価格ってさ、相対的なものじゃん。収入が100万円の人と10万円の人では単純に10倍以上違って感じるはず。10倍じゃなくて10倍以上だと思うのは、家賃など固定経費が占める割合自体が全然違うから。
固定経費が0の状態だったら10倍だろうけど、実際には固定経費を引いた残りの部分の差で判断するべきだよね。なので、1000円の価値は人によって大きく違う。大切なのは設定する価格じゃなくて、相手との心の距離感だ。
先日1万円支援してくれた人がいた。3000円支援してくれたらお礼にフォトブックを送りますという支援のお願いをしていたときだ。「1万円も入ってますよ?」と伝えた。それで美味しいものでも食べてと言ってくれた。
この方は、本来3000円だけ支援しても俺は喜ぶのに、何も言わず1万円入れてくれてたんよな。本質がフォトブックではなく、支援だということを正しく理解してくれていた。だからフォトブックはいらないから支援しない。というのは本当は違う。
支援のお礼なんて、出来る事なら正直なんでもいいんよ。勝手に俺が設定したものだから。繊維ビルのフォトブックを支援のお礼に設定したのも、前回反応が良かったことと、繊維ビルがあったということを残したかったから。総合的に考えた。
フォトブックにして誰かの手にあればデジタルデータが消えても、例え俺の全財産が無くなっても俺が死んでも誰かの手元で繊維ビルの姿が残るということだ。俺はこのことにとても意義を感じている。繊維ビルだけじゃない、福山市の日常の風景を含め「今」を伝え続け残し続けること。
これを支援のお礼に設定することで上記のように残り続ける。そして活動すればするほど支援のお礼の選択肢は増えていくので支援してくれる人達にも楽しんでもらえるかもしれない。福山市の風景を残したいと思っている共通の想いを抱えている人と一緒に残していきたい。
そういう自分の中にある全ての事を総合的に考えた結果このような形を思いついた。活動を継続するには活動資金が必要であり、時間を使えば使うほど仕事の時間が奪われていく。活動と仕事が相反する位置にあってはダメだ。活動と仕事は相乗効果を生まなけれればならない。
もしくは、活動をすればするほど活動しやすくなり仕事をしなくていい状態にしなければならない。そうじゃないと俺が求める理想は作れないから。その結果、支援のお礼という形をとっている。お礼を用意しなくても支援してくれる人が最強だとは思う。
クラウドファンディングのシステムを使わなくても支援をしてくれる人が複数人出た事を誇りに思っている。この流れは最初に支援してくれた二人が支援をする空気を作ってくれたことにより生まれた。本当にそう思ってるんだ。
フォトブックを2つ欲しいから二口支援するという方や、フォトブックや気持ちだけ受け取っておきますと支援金だけ振り込んでくれた人もいた。全て今回の支援のお願いでの出来事だ。人と積極的に会わないようになってしばらく経つが、オンライン上での関わりだけでここまでの事が生まれたのが嬉しくて嬉しくて。
心ある人はいるんだ。って、勝手に孤独に思っていた気持ちがほぐされた。特に、こちらが設定した以上の支援をしてくれた人達や行動してくれた人達というのは支援の本当の意味を理解して支援してくれたと思うし、俺が困っているからということで支援してくれたのだと思う。本当に心が温かくなる。
困った時に困っていると叫んでも、誰も手を差し伸べてくれないかもしれない。だけど、それを恥ずかしがっていたら支援のお願いなんて出来ないもんな。ピンチの時にはピンチと、困っている時には困っていると発言出来る立ち位置に自分を置いておきたい。
例え手を差し伸べてもらえなかったとしても状況を理解してもらえるだけでも心が軽くなることはあるし、今回のように手を差し伸べてくれる人が現れることだってある。表面上の付き合いでは、値段って大きな意味を持つけれど本当の信頼関係の中ではおそらくお金の大小よりも「この人が困っているなら支援しよう」とか「この人が作ったものなら買おう」と思ってもらえるかどうかなんよな。
物を売ったり支援をお願いしたりする時の本質はそこだと思う。物を売る時は確かにそれが欲しいかどうかっていうのもあるけど、一定数支援の気持ちで買っている人っているんよ。物事の本質を知っている人はそのお店に使ってお金がそのお店の人の生活を助けているというところまで想像力が及んでいる。
お金を使ったというより、そのお店への支援という気持ちで買っている。正直、似たようなものは色んな場所で売っていることがほとんどだし本当に安く買いたいならAmazonでいい。安いか高いかではなく、どこで買いたいか、どこにお金を流したいと思うかだ。
俺は人間性も良くないし常識を基準に言えば正しくない人だと自分で思ってる。だからこそ、その本当の姿を見せた時に一部の人には刺さると思ってる。アクが強いが気になる存在になれればいい。そして、俺の人間性に関してはダメな部分も含めて見て欲しい。活動に対する純粋な想いは本物だから。
正直、これだけ価値観が多様化してくると何がダメで何がいいかって各自の価値観に依存するので人の目を気にしても本当にしょうがない。貧富の格差もそれなりに開いてきているので、値段設定に関しても高いという人もいれば安いという人もいる。
だからこそ値段じゃないと思う。安くても無料でもその人から買いたくない、貰いたくないと思えば誰も来ないしね。高くてもこの人から買いたい、応援したいと思ってもらえたならきっと支援の気持ちを込めて手にとってくれる人は現れる。
