弱者と呼ばれる立場の人を救ってあげたいという純粋な気持ちを持った人が陥ってしまいそうな罠について書いておこうと思う。
弱者と呼ばれている立場の人には2種類いるんじゃないかと思ってる。
すべてを人のせいにしてしまい、成長しようともせずずっと「誰かが助けてくれないのが悪い。」と思っている人。
こういう人は行政に対する悪口が口癖。笑
気持ちは分かるんだけど、なんていうんだろう、全部が全部行政がやってくれるわけじゃないじゃん。
行政の至らない点は確かにある。
ただ、それに対してどう思うかって人それぞれよな。
俺が危ないと思うのはこういう人の精神姿勢なんよ。
何ができるとかできないとかそれ以前の話で、なんか全部人のせいにしてるように見えてさ。
これ、マジで健常者とかしょうがい者とか年齢とか性別とか国籍とか全く関係ないと思う!
で、厄介なのは社会的弱者と呼ばれている人達にも当然、このタイプが存在しており、自分は社会的弱者だから差別されてるとか思っちゃうところ。
そうじゃないんよ。あなたを助けたいと周りが思ってくれないのは、あなたの内面にある。といつも思う。
こういう人を見たときにね。
相手の時間を奪っていること、労力を奪っていること、相手の精神を削ってしまっていること、どうしてそういうことに無頓着なの?
きっと人一倍辛い経験もしてきたでしょう。
だから分かるはずなのに。
自分は不幸な人間だから何やってもいいと、仮に思っているのだとしたらそれはマジでおかしいと思うし、そんなやつ関わりたくないでしょ。
親切な人は世の中にたくさん存在するんよ。
それなのに孤立してしまうには理由がある。
分かってないやつが一番ヤバい。
分かってて孤立するという選択肢をとるなら、それはそれでありだと俺は思ってる。
上手に生きられない人もいるでしょう。
俺もその1人。
完全に孤立したいわけではないが迎合しまくるのは違うと思っているので。
心から人を救いたい、助けになりたいと思っている人達が、こういう人に精神を削られてるのをよく見かけるよ。
優しいから無碍にはしないけど、態度にちょっと出してくれてるよ!笑
空気読んであげて。笑
言わせないで!笑
きっと、すごく悩ませてると思う。
本当に心が優しい人、心から人の助けになりたいと思っているその人は偽善じゃなく本心だよ。
だけど、俺は誰に対しても同じように接することはできないと思ってる。
俺も昔はすべての人の助けになりたいと思ったし救えることがあるなら救いたいと思った。
でも、消耗した。
上述したような人のせいばかりにしている孤独な人は無限に優しい人のエネルギーを吸い尽くす。
際限なく。
そのことに気付いて、「あ、無理なんだ。」と俺は思った。
他の人が出す答えは分からないよ。
でも、相手にしていい人とそうじゃない人がいるんだと思った。
俺が助けになれるとしたら、快適に関われる人の中の社会的弱者と呼ばれる人だけなのだと思った。
キレイ事抜きに言ったらね。
話が平行線になる人もいるし、そもそもまともに関わろうとしていない人もいる。
人のせいにばかりして社会のせいにばかりして自分自身の問題点を見ようとしない人がいる。
搾取されるために優しくするわけではないじゃん。
自分が寂しい思いをしたり辛い思いをした分だけ気持ちが分かるからどうにかしてあげたいと思うのは俺も同じだよ。
でも、まだ関わるタイミングにない人というのは存在する。
会話が成立しないんよ。
そういう人とは関わらないと決めた。
冷たいのかもね。
でもさ、なんの生産性もない平行線の話をする時間があったら運悪く孤立してしまった人を助けたほうが良くない?
というか、自分の人生をかけて救い出そうとする覚悟を持ってるなら平行線の話にも一生関わってあげたらいいんだと思う。
俺は無理だった。
自分の人生を生きたい。
そこが俺の「底」だったんだと思う。
俺の周りには本当に親切な人がたくさんいてさ。
相手が喜んでくれたら幸いと思って行動してる。
そういう人、すごく好き。
純粋。
優しい。
だから上述したような俺が関わるべきではないと思ってる人達に精神を削られないでいてほしい。
できることなら。
言い負けないために嘘をつくひととか、絶対バレる嘘(発表会があってできない楽器をできると言い張り本番迷惑をかけるなど。笑)をついたり、自分を大きく見せるために大半嘘のようなことを言う人とかには気をつけたほうがいい。
質問したことと答えが全く違う人もちょっと危ない。笑
単純にコミュニケーション能力の問題ということもあるけど。
過去に関わったヤバい人に共通する項目。
こういうことも全部踏まえて、それでも自業自得で孤立した人を全力でサポートしたいと思う親切な人がいるなら、俺はその親切な人の心のケアはしたいと思うよ。笑
特に友達や大切だと思える人なら。
自分の活動の中で、もう何百人、何千人っていう単位でこの20年くらいの間にいろんな人と関わってきた。
その中には想像を絶するヤベーやつもいっぱいいた。
関わった時点で不幸が訪れることが確定するんよ。笑
その経験も踏まえて、ヤベーやつを救おうとしてる人の心は守りたい。
あと、一回やると決めたことを途中で投げ出したり変更したりしても全然いいんよ!
それだけは言いたい!
一度言ったことを成し遂げる人は立派だけど、やってるうちに時代も変化するし答えも変化するでしょ。
だから、当時の答えや感じ方と今違うのに、過去の自分の発言に縛られるのは勿体ないよ。
柔軟にいこ。
そんなことで嫌う人や文句言ってくる人おるならスルーかブロックでいいでしょ。
いろんな価値観の人を周りに置いておくのは本当に危ない。
縁が切れることも大切。
合わない人とはね。
継続すればいいというものではない。
俺は身近に居てくれる親切な人と末永く共に楽しみたい。
守れることがあるなら守りたい。
俺が自分の活動にこだわるのは、結局自分の活動内でしか守れないと思うからだよ。
平行線になった話に終止符を打てるのは自分の活動の中だけじゃん。
自分の活動の決定権は俺なんだから。
オープンな場では決着がつかなくても、強引に決着をつけれる。
そうしないと価値観が多様化した時代、話が前に進まないでしょ。
すべての人の意見を参考にすればするほど平均化されるわけだから。
俺の周りで心が疲弊してる人がいるといけないと思って書いといた。
力になり続けてくれてる人が幸せだといいなといつも思う。
いつもコミュニケーションや連絡を頻繁にとっていなくても大切だと自分が思う人が幸せだといいなといつも思う。
俺にしてくれたことは、ずっと心の中に残り日々感謝の気持ちに繋がってる。
思い出すたびに「あの時はありがとう。」と言ってる。
優しい関係性が好きだ。
優しくなれるかどうかは相手が誰かというのも少なからず関係するじゃん。
もちろん、できるだけ接する人すべてに優しくありたいけど、失礼な人に優しくなんてしたくないし。
そこまで心は広くない。
等身大の自分でいることが、自由に考えをこうして書くのに必要なことだと思った。
いい人だと思われてたら書けないこともあるしな。
いい人ではないから。
いい人であることを捨てるのと引き換えに棘を手に入れた。
この棘は自分を守り仲間を守り関わるべきではない人との壁となる。
関われば憎しみ合うことになる。
だから関わらないのが最善。
誰のこともできるだけ否定したくないからな。
ただ、棘は必要な時は使う。
いい人であろうとすればするほど、弱い場所に追い詰められることが分かったので。
いい人にはならない。
自分の中に白い心と黒い心が両方存在する。
ありのままを表現する。
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