ミルダムの配信者ランクがC2まで落ちてしまった。
1日平均10時間から14時間、日々配信し続けてそれなんだから誤魔化しようのない現在の状態だと思ってる。
そこまで打ち込める事があること、打ち込もうと思える心は幸せだと考えてる。
しかし、この結果では当然、現在の生活を維持し続けることは出来ない。
不本意ながら結果が出せないやつは生活費を稼ぐ事を目的として働かなくてはならなくなる。
人には価値を生み出せる分野とそうじゃない分野があると思うんよな。
生活費を稼ぐ事を目的としてなにかやるという事に昔からすごく違和感を感じていて、とても苦手だ。
生み出す価値は、ただちに金額に換算されるものではないと思ってる。
どれだけ形にしにくくても、自分の思った道を真っ直ぐに行きたい。
しかし、自分以外の人達から望まれていなければそれすらままならない。
自分が自分として自分らしく生きるということと、誰かの需要を満たせるかどうかというのは別問題。
俺の場合、誰かの需要を満たす事を目的とするのではなく、圧倒的に自分の感覚を楽しむ事で人を引き寄せてきた。
どの時代もそう。
クオリティやサービスではない。
だから、誰かが期待するものを作れるかどうかって別の話なんよな。
一般的な仕事って、求められた事ができるかどうかという事が基準になるじゃん。
俺の場合、なにかやるときにまずどうやったら失敗するかみたいな事を実際にやってみて経験から積み上げていく。
そのプロセスは、雇われでは絶対に許されないものだとわかってる。
でも俺には必要で、一度どうやったら失敗するかという事を知っておく事で致命的なミスを永続的に減らせると思ってる。
変な考えだとは思うんだけどね。
旧型AIのような人間の俺はそんな不器用な方法でしか学べないんよなぁ。
失敗しようとしているのではなく、結果的にそうなるっていう話なんだけどね。
こうやったらどうなるんだろう。。っていう探究心の繰り返し。
この繰り返しの作業が楽しくて。
楽しさの中、自然に学んでいく。
その感覚がすごく好き。
必要だからしょうがなく詰め込む。。じゃなく、必要だと実感しておもちゃを手に入れるように知識を求め身につける。
それが本来の俺のあるべき姿であり、しっくりくるスタイルなんよな。
自分のペースでやれることや、自分の領域の中ではそれが可能なんよ。
誰かのペースでやらなければならないことや、誰かに許可をもらわないといけない事では本領発揮出来ない。
遠慮や忖度が生まれた時点でつまらないものになってしまう。
だから、好きな事でも仕事になると急につまらなくなったりしてしまう。
自分の感覚で好きにやれる事じゃないと無理なんだ。
金にならない男だよね。笑
俺がいつも自分の活動にこだわるのは、そういう理由からでもある。
単純に、自分の活動じゃないと力が発揮できないと分かっているから。
好き勝手やれる環境じゃないと力が発揮出来ないというわがまま。
いうて、対して力を発揮出来てないから配信者ランク落ちるわけなんだけど。笑
配信に関しては、行動はそこそこやったと思ってる。
寝るか配信するかくらいの感じでやってたから。
俺は俺として生きたい。
ずっとそう叫んでる。
子供の頃からずっと。
どうやったらいいんだろ。
むずかしいね。
この年になっても、まだ見つけられてないよ。
うまく行きかけては崩れていく。
掴みかけてはこぼれ落ちていく。
その切なさを何度感じてきたんだろ。
基本的には前向きにやっていってるけど、一度闇に目がいってしまうと、壁を殴りたくなるくらい悔しくて情けなくて。
笑ってなんてられなくなる。
自分の実力のなさにもうんざりだ。
それでも、どういう自分でも見捨てず寄り添い生きると決めた。
どんなときも自分自身の最後の絶対的な味方は自分自身しかいないと感じた事があるので、そこは絶対にそうしようと思った。
わがままで自己中心的な自分自身の願いを心から寄り添って100%聞いてあげられるのはきっと、自分自身しかいないのではないかと思う。
甘ったれた事を考えてるなと思うことだってある。
自分でね。
だから長い間、本当の願いは口に出せなかった。
実力もないやつが自分らしくいたいだなんて、100年はえ〜よってね。
世間の声はそうだと思う。
本心っていうのはいつだって、客観的な視点と大きくギャップがあるものだ。
飾らない本心は、とても柔らかい感情で赤ちゃんの肌のように繊細。
すぐに傷ついてしまうので恐くて露出なんて出来ないよね。
叩かれやすいものだったりもするでしょ。
でも、あるとき”だからこそ”出せるところまで出したほうがいいと思ったんよ。
そこに俺の価値があるのかもしれないと。
口に出せない本心を、甘ったれた本心を子供のように無邪気に出すことで、誰かの代弁になるかもしれないと。
猫ちゃんが愛されるのは、”本当はそうしたいけど出来ない。”という自分を投影するからなんじゃないかと思う。
自分の代わりにのんびりしてもらってるという感覚。
そう感じたことない?
