なんとか食らいついてる。気を抜くと振り落とされてしまいそうな中生きてる。好きな事をやらなければ、きっともっと時間に余裕は出来るんだろうけど、俺みたいな人間は好きな事をしながらじゃないと生きられない。納期に追われてる時、少しの間、好きな事ができなくなる事があるけど、やはりその少しの間でも苦しくなる。
今、この日々に食らいついていれば安定に向かう。とことん安定を追求したいわけではなく、ある程度の安定。挑戦し続ける為の最低限の安定。最低限、生活に必要なお金を稼ぐ為の安定。その中でなければ、現状挑戦すら出来ないから。
俺の人生をかけてやる実験は、「好きな事をしながら生きていけるか。」という事。諦めてしまえば、生活は楽になる。その代わり、心が死ぬと思う。そういう人間だから。
人それぞれ性分がある。俺は間違いなく好きな事をやり続けなければ心が死ぬ。何度も経験してきた。うんざりして、行き着く先も分かってる。よく分からない涙が出て、なんの為に生きてるの?と自問自答が始まる。その時の答えもいつも決まっていて、「好きな事をやるために生きてるんだろ。楽しむ為に生きてるんだろ。」と繰り返す。
子どもの頃から一貫してる。「ちゃんとしなきゃ。」とか、「大人らしくしなきゃ。」と頑張ってみた事もあるけれど、上手くいけばいくほど心が死んだ。そっちにいっちゃいけない人もいるんだな。
知識としての社会性を身に着け、必要であれば使う。そうじゃない時は、自分らしくいる。それで成立するライフスタイル、ワークスタイルを確立する。それが俺が生きている間にやることなんだな。
だから、一般的な人と自分を比べる事に意味なんてない。本質を見続けなければならない。本来、人はそれぞれ全く違う個体であり、「一般的」という概念は後から作り出されたものだ。
その「一般的」という概念は、社会性を統一する為に必要なもの。知識としては必須科目。ただ、現在は「一般的」の枠の中で生きるか、そうじゃないかを選べるようになったと思う。
そして俺は「一般的」の枠の外で生きようと決めてフリーランスになった。だとしたら、自分を「一般的」の枠の中に収めようとするのはおかしな事だし、一般的な人と自分を比べるのはおかしなことだ。
そもそも全然違うルールの中で生きてるのだから。当然、一般的な判断基準で物事判断した瞬間に詰む。
極限まで安定を求めたり、攻撃を忘れ守りに入ったら終わる。それがフリーランスなんじゃないかと思ってる。
攻めなければ新規開拓もない。安定したところで、広がりがなければやがて淘汰される。
現状維持をしているという状態は、相対的に退化してる事に気づかなければならない。
現状維持は、世界が進むスピードに置いていかれているだけ。止まってるんじゃない。置いていかれてる事に気付かないとダメだ。
たとえるなら、徐々に物価が上がっていく国で低金利で預金をしているような感じ。
利子よりも物価が上がる速度が早いなら、預金をすると相対的にお金の価値が目減りしてる。
その感覚を、人生レベルで感じてる。安定を求めるということはそういうことだ。
必要以上の安定は、人を腐らせる。お金がある状態の事を一概に安定というのも違うけど。お金があっても攻めてれば安定の中に自分をとどめようとしてるわけではないだろうし。
精神的なものが大きいかな。
そういえば、去年俺がホワイトボードアニメーションをスタートさせた時、ピンチ終わりかけで一瞬ラッキーで結構稼げた月があったんよ。ライターの仕事でね。
その時に、先行き不安の為、現金を手元に残しておくというのが安定思考だと思うんだけど、そのタイミングで俺は10万円くらい自己投資にぶちこんだ。
その結果、1年で10倍くらいになって戻ってきた。あの時、現金を手元に置いておくという選択をしていたら絶対生活費で消えてた。
日々の毎食のおかずが豪華になり、「頑張った自分へご褒美」と言って外食をし、それで消えてたと思う。
頑張った自分へご褒美も贈れないほど切羽詰まった状態では、そもそも無駄遣いをしようがない。いや、そもそも、おかずを豪華にする事や自分へご褒美を贈る事は無駄遣いではないか。
それはそれでありだな。好きだし。ただ、そっちの世界線とこっちの世界線は別の結果になるという事は間違いない。同じにはならない。
本当にやりたい事なら、金に糸目はつけないし、ピンチの時にでもお金を出せるなら出してでもやる。「一般的」には無茶な判断でしかないけど、俺の中に選択肢はなくて、そういう生き方しか出来ない人間なんよな。
正しいか正しくないかじゃない。心が動き、情熱を感じられるかどうか。わくわくし、眠れないほどドキドキ出来るかどうか。心が覚醒し、待ち遠しく思えるかどうか。
