疲れ果てて泥のように眠った翌日の、右も左も上も下もわからなくなる感じが好きだ。
眠りを貪って、頭の中がリセットされている感じ。
たくさん泣いた後のような感覚。
ふと思った。
15年前、俺はどちらかというとプラスよりマイナスを撒き散らす人間だったように思う。
今と変わらず滑稽で。。でも、自分らしくいた。
嫌われても、あ、そう。さよなら。
と口で言いながら帰って一人で泣くような、格好良さを勘違いした格好悪い男だったように思う。
「自分らしい」という事は、もしかしたらこの上なく大切な事なのかもしれない。
大概俺の「自分らしい」は人から理解されるようなものではない。
分かっているからこそ、大人になるにつれて出さないようになっていった。
昔は、これが俺だし。気に入らん奴は近づかんでええし。
くらいに思ってた。
今は、人と関わる時には出すべきではない、一人の時間で思う存分出せるのだから。
と思ってた。
2014年まで、プラスを意識してきた。
マイナスは心のそこからちゃんと排除するように努めてきたんだ。
そうすればすべてうまくいくと思ってた。
でも、そうじゃなかったと思う。
色んな原因はあるだろうけど、たとえ上手くいったとしても、その後もっとyesを言い続けなければならなくなっただろう。
違和感は大きなものとなり、自分の足を止めた。
感謝される事はあれど、陰口を叩かれるいわれのない人達の心なさに疲れた。
悲しいけれど、確実に届いてしまうんだよね。
誰が何を言ってたかって。
マイナスを出さないというのは、丸腰で国と国との交渉をするようなものなのかもしれない。
逆にマイナスを武器に戦うのは絶対に違う。
大切なのはバランスであり、本来の人間には正しいバランスでプラスとマイナスがあるのかもしれない。
それを無視した時に鬱になったり、心が砕かれてしまうのかもしれない。
人になんて思われようが自分らしくいること、とても難しいし苦難の道のように感じるけれど、きっとどの道を行こうが苦難はついてまわる。
慢性的な痛みか、急性的な痛みかの違いで。
人生を色んなアプローチで34年間やってみてるよ。
15歳までは自分とひたすら向き合った。
16歳から19歳までは欲望と向き合い自分を磨いた。
20代は本当にやりたい事を探し続けた。
その間でとんでもない失敗をいくつもやった。
心がやりたいと言う事は極力全部やってみたし勉強もした。
30代では20代の頃にはおきなかった出来事の連続だった。
20代中盤でプラスを意識するようになり、後半になるにつれてプラスを高めていった。
プラスの力で大きく成果を出す事もあった。
が、次第にバランスを崩していたのかもしれない。
プラスが魅力になるのはわかるけど、マイナスが魅力にあることもあるだろう。
何が魅力になるかというのは各人の個性によるのかもしれない。
俺が好きな人は大体どこか影がある。
表面的に明るくても、本当はとんでもない過去を抱えていたり。
まるで捨てられた子猫のような感じに心を打たれる事もしばしば。
34歳か。
プラスだけを追い求める事は去年からやめたんだ。
本当の自分というものに向き合いリアルな感情を感じるように去年から試してる。
何年もやっていた思考習慣というものはなかなかなくならないもので、顕在意識がやめようとしても無意識が邪魔してんだろうな。
でも、更に奥深くの意識が、バランスを求めてんだ。
自分の魅力ってよくわかんないし、もしあるとしたらそれは闇と向き合う能力なのかもしれない。
ずっと、光を拡張することが俺の役目なんじゃないかと推測してきた。
たくさんの闇を抱えた人と向き合ってきたけど、俺が関わるタイミングにない人もだんだんわかってきた。
全ての人と関わろうとするのはよくないということも知った。
在りの侭の自分と向き合ってみよう。
きっと、否定したくなるようなマイナスな側面も見る事になるだろう。
こんなに自分は最低だったのかと。
マイナスは深さに繋がるのかもしれない。
表面的な事しか言わない人って絡みたくないしね。
時間の無駄というか。
悪い言葉でも、リアルな感情が伝わってくる方が人間らしい。
自分にダメなところがたくさんあると理解しているからこそ人をジャッジするのはどうなんだろう。。って思ってきたんだけど、そもそも俺が俺の基準で生きる事が出来ないのなら変な話だ。
嫌われても、自分はこうだから。と、覚悟を持った人になりたいな。
誰かに都合よく生きてはならない。
自分の意思で、自分の事は決めていかなきゃ。
結果、やりたいことが誰かの都合のいいようになってたなら、そんな事はもう知らない。
自分がやりたい、その気持ちが一番だから。
静かな部屋の中、少し寒い感覚と起きた直後の気だるさ。
悪くない。
得ようとするあまり、捨てる事がおろそかになるのが自分の悪いところだな。
そういえば、昔は捨てられそうになったら(人間関係において)
自分が相手を好きだったら必死になってくらいついてた。
でも、相手にとっては迷惑でしかないよなって気づいたんだ。
気持ち押し付けんなよ!ってさ。
終わった話にしがみついてんじゃね〜よ!って思われてんじゃないかなって。
だから極力そういうのやめたんだ。
友達でも恋愛でもなんでもそうだと思うけど、相手の気持ちが冷めていたり他の方向にいってんのにそれにしがみついてしまえば、もっと嫌われてしまうのは当然の事。
例えば好きな人に他に好きな人が出来たとして、昔ならかなりしつこくしてた。
今だったらどうだろう。
相手に好きな人が出来たのなら、正直、自分の入り込める隙なんてないし邪魔者でしか無いわけだ。
