先日、ローカルのグループでクローズドなコミュニティに対して支援を募った。
9000人近くいるメンバーの中でほぼ反応はなく、反応をくれたのはいつも支援をしてくれている方々だった。
何を隠そう、俺が一番価値があると思っているのはこのクローズドなコミュニティであり、最終的に様々な人の居場所になったりプラットフォームになる可能性を秘めているのは他でもないここのはずだった。
参加するハードルをある程度の高さに設定した上で、メリットを求めずに入ってくる人。
いつも言ってるけど、俺が得したいからこういう立て付けにしているのではなく、構造上こうしておかないと搾取しようとする人が入ってきやすくなるから。
これで成立するグループであってほしかったけど難しいようだったので、まだ早かったかと感じた。
その時、一人だけ実際に支援してくれようとした人がいる。
その方にも、他で集まらなかったのでまたいつか提案させてもらうと思うので今回の事は忘れてくださいと伝えておいた。
俺が得したいだけだったら、普通に受け取って二人でやればいいけど、親切な方を損させるわけにはいかない。
個人的なやり取りならやってるので。
親切な人にはいつも快適に居てもらいたいし、得してもらいたいし優しい気持ちでいてもらいたい。
それから数日。
3000円の支援のお礼としてのフォトブックを求めてくださったので、ご入金を待ってた。
すると、かなり多めに入ってた。
間違いだったらいけないので、多めに入っていました。と伝えた。
すると、あの時支援すると心は決まっていたので使って下さいとの事。
マジかよ。
すごすぎる。
自分が何より価値がある物に発展すると信じているものを提案して、理解されなかったあの時の自分が報われた気がした。
分かってる。
これは、あの時の理解ではなく日頃の「管理おつかれさま。」という意味合いだということも。
それでも、普段ほとんど誰からもねぎらいの言葉をもらう事もなく愚直にやり続けていた事が無駄じゃなかったんだと思えた。
分かってくれている人はいる。
そして、支援してくれている方々はねぎらいの気持ちを込めて支援してくださっているというのが伝わってくる。
もちろん、労われたくてやってるのではない。
そんな理由だったらとっくに継続出来なくなってると思う。
誰にも理解されなくても誰もついてこなくても、一人でもやる。
俺の活動はそうして始まったし、だからこそ言える事があるけど、やはり理解してくれる人がいるというのはあたたかいな。
言葉だけではなかなか人を信じられなくなってしまった自分にとって、身銭を切ってくれたり実際に行動してくれる人の信憑性の高さは救われる。
オンライン上でも信頼関係が作っていけるというのは、感動的だよ。
大切なお金を分け与えようと思ってくれる事。
それは、一種のファミリーのようなものだと思う。
他人にお金をあげる事ってあまりないじゃん。
相手を思うからこそでしょ。
オンライン上で関係性を作っていって、温度を感じられるお金を受け取れたことは本当にすごいと思ってる。
今、ちょうど一年前に東京旅行に招待された時の思い出を愛でる日々。
あの時こうだったね、こんな事があったねと語り合える関係性の人がいるのってとても幸せなことだな。
俺はたくさんの人と関わる割に、長く関われる人はそんなに多くないから。
どんどん自分が前に進んでいくので、立ち止まっている人とは関われなくなるっていうのもあるだろうし、逆もまた然り。
深い部分で理解し合える人達とじゃなければ数年単位でさえ関われない。
もちろん、俺の性格がクソだからっていうのもあるのかもしれない。笑
そこは考えても仕方がないので、知らない。
支援してくれた方とやり取りしてたら、「仕事は1つ○○円の物を作ってます。その中でお金を作って支援しました。」と言ってくれた方もいた。
時給換算していくらくらいなのかは聞かなかったけど、恐らく内職のような事をされているのかな。
その中で3000円の支援ってすごく大きい。
逆に心配になって、必要であればウェブライターの仕事の取り方とか教えようかと思ったくらい。笑
でも、逆に怪しまれそうだったので一応提案だけして深くは話さなかった。
知らない事って怪しく感じちゃうじゃん。
別に教えても俺が何か得するわけでもないから、完全に相手の事を思ってなんだけどそもそも求めてないかも知れないしな。笑
必要であればどうぞという感じ。
自分でいうのもなんだけど、俺は支援してくれている人には割と親切なんだよ。
損得じゃなく動くからな。
そのためにもやはり俺は動けるだけの余裕がないとな。
支援だけで回るようになったら、別に俺のスキル全部支援してくれてる人に使ってもいいわけだもんな。笑
それで全体がざっくり得したり価値が生まれたならいいじゃん。
俺はこんな感じだから生活していければなんでもいい。
うだうだ言われない環境でのびのび生きられるなら、いくらでも協力するし、それが活動の一部になるだろうしな。
はやくそういう未来を迎えたい。
報われないはずの事が、誰かの想い一つで報われる事ってあるんだな。
誰かの優しい気持ちと行動で、絶望的な気持ちが晴れやかな気持ちになる事ってあるんだな。
お金は心を救う事もあるよ。
お金を道具として見た時に正しい使いみち、効果的な使いみちをする方からはいつも学んでる。
美しいお金の使い方をする方って、本当に優しい人が多いから。
自分が得する事に使うというより、気持ちを伝えるためだったり相手の事を思ってだったり。
世間一般では、それをお金で示すのはおかしいみたいな風潮があるかもしれないけど、なんだろう、俺は素直に嬉しいけどな。
お金を特別視していないからだと思う。
必要なものだから、必要なものをくれる人に対して心からありがとうって思うの当たり前じゃん?
