これはすごく偏った考え方かもしれないんだけど、感じたままに残しておこう。
何度か感じたことなので。
人との関係性において、相手を幸せにすることもあれば不幸にすることもあるよね。
俺と関わるようになって物事がうまくいく人、俺と縁が切れて不幸になる人がいるように感じた。
本当自意識過剰だよね。笑
そう思うんだけど、結構こう感じることがあって、その理由について考えてた。
俺はコミュニティを形成して人と関わる。
そのコミュニティの中に入るということは、関係性を構築しやすくなるということでもあるんよな。
俺が快適に関われる人なんて限られていて、それはもう素敵な人達ばかりなんよ。
少なくとも、俺から見るとね。
その厳選した”いつメン”は、どこに出しても恥ずかしくないと思えるほど自信を持って面白い人だ。
人間性もいいし優しくて善意のある方々なので、そりゃある程度の人はその中に入れば心地良いに決まってる。
そこで人間関係を構築するなんてかんたんすぎるんだよ。
だって、素敵な人しかいないんだもの。
俺のコミュニティに入って、自分で人間関係を構築したと勘違いする人がいる。
俺が普段から環境を整えているその中に入って、関係性を構築できるのは正直当たり前の話。
人間性で選別してめんどくさい人やネチネチしてる人を排除したあとに入ってきてるんだから。
想像力がない人は、そんなことにも気づかずに自分の力で上手に関係性を作れたと錯覚してしまうんよな。
この原理でいくと、俺が形成したコミュニティに入る人は優しい人達と接することができるのでそりゃ幸せを感じられるでしょ。
で、俺と縁が切れた人が不幸になっていくのを何度も見たけど、それは俺が貶めてるわけではなくて(そんなしょうもないことに時間使わない)、そいつが現実に戻るだけなんよな。
もともとの個人のコミュニケーションのレベルで関われる範囲の人たちとしか関われなくなるというだけの話。
あと、「なおきちさんの繋がりの人だから。。」ということで大目に見てもらえてた人も、大目に見る必要がなくなるので周りが急に冷たくなったと感じることもあるじゃろうな。
これらは俺が操作してるわけじゃないんだけど、結果的にそうなるわな。
個人として接してもらっているようで、実はコミュニティや関係性に守られていることってあるよ。
お店に連れて行ってもらって、常連さんの連れの方だからということで手厚くもてなしてもらうこととかあるじゃん。
あれと同じ。
あれは連れていってもらった方がすごいんじゃなくて、普段からお店と信頼関係を作っているその人がすごいんよ。
コミュニティの中では同様のことが連鎖的に起きてる。
そういう場に感謝することなく、自分の力で関係性を作ったと勘違いするやつはだいたい、コミュニティを蔑ろにして自分中心でなにかやろうとする。
コミュニティの中で作った人間関係で。
それをやりたいなら0から別で人間関係作りなよ。と思う。
もしくは、話を通して共同でやるとか。
過去に関わった人を振り返ってみたら分かるよ。
俺が過去にガッツリ関わってきて、今成功してるのって、まさに俺をたてながら俺のコミュニティで共同でやってきた人だけ。
何度も俺は人に力を貸してきたけど、今繋がっている人なんて一握りよな。
感謝の気持ちを持たない人、人を貶めて相対的に自分の価値をあげようとする人、様々なパターンの人がいた。
あと、ちょっと怖い話になるんだけど、感謝の気持ちを持っていない人って結構早く死んでる気がするんよなぁ。
もちろん、俺がなにかしたわけじゃないよ!