ご飯を美味しそうに食べてくれたら嬉しい、たくさん快適に眠ってくれたら嬉しい、少なくとも俺は猫に対してそんなふうに思ってる。
あと、猫に優しい人を見ると「優しくしてくれてありがとう。」とよく思う。
本当何目線だよwwって思うんだけど。笑
きっと、自分を投影しているからなんだと思う。
猫のような存在が快適に生きる事に希望を見ているのだと思う。
ありのまま生きる存在は、価値を生み出そうとしなくても、その存在自体に価値が生まれるんだ。
究極な話だけど、そう感じていて、そうなりたいんだと思う。
あの人みたいになりたいという存在を目指すのではなく、あの人に幸せでいてもらいたい、快適でいてほしいと思ってもらえるような存在を目指す。
その方法として、ありのまま生きてピンチになったらそれすらさらけ出し、受け入れ生きていくことなのだと思う。
情けないしカッコ悪いところもたくさん。
だからわざわざ配信者ランクがC2にまで落ちた事をこうして時間を使って書いてる。
自分の実力の無さを自ら周知徹底しにいってる!!笑
お見知りお気を!!
人との相性って、パズルのピースというよりも俺は”鍵”のほうがしっくりくるんだけど、この鍵の輪郭を出来るだけ表現しておいたほうが深い部分で分かり合える人と出会う確率も高くなると思ってる。
癖がある部分こそ出しておいたほうがいい。
その部分が原因で人が離れていくこともあるだろうけど、その部分が理由でこだわってくれる人が少数出てくる。
深い部分で理解し合える人は強い。
合理的な考えを超えた部分に人間の本当に面白い部分はあると思ってる。
本来、社会性のない人間なので、後天的に身に着けた付け焼き刃の客観視で時々自分自身を見てしまうけど、それも本当は不要なのだと思う。
めちゃくちゃな荒波に揉まれながら何度もピンチに陥りながら命からがら生き延びていくくらいがいいんだろうね。
自然に生きれば俺はそんな生き方になってしまう。
1ヶ月先が見えない現状だけど、眠りにつくときは本当に本当に幸せな気持ちで眠りについてる。
「今日も幸せな日をありがとうございました。」と。
明日のことはわからないけれど、とにかく今日幸せに過ごせたことに感謝して1日を終える。
その繰り返しが人生だとしたら、結果的に1日1日を幸せにすごす事が人生を幸せに過ごす事になるのではないか。
いつまでこうしていられるか分からないけれど、思う存分配信をして自分らしく生きられる日々というのは本当に幸せだよ。
好き勝手生きていくのはおもろい。
改めて、自分の生活力の無さに愕然としてるけど、ありのまま生きる事が使命の人間にとって、ピンチですらコミュニケーションの方法の一つなのかもしれない。
猫ちゃんのように、お腹が空いたら物欲しそうに誰かをジーッと見つめるほどの自分らしさはない。
あれで可愛らしいと思ってもらえる猫ちゃんは、やはり天才だ。
”喜び力”ってあると思う。
動物が幸せそうにご飯を食べたり眠ったりしている姿には魅力があるよ。
人もそう。
そして、”幸せにしてあげた”という実感も幸せの源。
”幸せにしてあげた”という実感を得ようと思うと、幸せにしてあげる対象が必要であり、誰もが自立して幸せにしてあげたいと思う側の人達だけだったら成立しない。
だから、世の中には一定数俺みたいなやつも必要なのかもしれないと、都合のいい事を考えてみる。
必要であろうとそうじゃなかろうと、俺は俺を全うするだけなんだけど。
こんな感じだから周りに優しい人しかいないんだろうな。
優しい人じゃないと成立しないよね。
俺は好き勝手生きる、興味を持ってくれたなら色々助けてくれ!というメチャクチャな言い分。笑
お前しか得してないだろ!っていう。笑
自分勝手に生きるからこそ、表面上ではなく心からの感謝の気持ちであったり、大切に出来るかどうかは別として相手を大切に思う心は持たないといけないと思ってる。
幸い、これに関しては持ち合わせてると思う。
人にこだわりもあるし、湧き出る感謝の気持ちはまさに無限。
そこに関しては才能がある。
あと、信頼できる人については、その人のどこがどう素晴らしいのか語れるくらい人として好きになる。
面白いと思う相手についても、どう面白いのか説明出来る。
人にこだわりがあり、リスペクト出来るからコミュニティに出来るのだと思ってる。
夏が来たね。
毎日蝉の声が聞こえる。
窓閉めてるのにこの大音量すごいな。
動物も人間も、ありのまま自分らしく生きていけたらいいな。
どれだけ誰かが否定したり馬鹿にしてきても、本質的には他人の意見なんて関係ないよ。
自分がどう感じ、どう生きたいか。
一旦、すべての拘束を外して考えるといいよね。
なりたいものになれると信じてる。
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