そこでしつこくして関係性をぶち壊してしまえば、今後相手に好きになってもらえる可能性を自分で潰す事になる。
でも、相手の幸せを願い、身を引けば、今の時代先の事なんてわかんないよ。
自分だって心変わりするかもしれないわけで。
相手が結婚したとしても離婚だって珍しくない。
そんな、広い視野で見る事が少しだけ出来るようになっていった。
友達関係においても同じことかもしれんな。
相手に嫌われる事もあるだろう。
誤解を解くことも大切だろうけど、一回自分の誤解を解くために説明してそれでも分かってもらえなければもうそこから説明する事はしなくなったかな。
だって、誤解を説明するその言葉にまた誤解が生じて誤解の具合がもっとひどくなっていくから。
言葉っていうのは発する側だけではなくて受け取る側の能力や気分にも伝わるかどうかは依存するんだ。
相手も自分もベストな状態じゃないなら伝わるものも伝わらない。
それに、人というのは追われれば逃げたくなるものだ。
何をやっても無理な時は話せば話すだけ状況が悪くなる事だってある。
そんな時は適度な距離を意識するのが一番いい。
自分も相手も不快じゃない距離。
理解して欲しい気持ちはあっても、相手の言葉を自分が理解出来ない可能性だってあるしな。
人間関係とは本当に難しい。
だから、一人の時間では自分の心をしっかりと守ろう。
心がくたびれてしまった時は、コンビニのお姉さんに優しくされるだけで涙が出る。笑
他人なのに。笑
素朴な表情に癒やされる。
マチのほっとステーションですね。
そんな時に、疲れていたんだなぁってしみじみ思う。
自分ではそうなるまで気付かない事多い。
工場とか、自分が働きたくない環境でボロボロになりながら日銭を稼いだりした時も仕事終わってバイクに乗ったら涙が出てきたなぁ。
心が弱すぎるんだよ。
すぐくたびれてしまう。
それでもやっていくしかないからやってたけど、本来の自分は殺して思考停止させて頑張った。
もちろん、今はそんな状況ではないし、好き勝手やらせてもらってるんだけど、嫌なコトが起きるとどうしても。。ね。
ストレスに弱いんだな。
自分の心は自分で守っていかないと。
同じように、人にストレスをかけてしまっていることも多々あると思うんだ。
だから、適度な距離をちゃんととっていこう。
人に迷惑をかけたいわけじゃないし、嫌な思いをさせたいわけじゃないんだ。
いつだってそうだ。
誰もが心地よくいられたらいいなぁ。って思う。
出来ることならみんな仲良しさんがいい。
でもそれは俺の力では難しいわ。
だから、攻めて小さい場所ではどうにかその中だけでも仲良く出来ないか。。と思う。
1対1の関わり方しか俺よくわかんないんだよね。
他の要素が入ってくると、どうしても影口がどうとか、なんか複雑になってしまってそういう耐性ないんだろうなぁ。
だから過剰に反応してしまう。
影口を叩くなら俺の耳に入らないようにしてくれたらいいのになぁ。
っていうか、嫌いなら関わらないでくれたらいいのにとよく思う。
もっと、自分の心に耳を傾けてみよう。
マイナスやプラスのジャッジを自分でするのではなく、ありのままいたなら、それが気に入らない人は近づいてこないだろうし、それを肯定的に捉えてくれる人はもっと仲良くなれるのかなぁ。
やってみないとわかんないや。
もともとバカだからさ。笑
想像するよりやってみるほうが早い。
だからたくさんの物を失ってきただろうし、不器用だなぁと思う。笑
ほんまバカ。
自分らしくいたいな。
いつもさ。
せっかく自分の考えがあるんだから。
それが邪魔になるような仕事はしたくないよ。
そんなものはロボットにやらせればいい。
オレがやることじゃないんだ。
今は自分の属性を変える作業だ。
古くなった考えを捨てて今なりたい自分になる。
マイナスを出すことを恐れないようになりたい。
嫌われる事が、悪ではないだろう。
嫌う事も、悪ではないだろう。
個人の感じ方だけじゃないか。
人間に備わった機能だ。
進化の歴史の中でなくならなかったのならば必要な機能なのだろう。
プラスもマイナスも人間には備わってる。
だとしたら、使ってみよう。
「いいマイナス」と「悪いマイナス」があると思うんだ。
もちろん、それも感じ方だけなんだけど。
魅力的な人のどこが好きかって、「ダメなとこ」だったりする。
人間として未熟なところが可愛らしくて好き。
でも、不思議なんだけど、あの人の未熟な所は大嫌い!
この人の未熟なとこは可愛い!っていうのがある。
本当に不思議。
その違いがわからないからマイナスを出すのが恐いんだ。
嫌われるんじゃないかと。
でもよく考えたら好かれる可能性も放棄してんだよな。
何もない人になってるだけだ、今は。
もっと有機的に生きたいんだ。
だとしたらやはりマイナスな部分もあったほうが、人間らしいというか「人間くさい」よな。
そのほうがいいんじゃないかと思った。
俺頭がかたいおっさん大嫌いなんだわ。
そういうやつに自分がなってしまうのが恐いというのもあるんだと思う。
若い時から頭がかたいおっさんマジ嫌いだった!
押し付けんじゃね〜よ!
お前の過去の自慢話なんてマジどうでもいいから!!
って思ってた。
そんな自分が嫌いなおっさんには本当になりたくない。
俺は嫌いだけど、他の人は好きかもしれないのにね。
まあ、自分はなりたくないっていうのは変わらないけど。
自分のリアルな感情に耳を傾けよう。
ジャッジはせずに。
この記事へのコメントはありません。