
全部「あ〜、そうね、うんうん、そうだね、本当そうだと思う、そうだな〜。」って言ってればいい。
承認欲求や自己顕示欲を満たしてあげる事が出来ればそれは相手の幸せに繋がるからそうすればいいと思っていた。
自分の中に、価値観は無数にあるのだからその人の中でそうなら、俺と考えが違ってもそうなんだろう。。という認識があったので、自分の考えと違ってもそれでいいと思っていた。
全く理解出来ない事ってほとんどないし。
その結果、たくさんの価値観が自分の周りに存在するようになっていき、全体的に居心地の悪さを感じるようになっていった。
全て自分が作り上げた関係性。
個人同士で関わっていれば問題ないけど、自分の繋がり同士で喧嘩が起きるようになった。
俺は誰につくわけでもなく、流れに身を任せていた。
そこに自分の考えを反映させようとは思わなかった。
自分に似ても似つかない人が周りに増えていった。
通常、似た者同士が集まるようになるはずなんだけど、おかしいなぁ。。と思っていた。
今から考えれば簡単な事。
自分を出さずにいた事がよくなかった。
たくさんの繋がりを手に入れて我を出す事で誰かがいなくなるのが恐かったんだと思う。
しかし、本末転倒なんだ、それでは。
もともと自分が自由にやりたい、自分で決めたいからなんでも自分で立ち上げているのに、たくさんの人の意見を聞き反映させていく事で俺の意見は必要なくなっていった。
その状態がデフォルトになってしまえば、俺はただ集客するだけの人間になる。
ただのアイコンだよね。
考えなんていらない。
今、自分を見つめ直して自分を表現していってる。
当然、今までの関係はかなり切れた。
前までの価値観とあまりにも違いすぎるからね。
でも、自分で決断して行動、発言出来ている自分を誇りに思っている。
人とぶつかる事で離れていく人もいれば、より信頼関係を構築出来る人もいる。
今まで、大切な人もどうでもいい人も合わない人も自分の周りに置いていたけど、もっともっとシンプルにしていったほうがいい気がしてる。
合わないと思うやつは大概何かやらかす。
悪気あるのか無いのかはわからないけど、俺が大切に思っている人達に悪口を言い始めたり引っ張っていこうとしたり、俺の立ち位置に成り代わろうとしたり。
俺が作り上げた場で俺がお膳立てして目立てるのは当たり前。
その場を0から作り出す難しさも知らずに我が物顔でいる人を放置していた過去の自分はもういない。
誰にも理解されなかったとしても、例え一人になってしまったとしても自分が作り上げた場を自分の意思で守る気持ちが今はある。
人が去ることを恐れていない。
俺が俺らしく、自分を大切にする事、貫く事で賛同してくれている人達を快適な気持ちにさせて守る事が出来ると今は心から思っている。
だから誰かが去る可能性はあっても、去る人間は俺と価値観が合わない人なので、問題ないんだ。
まだ人間関係を大きくしていく事に恐怖を感じてる部分がある。
それが本当の意味で解放された時に再び大きな繋がりが生まれていく。
しかし、今度は過去の自分とは違うので、自分を貫き、舵取りを妥協なく自分がやっていく。
合わない人は去れ。
理解出来ない人も去ってくれ。
賛同してくれる人だけが残ってくれればそれでいい。
これを徹底する事で初めて一体感、団結力というものが生まれる。
全員が同じ方向を向く事が出来るんだ。
何が正しいとか悪いとかではなく、何が「好き」か。
たくさんある価値観の中で、俺は俺の価値観を最大限提案していく事で同じ価値観の人を見つけていく。
到底理解出来ないという人だってたくさんいるだろう。
でも、それはそれでいいんだ。
そこに合わせる必要はない。
そして無理に理解してもらう必要もない。
平行線の議論を続けるよりも、楽しい時間で埋め尽くしたい。
顧客満足度とかユーザビリティとか、そういった概念の逆をいく。
そうする事で、一部の人達とだけ深く心が通じ合うと思ってる。
「俺はこう思う!」
それだけでいいんだよ。
関係性は双方向だけれど、一つの中心点に呼び寄せられるように集まった人達と無理のない関係性を作り上げていければいいし、俺は俺の考えを貫くしか出来ない。
一般的な正しさや常識を逸脱した部分もあるだろう。
それでも心がそう思うならそうしていきたい。
その都度、関係性が問われるだろう。
俺が深い部分を出せば出すほど関係性は絞られていくだろう。
しかし、純度の高い関係性がそこに生まれていくだろう。
「普通」とは異なる考え方だと思いつつも、俺は俺の思ったようにしか生きられないし生きたくない。
