人生の中で、その時々で信じていたものが違う。その結果を人生を通して実験している。
ざっくり少年期は一番ワガママだった。うっすらとしか自覚はそんなに無いが、家族に何度もそう言われたのでそうなのだろう。
行動を思い出してみると確かにそうだったように思う。みなぎる力が抑えられなかったのと感情に素直だった。
この時の価値観は「願望を叶える為に頭を使え」だ。
中学校の1年目は人間関係を作るのに悪戦苦闘していた。しかし、優しいクラスメイトが話しかけてくれた。
自分から人に話しかけるというのは今でも苦手だ。動けずにいる自分に話しかけてくれた人達に今でも感謝している。
2年生、3年生の時は比較的楽しかったように思う。勉強は相変わらず好きではなく、学校に行くのもめんどくさかったが。
この時の価値観は「協調性の中で自我を光らせろ」だ。
高校時代は「青春する」という事をずっと意識して生きていた。ファッション雑誌を読み漁って青春に必要な要素は全て手に入れようとした。
学校の友達と遊びに行き、恋をし、バイトをし、様々な経験をした。
この時の価値観は「自分を磨き唯一無二の存在になれ」だ。
高校を卒業したらフリーターになると宣言していた通りフリーターになった。この時の夢はミュージシャンだった。
最小限の労働とギターを弾く日々。
この時の価値観は「自由を楽しみながら才能を磨け」だ。
20代半ばで人を集めて遊ぶようになる。10人から30人くらいで遊ぶ簡単なイベントを頻繁に主催していた。
ギターを弾き酒を飲み夢を語り無数の人達にまみれた。
当時、鏡の法則やマーフィーの法則に興味を持っていた。
自分を内面から、根底から良くしようと本を読みまくって様々な価値観を吸収した。
心理学の本もたくさん読んだ。
この頃の価値観は「自分より他人を優先し見返りは求めなくとも必ず返ってくる」だ。
そして数年前。人間関係に本当に疲れ果てて仕事にまで影響を及ぼされるような事があり仕事のやり方から考え直してプライベートが一切関係ない仕事の仕方を模索して今のワークスタイルに辿り着く。
自分の事を後回しにしたり本音を言わず人の意見を優先していた時期は本当に長かった。
それでうまくいくと本気で思っていたので不満も特になかった。
しかし、蓋を開けてみれば力添えをした人間にさえ陰口を言われていたという事実。
感謝される事はあれど悪く言われる筋合いはないと本気で思った。
自分の考えを最優先にしてやってみよう。そう思ったのが数年前だ。
ほとんどの人から距離を取って仕事ばかりをしていた。ネットでのコミュニケーションを取ったりネット上のコミュニティは作っていた。
ここ数年の価値観は「自分の思い通りにやる!」だ。
人生の中で大きく分けて2つの価値観を過ごしている事がわかる。
自分を優先する生き方と、人を優先する生き方。
どちらも徹底的にやってみた結果、両者メリット・デメリットあった。
自分を優先する場合、人との繋がりは意識しないと薄くなりがちだ。
人は大切にされたと感じた時に相手を信頼する。
自分の意見を採用された時に嬉しく思い、居心地の良さを感じるのだ。
自分の考えを優先する場合、採用出来る幅が極端に狭くなる。
何をどうしたいかという事は基本的に決まっていてかなりの範囲で固まっているからだ。
人を優先する場合、軸が曖昧になりやすい。
俺のやり方では相手を持ち上げてスター性を持たせていく。
面白いところを伝えたり人間性を褒める事で周囲にその人の素晴らしさを伝えていっていた。
人間というのは力を持っていくと調子に乗る傾向がある。
組織がなくとも力を持ってしまえば自分でやったほうが窮屈じゃなくなる。
そう思うのか、好き勝手やろうとする。
制御出来なくなりコミュニティ自体が崩壊する。
一体感を持ってやってきたはずなのに大体ここが原因でそこから先に進めなくなる。
一人でなんでもやろうとする場合、レバレッジが効かないので効率が悪いというのは感じる。
人間関係が最小限な分、不快な思いをする事は極端に少ない。
ペースも崩されない。
人を優先するメリットとして、信頼を稼ぎやすいこと、協力者が増えやすいことがあげられる。
レバレッジが効く。
まさに一長一短あるんだなと体験から実感した。
大体考えたら分かりそうな結果だが、物事は実際にやってみると想像とは違う結果になる事も少なくない。
コミュニティがまさにそうで、こうしたらこうなるだろう。。という想定のもとやってみても、ある程度は大きく出来るがそこから先は毎回同じ結果に陥る。
