最近の週末は毎回徹夜で仕事を終らせる。大変、眠い、キツイと感じる事もあるけど、感謝だ。徹夜して詰めて仕事をする事で活動の時間が結果的に生まれてるので。クライアントさんいつもお仕事をくれてありがとう。
というわけで、昼まで眠れないわけなんだけど、集中する前に軽くブログ書いとく。
俺が昔からやりたい事はだいたい決まっていて、その輪の中で循環してる。
・音楽
・写真撮影・編集
・創作
・動画撮影・編集・鑑賞
・デザイン
・ガジェット
・ゲーム
・コミュニティ
・乗り物(バイク・車など)
・ローカル
・レトロ
・雑貨・インテリア
循環するのはこれくらいか。
これと絡めてアウトドアとか諸々あるけど必要であればするくらいか。
メインはクリエイティブな活動。つまり、音楽、写真、動画、創作。
どの時代の俺を知っているかによって印象は大きく違うと思う。
今やってない活動も、ときがくれば急に復活させたりする。
基本はコミュニティ+遊び+クリエイティブ。
表現方法についてもずっと模索してる。
自分の中のフラストレーションや心象風景を表現したいといつも思ってる。思い続けてる。
いつも、自分がいいものを自分勝手に作って押し付けてきた。
やりたい事は自分ではじめ、作りたいものは作る。
一貫して、そんな自分勝手な方法でやってきた。
不思議な事に、どの時代も賛同してくれたり褒めてくれる人達がいてくれた。
そして応援してくれた。
関係性が出来上がってくると、忖度してしまう自分もいた。
でも、きっと、忖度は不要だと今なら思える。
忖度しないと成立しない関係性ならば、遅かれ早かれ終わる。
関係って、継続する事が目的になってしまうとおかしな話でしょ。
継続する事自体に意味なんてないのだから。
継続しているというのは、ただの状態であり、目的ではないので。
途絶えるのも継続されていくのも状態だ。
それを目的にしてしまった時点で面白くなくなるよ。
本当に応援してくれようとしたのは、関係性を継続する事を目的とした俺ではないはずだ。
縦横無尽に走り回り表現し続け、感性が似ている人が同じように良いと思ってくれる。
純粋にその事が嬉しくてやってきたんだろ。
子供のような気持ちで、ずっと。
俺の中の”良い”と感じる感情は一つのはずで、その一つだけがリアルなはずだ。
忖度して良いと思っていない物を作り上げる事にどれだけの価値があるだろう。
相手は喜んでくれるかもしれない。
だけど、自分に嘘をついて相手を喜ばせ続ける事で一生を終える事が自分の幸せではないのなら、極論やるべきではない。
表面上の関係性に意味はない。脆いしね。机上の空論のような雰囲気。ふわふわしていて存在しているのかさえわかんない。
しっかりと手応えや肌触りのような感覚がある関係性がいい。そこに相手が確かに存在していて、相手を通して自分が見えるような。
関係性って、鏡のようなものだもんね。お互いがお互いを通して自分を見てるでしょ。
関係性も創作も生きる事自体も、全て同じなんだろうな。
なんだかそんな気がする。
分けて考えてるけど、本質は同じで、そのイメージをありありと感じる事が生きている中での大きな幸福となる。
深い感謝の気持ちには、手触りがある。たしかに。
このブログは、理解されない事を恐れずに書けるところまで書く。感覚的な事も、駄目なとこも。
感覚的な事を感覚的に書いて、感覚的に伝わったなら強いよね。
理解されるかどうかと、本心は別物だ。誰から否定されたとしても、自分は自分の感覚を持ち続けていい。
きっと、誰もがそうだ。その代わり、理解されない覚悟はちゃんと持たなければならない。
覚悟を持って本心を伝え続けた時に、揺らぐことのない深い部分で繋がる。
心の色合いが違う人達が関わっていく中で快適に生きていく方法をずっと探してる。
色の違いをキレイだねって言いながら生きれる社会がいい。
オープンな場だと、それがもう難しいのだと気づいてしまってる。
統一出来ないから。
明確に心の距離がある人達と、適正な距離感を保つことは不用意に相手の存在を感じなくて済む事に繋がる。そうする事で無駄に不快にならなくて済むし、否定せずに済む。
無数にある価値観は、それぞれ集落のようになっていき、価値観が近い順に立体的に村が形成されていく。
そうしてグラデーションのようになっていけばいい。
合わない人と関わらないといけないシステムに欠陥があると思うので、合わない人とはそもそも関わらなくていい場所を作りたい。
個人レベルでは完成してる。人間関係の悩みは現在も0。
コミュニティレベルで実験してる。コミュニティレベルになると、各自の価値観で分けると矛盾が生じる。
コミュニティに属している人達は、コミュニティとしての価値観に沿っていけるかどうかになると思う。
それが可能なら幸せで快適な世界は作れる。
賛同出来ない人は、そもそも入る必要がないので無理もない。
一番良くないのは賛同していないのに残ろうとする人。お互い不快になって当然じゃん。コミュニティとしては害でしか無い。
関わる人が快適に関われる人達ならば、何をやっても楽しいんだよ。いやな気持ちになる事が極端に少なくて済むので。
そういう世界観で生きていきたいし、生きていく。同じ気持ちの人を集めていく。
話に水を差すような人がそもそも不要。
快適なコミュニティを形成して、心地よい人間関係を作って、その中で創作活動や楽しい事をやっていきたい。
そしてそれが必要な時代に入ってると思うよ。その事に気づいているひとたちと共に生きていく。
よし。仕事するか。眠くないうちに進めてしまお。それでは。
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