物が売れるかどうかは関係性だ。値段じゃない。支援したいかどうかも関係性だ。本当にスキルや高性能なものだけにお金を払っているならハンドメイドマーケットなんて成立しない。プロには勝てない事がほとんどだから。アマチュアミュージシャンだって成立しない。プロにスキルでは勝てないから。
オンラインが力を持つ時代だからこそアナログが重要になってくるという面白い現象が起きてる。結局オンラインで発言や行動をしているのは機械じゃなくて生身の人間だからだ。バズってる投稿をバズらせてるのも人だからだ。
人と人がオンライン上で距離を超えてダイレクトに繋がれる時代。間を通す必要がなくなった今、ダイレクトな課金や支援にシフトしていく事が自然。商品を安売りするよりきっと人と信頼関係を作る方が売上がたつまでの時間は早いと思う。
ずっと人との関係性について考えてきた。数年前にうんざりしてから遠ざかっていたけれど、ダイレクトに支援してもらう事を考えると避けては通れないような気はしてる。いや、避けてもいけるけどメチャクチャ遠回りなんだと思う。
ちょっとずつ自分の居場所をリアルの世界にもまた構築していこうかな。動けば作れる自信はある。この作業は何度も0からやってきたので。時間をかければ絶対いける。良きタイミングで一気にやりたいと思ってる。
支援についての意味をしっかり伝えていき、共に歩んでいける人達と快適な居場所を作りたいな。ルール作りについても5800人のメンバーを作る事が出来たグループで実際に試行錯誤してある程度固まったのでそのトライアンドエラーの結果を踏まえて設定していけるしな。
話が脱線してしまったけど、物の価値は人の心が決めるので価格する設定よりも支援しても惜しくない人物になる事を考えた方がいいというお話でした。偉そうな事言ってるけど俺はまだピンチの最中。説得力ないな。笑 ただ、前にも書いたけどこれからも俺はピンチに陥ると思ってる。それくらい攻めたいしチャレンジもしたい。
だからピンチになってるからダメとかじゃなくて、上手くいってる時もピンチの時も俺は俺だ。ピンチになったら離れる人なんて最初から求めてね〜よ。いい時は放っておいても人は近づいてくるし。ピンチの時に離れずにいてくれた人が本物だ。
支援に関しては経済状態や収入がみんな違うわけだから、支援しないからダメとかは当然思っていない。行動やアクションなどお金がかからない所でも出来るわけで、お金以外にも支援の方法ってある。総合的に見てる。
でも、最終的にはお金で支援してくれる人を増やして行かなければ具体的に活動に力を入れられないのでそこから目を背けないし、あえてこうして伝えていく。お金の話になると人は逃げていきがちだとは思うけど、それも込みで書いてる。
ちょっとお金の話になるとすぐ嫌な顔する人はそもそも関わる段階にないと思うので。というか、価値観が違いすぎるから。活動にお金は必要だよ。当たり前じゃん。どこから金が湧いてくるんだよwwそういうとこまで見えてない人が平気で活動でお金を受け取るべきじゃないとか言う。
そういう議論はもういいよ。何度もやってきた。どう考えても必要だろ。軸を保つためにも自分の感覚をしっかり信じていく。間違ってたと自分が気付いたならそこで軌道修正する。人の意見を鵜呑みにしない。意見は意見として聞く。そういう人もいるんだなと。ただ、必要以上に議論はしない。平行線になることがほとんどなので。
価値観の違い、多様化を受け入れるということは違う価値観の人と適度な距離を取るということでもあると思ってる。じゃないとお互い心地よくないからな。色んな考えがあるから。だから俺は俺の価値観を通すために0から自分で立ち上げて自分の価値観を通し理解してくれる人達とやっていく。
ずっとそうしてきたしこれからもそうしていく。その方が決定もすばやく出来るしな。メンバーの顔色伺って…とかその時点で軸がブレる。自分の考えで行くけど、面白いアイデアは積極的に採用していく。そういうスタンス。
結局一周して10年くらい前の価値観で良かったんだよなぁって。ゴリゴリ押し通していく感じ。人に合わせて人を尊重してって、崇高だと思うけど俺にとっての正解は今のところそっちじゃなかった。好感度はあがるけどな。妬むやつも出てくるのであまりおすすめはしない。笑
言っておきたいのは人を尊重してた時期の俺も嘘をついていたわけじゃなくて、あ〜いう部分が俺の中にはあるということ。嘘だったらあんな長期間出来ないだろ。笑 あの頃とは信じているものが違うんだよ。あの頃は人の善意を信じてた。それで回っていくと。その結果、利用しようとするやつ増えた。笑
今の俺は自分と人の可能性を信じてる。人の可能性というのは、たくさんいる人の中で一定数いる俺と最高に価値観が合ったり深く活動を理解して応援してくれる人の存在。だから自分を貫ける。嫌われるとも思ってる。もともと好かれる人間ではない。しかし、一部のハマる人に関しては今まで以上に心の距離を縮めていける。
こっちの方が幸せなんだと思った。嫌われる覚悟が無いと人に好かれる事もないってこと。表面上好かれることに意味なんてない。簡単にオセロのようにひっくり返るのだから。それは信頼関係と呼ばない。
ダメな部分も含め関わろうと思ってもらえるかどうか。ハードルは高いが、それをクリアした時家族や親友のような関係性になれるんじゃないかな。そう思ったよ。
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