明晰夢は自分にとって結構よくある事なのでそれほど特別視していない。明晰夢とは、簡単に言ったら夢の中で自分が今夢の中にいるという事に気付いて思うがままに行動すること。
昔から眠るのも夢を見るのも大好きなので、夢を極めたら見れると思っていた。意識でどうにかなるようなものでもないような気がするけど、意識しないと始まらないとも思う。
夢の中に現実の世界の概念を持ち込むという事でもあると思うので、2つの次元をある意味意識が行き来してる感じがする。
俺の場合は、夢の中で空を飛んでみたいという事をずっと思っていたので起きている段階からそう願っていた。現実世界では、不思議なほど見た夢の内容を忘れてしまう。同様に、夢の中では現実世界の事を覚えていない事がほとんどだ。
明晰夢を見るには、現実世界の記憶を持って夢の世界に入る必要がある、もしくは、夢の中のどこかのタイミングで”夢の中で空を飛びたいと思っていた事”を思い出さなければならない。
数年前に見た夢で今でも覚えているのが、坂道を走って下っている時に行き止まりにガードレールが見えてその向こうが崖みたいになってた。走っている最中に自分は夢の中にいるという感じがしたので、思い切ってガードレールを飛び越えてジャンプしてみる事にした。すると、空を飛べた。というものがある。
この時には明晰夢を見れるという自覚があったので、夢の中で恐らくこれは明晰夢だと感じてた。現実の世界と明晰夢を見分ける方法として、現実の世界の場合、「今自分は夢の中にいるかもしれない。」とは基本的に思わない。ハッキリと現実の世界にいるとわかる。
でも、明晰夢の場合は「これ夢の中っぽいけどどうなんだろう…。」という感じになる。かなり現実味があるけど、多分夢だろうみたいな。確信がなかなかもてないというか。
この状態でガードレールを飛び越えて空に向かってジャンプするんだから本当に恐い。9割方明晰夢だと思っていても、万が一現実だったら確実に死ぬ。それでもガードレールを飛び越える恐怖とリスクを乗り越えられるかという事なんだろうな。
正直、メリットなんてよく考えたらほとんどない。その割にリスクが高い。明晰夢を見ていると自覚している時には、ドラクエのように他人の家に入る事だって出来るし、調子がいい時は夢の話の方向性を捻じ曲げる事も出来る。
夢の中って、現実の世界とは違う夢の中独自の設定やストーリーがある。これを捻じ曲げてしまうのは楽しい。結構空を飛ぶ夢を見るんだけど、夢の中で空を飛べるのが普通という設定の時に、急に飛べなくなってしまう事もある。このパターンの時、明晰夢だと理解出来ればきっと飛べるんだろうけど、何故か飛べないままの事が多い。気付け無いんだろうな。
明晰夢を見る事って、現実の世界で常識にとらわれないようにする事と似ていると思うので、常識にとらわれている人はかなり見にくいんじゃないかと思う。社会的にどうかという見方をするんじゃなくて、一人の人間としてどうかと普段から考えて行動している人にとっては明晰夢を見ることは難しくないと思う。固定観念を夢の中で外す作業だと思うので。
夢の中って、感覚的に言うと意識が広がった方向にストーリーが展開していく感じがあるんよね。だから、例えば夢の中でふいに古い建物が出てきてちょっとこの建物嫌だなとか怖いなと感じる事で次の展開が生成されるので、そこから怖い話になっていったりする感じがある。
明晰夢の力を使えば、「多分このままいくと怖い感じになるから意識を変えながら違う方向に進んでみよう。」と思える。それで回避出来る事が結構ある。あまり深く怖い意識に入り込みすぎていると回避出来ない時もある。その辺は明晰夢のスキルによるのかもしれない。
みんなが出来ないと口を揃えていう事を、「本当にそうかな?」と思いながら過ごしている人は明晰夢が見れると思う。俺がまさにそれだから。みんな無理っていうけど、なんで無理っていうんだろう。とか。
そこに論理的な理由を持っている人って案外少ないからね。「あの人が無理って言ったから」とか「無理なものは無理。」みたいな小学生のような理由を平気で大人が言ったりする。そこに自分の考えは無いのかよって思う。こういう周りに影響を受けまくっていて自分の意思が薄い人は明晰夢を見るのは難しいように思う。
個人的な感覚としては、現実世界で夢の内容を覚えている事と、夢の中で明晰夢を見ようと思うことは似ていると思ってる。
違う世界の記憶をもう一つの世界に持ち込もうとしている感じというか。だから、明晰夢を見るには夢の内容を起きた時に書き続けるのがいいんじゃないかと思う。明晰夢の見方を調べた事がないので、もし同じような事が書かれていたら凄い。笑 でも、多分明晰夢を見れる人はちょっと理解してくれるんじゃないかと思ってる。
明晰夢を見るのって感覚の問題なので、自転車に乗れない人が自転車の乗り方を理解するのが難しいのに似てると思う。自分でもどうやって見てるのかってよくわかんないしな。自転車には乗れるけど、じゃぁどうやって乗ってるの?って聞かれてもバランスを取ってるとしか言えないのと同じ。
だからこそ奥深くて面白い。俺は毎回夢の中で自分が夢の中にいると理解出来るわけではない。全く分からない時もある。というのも、夢って結構映像的にクォリティが違う気がしてる。凄く鮮やかで描写も美しい時もあれば、設定も映像的にもチープな時もある。映像が鮮やかな時は現実の世界にかなり近くて見分けがつかないので難しい。
設定や映像的にチープな時はそれがきっかけで気づく時がある。「こんなはずないよなwww」みたいなところから始まって「あ、これ夢だ!」とか。
夢の中で何度か訪れる場所や、同じような設定のものがある。あと、夢の中で過去に見た夢の記憶がある時がある。
この場所、前にも夢の中で来たことあるなっていう。現実の世界じゃなくて夢の中で来た事があるって覚えてるんよな。その時の夢の内容をちょっと思い出せたりする。
これも複雑で、本当に過去にその夢を見たパターンもあれば、過去にその夢を見たという設定の時もある。これは起きた時に脳内で検証したらどっちだったかわかる。
現実世界と夢の中の世界のリンクの線が太い人が明晰夢を見れるのではないかと思ってる。見たものだけを信じすぎるのではなく、感覚を大事にする事が大切。これは夢の中だけじゃなく現実世界でもそうで、必ずしも目に見えたままの世界がそこにあるわけじゃないということ。目に見えるものと、心の目(想像力を働かせて見る)で見たもので総合的に判断するという事を現実世界でやり続ける事も明晰夢を見る練習になるのではないかと思ってる。
夢の中の欠陥に気付く事から始まるから。夢の世界と同様に、この世界も自分の意識が作り出してるなんて言われる事あるよね。あれ、結構あるような気がしてる。現実の世界で揺らぎないと思っているようなものも、何を根拠にそう思うのか考えていくと、結構曖昧なものだという事に気がつく。
出来ないと思いこんでいるから出来ないっていう事は結構ある。でも、出来ないと思いこんでいる根拠って結構どうでもいいことだったりする。明晰夢と現実の世界は密接にリンクしてる。俺はそう思うよ。
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