ないものをくれるんだから助かるよそりゃ。
そんな子供のようなシンプルなものの捉え方でいいと思うんだけど。
誰もが心が苦しくならないように、自分らしく生きられる世の中だといいなっていつも思ってる。
俺もそんな世界観の中で生きていきたいし、生きていくと決めてる。
そんな世界はどこにあるの?って思うかも知れないけど、そんな世界は俺が作るよ。
世界全体を変える事なんて出来ないし、しようとも思っていないけど、小さな小さなコミュニティの中で世界を作る事は可能だよ。
それが好きな人は残り、嫌いな人は入ってこれない場所。
本来、そうあるべきなんだ。友達同士ってそもそもそうじゃん。
無理に嫌いなやつグループにいれないでしょ。
当たり前なんよ。それでいいんよ。
それがネットになると分かりにくくなるだけで。
小さなコミュニティの中で理想の世界観を実現する事は可能。
その軸として俺は俺の価値観を使い、判断していく。
根本から感覚が合う人だけが残っていく世界。
俺は好きな人達至上主義だし、恩を感じている人には何かしらしたいなぁと思うので、それで回っていくと思う。
大きくはならないだろうけどね。
数はいらない。
狭く深く。
不思議なもので、支援してもらう事によって支援してくれたその人との関係が深まっていったり関係がスタートしていく事ってあるね。
やはり定期的に支援してくれているということは、特別感を感じてくれているのだと俺も感じられるから、そこから始まってこだわりを持ってくれている人にこだわりを感じていく。
おもしろいな。
年齢も性別も関係ないもんな。
多く持っている人が、持っていない人にあげるみたいなシンプルなやり取りが成立するのって、搾取しようとする人が入っていない場合のみ。
あつ森のオンラインマルチの世界観よな。
仲いい人同士でやると、だいたい余ってるもののやり取りや持っていないものをもらったりあげたり、触ったり(一度触ると自分で買えるようになる)。
あの感覚って理想に近い。
すごく爽やかで、善意に満ちていて心地いい。
一人でもマナーを守らない人がいると台無しになる。あの感じもそうね。
すべての出来事は教えてる。
例をもって。
そこからどう学ぶかなんだろうな。
だからあつ森やマイクラからも学んでるよ。日々のやり取りの中で。
そう考えると、自分の活動は自分を成長させてる。
活動を通じて関わっているメンバーと共に成長していけたらいい。
遊んでいる中で。
子供と同じね。
子供は遊びながら学ぶ。
協調性や友達の大切さなど。
時に喧嘩しながら。
自然体で接して成立する調和の取れた世界。
それが理想であり叶えるべき場所だな。
だから俺を固定概念にしばりつけようとしたり常識を押し付けようとしてくる人は不要なんだよな。
意味ないしそんなの求めてない。
その先にはつまらなくなる未来しか見えない。
理解されにくい事も、自分だけの感覚だと思っても、臆することなくこのブログには書いていこう。
自分の中にある感覚には必ず意味があって、誰かにとって取るに足らないものだとしても表現する事で現実が変わっていくと思う。
表現し、行動した先にしか求める世界はないと思うので、臆することなく自分らしく在り続けることが大事だな。
迷うな。
いけ。
いつもありがとう。
たすかってる。
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