だから自分の中の価値観を変えてやってみているが、最終的に同じ結果になっていくのは不思議であり興味深い。
コミュニティが上手く回っている時というのは心の底から楽しい。
もともと自分のテリトリーで好き勝手遊びたいというのがコミュニティを作ったスタートなので、楽しいのは当たり前なのだけれど。
過去10年位ほとんどルールを作らずにコミュニティを運営していた。
ここ数年は自分の意思を尊重しルールを作ってやってみた。
結果、10年位やっていたコミュニティではメンバー数が支部も含め3000人くらいになったが、ここ数年のFacebook上でのグループは3400人を超えた。
成長ペースで言えばルールがある方が成長している。
ただ、プラットフォームも違うし時代も違うので比較するのは難しい。
前者の場合リアルも絡めてでそのペースで、後者はネットの関わりだけでだから、後者の方がメンバー数だけ見ると成功しているのかもしれない。
去年までで自分の短所は出し切ったと思う。一回これをやっておきたかった。
自分の価値観をストレートに出す事、プラスとマイナス関係なく出すこと。
人間なのだからいいとこもあれば悪いところもある。
喜怒哀楽もある。
色々やって思ったのは結局「バランス」なのかもしれないという事。
突き抜けて偏った方が強いんじゃないかと正直思ってる。
自分はそういう役割だとも思ってる。
結果からどう感じるか。自分に起きた出来事から何を感じるかで最終的な感じ方が変わってしまう。
人を優先した結果、悪口を言われる筋合いのない人から悪口を言われ人間関係もめちゃくちゃにされた。
そこのインパクトがあまりにも強すぎたので失敗だったと思ったけど、当時を振り返ると腹から笑える楽しい事もたくさんあったし、ハンドメイドをやれば買ってくれる人がいる、音楽をやれば聴きに来てくれる人がいる、写真をポストカードにすれば買ってくれる人がいた。
それは信頼関係を構築出来ていたからに他ならない。悪い事ばかりじゃなかった。
最近、西野亮廣さんの考えや行動を見ていて、10年前の自分の考え方や行動の方が近いと感じた。
ガチでお金より信頼を勝ち取りにいっていた。
実際、大きな恩恵もいくつもあった。
あの頃の自分の考えは無理していたわけでもなんでもなくて、今でも自分の中にはある。
ただ、色んな出来事から人を信じられなくなってきているからやりにくくなってしまったのだと思う。
だから西野亮廣さんの言ってる事を本当に理解しようとしてる。
もともと自分の中にあったものを取り戻す為に。
人にまみれ、人に恩恵をもらい、人を傷つけ、人に傷つけられた。
俺もたくさんの人を傷つけて生きてきたと思う。
だから自分が傷ついた事なんてちっぽけなこと。。と思うようにしていたけど、よく考えてみればそれとこれとは別の話で、別々に考えるべきだと思った。
自分をもっと大切にしていいんだと最近は思ってる。自分の事を考える事するおこがましいくらいに思ってしまっていたから。
極端な時期を経てだいぶ自分をフラットな場所に持ってこれたと思う。
喜怒哀楽がある状態で。
ここ数年、自分の事を中心にやってきたけど、その中でいくつものピンチがありそれを救ってくれた人達がいる。
全力でその人達の力になれるようになりたいなって思う。
そうするには俺自身に余裕がないと無理なんだ。
「金じゃない」と言うには、まず金をたくさん持っているかいつでも作れる状態がないと人を優先して倒れてしまう。
最近、「意味がある事をしたい。」という思いがずっと湧き続けている。
自分にしか出来ない事をやりたい。出来るだけ純粋にやりたい事を突き詰めたい。そのうえでお金を稼いでいきたい。
お金を稼ぐ理由は、生活が安定すればもっと大事な事に積極的に協力出来るからといいう事と、自分らしく生きれるから。
しかし、お金にとらわれすぎるとこれからの時代危ないのでそこも考えながらだ。
人にどう思われるかより、どうしたいかで決めていきたい。
短所は去年出しきったので、今年からもっと自分の良い所も出していこうかな。
期待値を下げるという作業をずっとやっていたので。
これで気持ち悪さはなくなった。
過剰に「いい人」だと思われると色々やりにくい。
全くいい人ではないので。
悪いところばかりでもないけど。
良い所も悪い所もある。
人間そんなもんだ。
それを理解出来ない人は正直イタい。
喜怒哀楽は極力出していく。
一周回ってそこにたどり着いたから。
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