それらの事は全てを超越すると思ってる。そして、それらを最優先にした時に、一時的にピンチになる事はあれど、帳尻が合うようにできてるように思う。
というか、強引に帳尻を合わせてるのは自分かもしれないけど。笑 自分がなんとかしてるのか、神様的な存在の力が合わせてくれてるのか、周りの人達がどうにかしてくれているのか。
そのへんが曖昧になる感覚がある。どれが欠けても無理な気がする。覚悟を持って「面白い選択」をした時、想像も出来ないような面白い事が起きたりする。
この覚悟というのは、「この選択をする事によって、例えピンチになっても構わない。乗り切る!!」というものね。
その気持ち1つでGOを出せるかどうかが決まるから。
で、ピンチになってしまったら騒ぐ!!笑
ピンチを乗り切ったら、挑戦した事実と、協力してくれた人との信頼関係と、選択したきっかけになったものを手に入れてる。
選択しなければ、選択した時と比べて安定はするのだろうけど、それ以外何かが残るわけではない。
極論、選択しなかった先に安定が待っていたとしても、「で?」っていう話になってしまう。俺の中では。
生まれてきて死ぬまで安定してれば幸せなのか。俺はちょっと違うと思っていて、なぜかというと、
幸せっていうのは、その時の状態の事をいうのではなく、落差の事をいうと思うから。
キツイ時期やピンチの時期って必要で、その時期を体験しているから初めて安定している時に、安定しているという幸せを感じられるんでしょ。
安定がデフォルトだったら、安定は空気と同じだから意識する事はないので、安定の状態で幸せを感じられる事はない。
日々、空気を吸って生きさせてもらっていても空気に感謝し続ける事ってないでしょ。それと同じ。
でも、溺れたり雪崩に巻き込まれて九死に一生を得た人は、普通の人よりも空気がある事に感謝すると思う。ずっとは難しいのかもしれないけど。
だから、適度にピンチを迎えるというのは幸せを実感する上で大切な事なのかもしれない。狙ってやってるわけではないけど、なんだかんだで毎年か2年に1回くらいピンチ!!!と叫んでる気がする。笑 ちっぽけ。
そういう事もあり、お金が無くても毎日何かしら幸せを実感し続けながら生きれてるのだと思う。お金が無いキツさを知っているから、お金がある事を幸せに思うんだよ。
一回、「無い」を体験しないと本当の意味でのありがたみは分からないようにできてる。
「無い」というのは恐怖でもあるけど、それでも臆すること無く、ここぞというところでお金を使ってこれたのは、お金は手段でしか無い事を肌感で知ってるからなんだろうな。
安定の為に残しておく意味がないという事に気付いているから。
今、どうにか10万円くらいするカメラを買えないか考えてる。いや、俺が思う理想の使い方をするなら15万円くらいあるといいか。周辺機器買っていったら、なんだかんだで20万円くらいになるかもしれんけど。
多分それが揃うと、理想の撮影スタイルが確立出来るんじゃないかな。あ、カメラね。
物撮りとかには向かないような気はするけど、イベントやお店、風景を移動しながら撮影していくにはいい。メジャーな同等のもの全てを調べ尽くした結果なので、恐らくセレクトは間違ってないと思う。
発展して仕事にも繋がる可能性のあるものなので、手元に金が入ったら積極的に検討しようと思ってる。
最終的には、良きタイミングで買う事になるんじゃないかと、今のところ思ってる。
支払いでヒーヒー言ってる現状でそんな事を考えてる事、そう感じている事自体おかしいんだけどさ。笑 実際に触ってみるといまいちな点も出てくるのかもしれんけど、今の所一択だな。
触ってみようと思って何件か電気屋回ってみたけど売ってないんよ!そんなマニアックな物買おうとしてんのかっていう話になるけどさ。笑
同ジャンルで1番メジャーなカメラではないからね。メジャーなやつと迷ったんだけど、俺の使い方ならこっちかなぁっていう。
本当はどちらも触ってみたいんだけどね。
撮影に出かける時に絶対にあったほうがいいものだし、ローカルな風景の撮影スタイルが大きく変わるので、まだ買えない状況だけどワクワクしてる。編集に関しても、サクッとやる事も出来るし、じっくりやる事もできると思う。その点も俺の中では大事。
ブログ書き出すと長くなっちゃうな。なんだかんだ言っても、現状、食らいつくだけで精一杯の日々なので、とにかく仕事するわ。
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