まるで野良猫のように、雨に打たれる日もあるかもしれないし、誰かにご飯を貰う事もあるかもしれない。
どんな時も自分という存在を全うする事。
いい事ばかりではないかもしれないけれど、自分を殺す引き換えに安定を手に入れるというのはどうしても自分には向いていない。
ワガママに生きる。
自己中心的に生きる。
自由に生きる。
それしか出来ないし、したくないのだと改めて思ったんだ。
人に笑われてしまう要素なんてたくさんあるよ。
でも関係ないね。
俺は俺以上でも以下でもない。
俺を見てどう思うかは人それぞれ大きく違うだろうけど、どう思われようと俺は俺だしな。
本当は誰より人が去っていく事が苦手で悲しくて辛い。
本当はな。
楽しかった思い出があればあるほどな。
どうでもいいなんて本当は思ってない。
でも、人が去るという事、何かを失うという事を恐れていたらずっと動けないし昔の自分と同じことを繰り返してしまう。
俺の生き方はきっと、俺のワガママのまま進んでいくだろう。
誰かに理解されてもされなくてもやりたいようにやるだろう。
それでも、自分一人では生きていけないだろう。
どれだけ煩わしいと思っても、助けてくれる人の存在が必要になるだろう。
なんとも矛盾しているような生き方だけれど、まず自分が自分を信じる、そうすれば大丈夫だと思ってる。
自分を信じていない状態で自分を貫くなんて出来ないしな。
そして貫く姿勢を持てないなら、リスペクトしてくれる人も出てきにくいだろうしな。
誰かがリスペクトしてくれるという事を想定して自分の考えを貫くのではないんだけどね。
そこだけはハッキリしておきたい。
自分がそうしたいからするだけであって。
じゃないと本末転倒になるしな。
原因と結果。
それが偶然一致するところを拾っていく作業。
感覚的な話になるけどさ。
そして全てを打算でやるのも難しいと思う。
時には損してもいいから自分を貫く事。
そもそも損得で考えたら何も貫けないよな。
大概損するように出来てる。
それでもやりたいからやるだけであって。
何を損と感じ、何を得と感じるのか。
それもあるね。
お金を失うから損なのか。
しかし、失う時、同時に気付いていなくても何かを受け取っている事だってある。
結局何が損で何が得なのかなんてわからんよな。
お金の話で言えば、お金を払っているから守られている事もあるだろうし幸せな事だってある。
逆に、お金を持っているからこそ不幸になる人だっているだろうしね。
幸福の条件はお金ではない。
幸福の条件は自分の中にあるんじゃないかと思ってる。
俺の幸福の条件は自分らしくやりたい事が出来る事。
そこが大きい。
そして俺の周りの人達が心地よく生きていてくれる事。
自分が幸せだと幸せなのは当然だけど、自分が大切だと思える人が美味しい物を食べていたら自分も幸せだと思うし、たくさん安心して眠っていたら幸せだと思える。
そういうもんなんよなぁ。
自分自身と大切だと思える人の境界線って結構曖昧になる。
だって、相手が幸せだったら自分も幸せだし、自分が幸せだったらもちろん自分は幸せだし。
価値観が合う人だけ周りに置くっていうのは結果自分の幸せを何倍にもするという事になるんよな。
そして合わない人と関わらないというのは自分と相手の時間や労力を大切にするという事になる。
この日記はいつも書きたいを思った時に書いてる。
何があったというわけではないけど、この早朝の変な時間にふと書こうと思ったので書いた。
いつも直感で動いてるので全てのタイミングは直感に任せるようにしてる。
理由なんてどうでもいい。
考えなくたって、そういうもんなんでしょ。
自分が欲すれば脳が自動的に計算してくれる感じってあると思うんだよね。
それをどこまで信じる事が出来るかなんだよなぁ。。
俺自身まだ完璧には出来ていないけどさ、もっともっと信じていきたいと思う。
想像も出来ないようなミラクルが起きる。
まずは、望むところからだ。
理解されなくても自分の感覚を信じていくというのも大切なこと。
人と自分は違うんだからさ、そもそもなんで人の意見ばかり気にしてたんだろってふと不思議に思う事がある。
人の言うことを聞かないと悪く言われる恐怖だったり申し訳無さがあったんだろうな。
今は、ないよ。
そんなもん持ってても意味ないし。
どうせ自分の好きなようにやるしな。
というわけで、結局自分勝手に生きる!という内容しか書いてない気がするけどまあいいや。
書きたくなったから書いた。
未来にわくわくしてたい。
この記事へのコメントはありません。