ここ数日、人を応援するということに向き合ってる。結構今まで好き勝手やってきたので、基本的には自分の事ばかり。でも、人を応援したいという気持ちもあって、過去にガッツリ応援してみてた気がする。結果、何も残ってない。笑
で、やっぱ自分に時間と労力を使うべきだな!と思ってこの数年そうしてみた。快適ではあるんだけど、どうにも信頼関係を構築していくことを考えると難しいと思った。
人をガッツリ時間と労力をかけて応援した過去から学んだ事は、応援していい人と応援してはいけない人がいるということ。
それは見返りがあるとか無いとかそういう次元の話ではなくて、応援すると見返りがないどころか損する事まであるんよな。だから気をつけんといけん。
当時、見返りは本当に全く求めてなくて、そういう思考でやっていったらどうなるかという自分の中での実験でもあった。
当時の俺はコミュニティでオフ会をどんどんやっていたので人との繋がりは多く、毎週のようにオフ会をして10人から20人くらいをコンスタントに集めて遊んでた。
俺が応援するということは、俺の周りのメンバーも集めて応援するという事になる。応援する対象が、応援するに足らない人だった場合、俺が信用を失ってしまうんよな。俺は基本的に対象者のいい所を伝え続けて対象者に影響力を移していってた。
その状態で対象者に裏切られたらメンバーをそのまま持っていかれるという事もある。そういう事を平気でする人間がいるのだという事を学んだ。
あと、見返りを求めずに行動するという事はいい事ではあるんだけど、無料でなんでもやってくれという感謝の気持ちを一切持たない人も吸い寄せてしまう事も知った。
見返りがなくてもやるという気持ちは持ちつつも、口に出さない方がいいのだと知った。時間も労力も人脈も全て注いでその結果裏切られるなんてことは普通にある。
その原因は、感謝の気持ちを持たない人に力を貸してしまったという事も大きいと思ってる。
まぁ、それで離れていくやつも離れていくやつだけどな。笑 それまでの人よ。
当時、俺はプラスの発言を心がけ、マイナスの発言をしないように頑張ってた。そういう精神姿勢でいることで人と気持ちよく関わっていけると信じていたからだ。
でも、俺は自分で分かっているけど一般的な正しさだけを持っている人間ではない。一般的な正しさとは違っても自分の価値観で行くこともある。
だから衝突する場面というのは本来必ず出てくるはずなんよな。そんな時にプラスの発言だけで片付けられるはずもない。
当時の自分は嫌われたくなかったというのもあるんだと思う。攻撃されても防御だけで言い返しもしなかった。
「色んな考えがあるし…色んな感じ方があるし。」と思って、俺が相手を悪くいうのは悪口だから、悪口は言いたくないから言わなかった。
自分が悪口を言われても相手の悪口は言わない。その精神姿勢は崇高ではあるけど事態をさらに悪化させたと思う。
一度、全ての関係性を断つ覚悟で今の自分を取り戻した。嫌われても出来るだけ本音でいく。嫌われるのがデフォルト、好かれなくてもいいから自分を貫くと。
その結果、身銭を切ってでも支援してくれる人が現れるようになった。表面的な発言では表面的な繋がりしかできんのんよな。
自分が傷つく覚悟を持って、人を傷つけたくはないけど、傷つける可能性があっても自分を貫く覚悟を持たないと本当の繋がりは得られない。
嫌われる覚悟を持ったから、こだわりを持って応援してくれる人が現れたんだと思う。
嫌われる覚悟を持つということは相手の感じ方を無視していいという事ではない。相手を傷つけると自分も傷つく。相手に嫌われたら当然自分が傷つく。
その覚悟を持って、出来るだけ相手を尊重しながら譲れない部分は貫かせてもらうということだと思ってる。
無駄に相手を不快にさせたり嫌われる態度をとっていいということではない。
そんな過去の経験から、このような事を学んだ。
話をもとに戻そう。応援するという事は「媚びる」という事ではないと思ってる。媚びまくってくるやつは気持ち悪い。応援する事によって自尊心が満たされる気持ちは分かるが、承認欲求を対象に向けるのは違う。
基本的に本心で思った事を伝える事、本当にやりたい事をやったら応援になると思う。じゃないと続かないし、本当に対象を好きなら出来る。
感謝されたいからするという思考が働きがちだが、感謝されなくてもやるんだよ。それが出来ないんだったら応援するべきではない。
押し付けがましくなったらそれは対象者にとっても迷惑になってしまう。自分の応援が迷惑になる事は自分も対象者も求めていない事でしょ。
明らかに不要な物を渡すのも迷惑だと思う。例えば、ファンが有名人に自分のセンスで服を買って贈ったりとか。笑 自分のセンスで買うだろ。笑 って見てて思う。服に困ってるわけじゃないだろうしな。笑 なんでそこの想像力は働かないんだろうって思う。笑
明確にこのブランドのこの服が欲しい!って言ってたなら分かるけど、それでもその発言を複数の人が見ていたとしたら他の人が贈ってる可能性もあるよね。そんなわかりきった事を想像もせず、ただ贈れば喜ばれるという思考で贈ってしまうのは優しくないなぁと思う。
結局、プレゼントをして喜ばせた自分凄い!って思いたいだけっていう。対象者の事なんてなんとも思ってない。承認欲求を満たしてくれればいんでしょ?って傍から見ていて思うんよな。
誤解を恐れずに言うなら現金とかアマゾンギフト券が1番汎用的で実用的だと思う。だって、欲しい時に欲しいタイミングで欲しいものを買えるし1番役に立つでしょ。冷めた考え方かもしれないけど。活動してる人は結構そう思ってるんじゃないかなって思うよ。