偶然なんだろうけど、まだ死ぬような年齢じゃないはずの人たちが何人か。
いずれも、欲張ったり感謝の気持ちを持たなかったり勘違いしていたり。
俺のコミュニティ内でうまく立ち回ろうとして俺のことを悪く言っていたり。
あと、うまくいってたはずの活動が、俺と縁が切れてから活動不能な状態になったり。
偶然だとは思うんだけどね。
でもなんかそういうことが多くて。
俺、スピリチュアル的なことはあまり信じていないほうではあるんだけど、こういう力については少し感じることがある。
気のせいだといってしまえばそれまでなんだけど、俺と良好な関係を作っている人はどんどん幸せになっていき、感謝の気持ちを持たずめちゃくちゃにしようとする人はどんどん不幸になっていく。
くれぐれも、俺が影でなにか指示をしているとか手を回しているということはないので悪しからず。
そんなレベルじゃなくどうしようもない事が起きて上手くいかなくなってるようなので。
だから不思議な力を感じるというか。
人間が動いてどうこうできるような力じゃない。
そして俺自身はというと、年々自分らしさを取り戻していって、どんどん本来の自分になっていってる。
そのうえで自然に関わらせてもらっている人たちに毎日感謝する日々だ。
表面上感謝の言葉を言ってるんじゃなくて、俺の生活自体がもう周りの人達に支えてもらっているような状況になっているから、心からの感謝の言葉が自然に出る。
自分らしくいること、その上で感謝の気持ちが循環していくコミュニティになっていること、それが素晴らしくて。
俺は器の大きな人間ではないので、俺が関わっている一番近い人達の幸せを一番に考えるよ。
目の前の人達、仲のいい人達が幸せだといいと心から思ってる。
その他の人たちがどうでもいいというわけではなく、ね。
本当偏った感じ方なので、いくらこのブログといえど今回のことは書こうか迷ったけど、結構感じてることなので書いてみた。
俺を取り巻く見えないチカラって、すごいパワーがあるような気がしててさ。
何度か書いた龍の存在。
あれ、信じたその時からずっと続いてるんだよね。
そしてあの日から感謝し続けてきた。
めちゃくちゃ大きな力だったりして。
”スピリチュアルはあまり信じてないんだけど”という人間が、唯一くらい感じている力。
それはもう、スピリチュアルなんよ。。笑
俺を貶めようとしたり不幸にしようとする人には、強い力が働いている気がする。
同時に、親切な人や善意に溢れている人のことは、どこまでも幸せにしていく気がする。
人には本来、超能力が備わっているという話もあるよな〜。
都市伝説好きなので、半信半疑で聞いてみたりするけどさ、こういう力を感じるときにちょっと「そうなのかな。」と思う。
さすがに人が死んだりするのは偶然というか、そういう人間性の人の日常のストレスはすごいだろうし、俺がどうこうというよりもその人の日々の積み重ねではあるんだと思うけど。
俺は人の不幸を願うことはあまりない(距離を取るから)けど、身近な人の幸せは毎日願ってるよ。
こんなにも善意で溢れている人がいつも笑顔でいられますようにと。
幸せの総量が決まっているなら、当然幸せを願われている人から幸せになっていくでしょ。
俺は全力で、身近な善意ある人の幸せを願い続ける!
合わない人や悪意ある人とは距離を取るけど、それでも攻撃してくるなら生霊を飛ばせるものなら飛ばしたい!!笑
基本的に誰のことも恨みたくないし、憎悪の感情を持ちたくない。
でも、窮鼠猫を噛むじゃないけど、追い詰められたら正直どうなるかわからないよ。
呪いでもなんでも使えるものすべて使って反撃すると思うよ。笑
先日、絶対に怒らせたらいけない人を怒らせちゃう人っているよね。っていう話をしててさ。笑
普段穏やかで優しい人ほど、怒らせたらヤバイよっていう。
光と影は表裏一体なので、光が強い人が闇に転じたら誰も止められないもんな。
一番イヤ〜な攻撃してくると思うよ!!笑
そして謝っても許してくれないという。
味方として心強い人が敵に回ると厄介というのも頷ける。
普段、争いを好まない人は、争えないのではなくて、争っちゃうとその人自身歯止めが効かなくなるからという可能性もある。
出来ないんじゃなくて、やったらやりすぎちゃうからやらないようにしてるという可能性。
優しい人は追い詰めちゃいけん。。
俺も普段、自分の強すぎる憎悪のような感情には、自分自身触れないようにしてる。
底のない憎悪に飲み込まれてしまう可能性があるから。
深く暗い闇があるから、周りを照らせるような光を放てる、そういうものなんだと思うよ。
光も闇も、同レベルで存在する。
普段、物事に肯定的で合わない人と関わらないというスタンスの俺も、一度粘着しだしたらヤバいんだと思う。
全身全霊をかけて引き釣り落とそうとしてしまうのかもしれない。
そんな自分が嫌だから、関わらないという選択をとるのだと思う。
不毛だしね。
楽しいことに時間使いたい。
ただ、一度スイッチが入ればそのあとは知らない。
スイッチは入れたくない。
優しさに溢れる場所がいい。
お互い様精神を持ってる善意溢れる人たちだけと関わっていたい。
その関係性の中では、対立もほとんどないしコミュニティとして関わっていてもメンバー同士の対立がない。
あ、あれかな。
憎悪をぶつけようとしてくる人の力をバリア的なもので跳ね返してるのかな。
だから、攻撃してこようとしたり貶めようとする人が失脚していくのかな。
俺は何もしてないのに本当不思議で。
実は、裏で熱狂的な信者が人知れず手を下してたらこわいよな。笑
急にホラー!!
なんか身近な人が幸せになる一方、縁が切れた人からあまりいい話を聞かないので、感覚的に感じていることを書いておきました。
本当、結果、自意識過剰でしかないんだろうけど。笑
引き続き、楽しい日々を過ごそうっと。
いつも関わってくれている方々、ありがとう。
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