でもそんな事を言ったら金の事しか考えてないのか!みたいに叩かれるから言わないんじゃないのかな。でも、お金ってメチャクチャ大切じゃん。当たり前だけど。周りが見えないところでも結構お金は発生してる。
このブログを書くにもレンタルサーバーと独自ドメイン代を払い続けてるわけだけど、サーバーを借りたことがなく無料ブログしか使ったことがない人からすれば、そもそもお金が発生している事すら気付いていない。じゃぁ無料ブログ使えばいいじゃんってなるだろうけど、そこのデメリットも考えていない。
これは俺だけの話じゃないんよな。そして、もちろんお財布事情なんて人それぞれなんだから、現金は助かるけど、現金を払えばそれでいいという事を言いたいわけでもない。
お金と時間(労力)とスキルは密接な関係にあるので、どれでも結果的に貢献できれば応援になると思ってる。
時間とか労力って、誰にでも出来るような単調な作業を代わりにやってあげたりとかそんな感じか。誰にでも出来るなら代わりにやってあげたら時間をプレゼントしたのと同じ。
スキルは、例えばコミュニケーション能力が高い人ならコミュニケーションで、文章を書けるなら文章で、動画を作れるなら動画でなど。
フォロワーが多く拡散力がある人なら拡散力でも協力は出来ると思う。
全て一般的な人はやっぱりシェアやいいねやコメントなどで反応してあげるのがいいと思う。応援したい対象者が直接リーチ出来ない人にリーチしてあげる事が出来るからというのと、応援者が応援しているという事を知った周りの人が「あの人が応援しているのなら…。」と興味を持ってくれるかもしれない。
コミュニケーション能力が低い人はコメントを書くとトラブる元になるので控えたほうがいいかもしれない。笑 本来の意図が伝わらず説明している間に誤解が更に誤解を生んで結果迷惑になるから。
本当に応援する、貢献するっていうのは自分の承認欲求が満たされるかどうかは関係ないはずだ。だったら、無理に表面に出なくてもいいはずだ。本当に評価されるべき応援者ってそういう人なんじゃないかと思う。押し付けがましいとうんざりするでしょ。
逆に、応援される側は出来るだけ承認欲求を満たしてあげる事を考えるのがいいとは思ってる。応援してもらう側は意識すべきだけど、応援する側は求めてはいけないと思ってる。
その関係性が1番心地いいはずだ。活動している人間を自由にするのも動きにくくするのもファンという存在なんじゃないかと思うから。
どういうスタンスがいいのかというのは常に話し合うべきだと思う。その都度理解度が深まる人と距離が出来る人や去る人が出るとは思うけど、それは必要な事だ。
どうしても説明しても理解出来ない人というのは一定数いるので、丁寧に説明はするが軸は一切ぶらさないのがいいと思う。そこを曲げてしまうと、本筋のファンさえ失いかねない。
俺は過去に多数のメンバーを残したいと考え、出来るだけ理解を示し、どんな人も切らないようにやっていきたいと考えていた。その結果、めんどくさい人が残り、残って欲しい人が去ってしまったというコントのような結末を迎えたことがある。笑 地獄だった。笑 面白い人は去り、厄介な感じの人達が残った。笑 マジでめんどくさかった。笑
極端な事を人生の中で何度もやってきているので、これをこうしたら実際こうなった。というのが経験値としてある。一度失敗に終わったときも、そのときの思考と判断基準を見直すことで結果が変わることもあると思うので、一度失敗しても考え方や視点を変えてまたやってみることもある。
今のわが道を行く感じのスタイルは生まれて20代前半くらいまでずっとそんな感じだった。別に友達が多い方じゃなかったし、やりたいようにやれない人生なんて送る意味あんの?って思ってた。
コミュニティを作り知り合いが一気に増えてコミュニティを壊す事、人が離れていくことが恐かった。その結果、自分の軸を隠し、自分の考えは自分の中にあればいい、人の考えを優先していこうなんて考えてた。
人を応援する事も、その時に無駄のように思えた。結局時間を使っても相手が裏切ったりなんとも思ってなければ無意味じゃんって。
あの時は「人を優先+応援」だった。今の価値観は「自分を優先+応援」。
行動は似てるけど、軸にある考え方が違うのでまた違った結果になるかもしれない。同時に、自分を軸とした活動ももちろん進めていくので、自分の活動の中に「応援する」というのが追加されたというイメージ。
何をどう応援していこうというのはまだ具体的には決まっていない。とりあえず行動して反応を見ながら考える。進むべき道はいつも数字と直感が示してくれたので、きっと今回もそうなるんじゃないかと思ってる。
応援者を大切にしている人を応援しようと思う。承認欲求を満たしたいんじゃなくて、応援することで自分が成長したり自分の活動に何かしらプラスになればいいなと思うから。
多分、応援とか支援って奥が深いんだろうなと思う。自分が誰かを応援してみようと思った時に、応援することで嫌われる人っておるよなって思ったので書いておいた。
不快な感じの応援の仕方をする人っておるから気をつけた方がいい。俺もそうならないようにとは思ってる。
特にコミュニケーション能力が低い人が表に出て人を応援すると本当にその人のコメ欄を荒らす結果になったりするから気をつけたほうがいい。
目的は自分が目立つ事じゃないんだから。邪魔することでもないでしょ。承認欲求を満たすことでもない。
対象者が喜んでくれる事、求めている行動をする事、力になる事、それが本当の目的だという事を忘れてはならない。
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