例えば金が稼げなかったり、例えば無気力で何日も寝込んでしまったり、そんな自分をそれでも愛していると誰かに言ってもらいたかったのだろうなとふと思った。
金が稼げないのに大好きな人に会ったらいけないなんて自分に足かせをはめてしまう事がある。
何も出来ない自分が愛されるはずなんてないと、心の奥底で思っているのだと思ったんだ。
大好きな人に美味しいものさえ食べさせてあげられない自分に価値なんてない。と思っているその裏で、それでも本当の本当は愛されたいと強く思っていたのだと思った。
俺が猫を無条件で大好きだと思う、あの気持ち。猫はどんな時も人の都合のいいようにいくとは限らない。それでも猫が好きなのだと実感出来る、あの気持ちを自分にも向けてもらいたいのだと思った。
猫は何も出来なくてもたくさん眠っても一貫して愛される。もちろん嫌われ迫害される事もある。
万人に愛される事はないが、そんなことは問題ではない。
自分が好きだと思うものを見渡すと、その好きだと思える対象に自分を重ねている事がよくある。
どれだけエゴでも弱さを認めていきたいんだ。自己中心的な考えでも、一旦自分の中で認めたいんだ。
どれだけ弱くて人から見てしょうもないことでも、本当に自分がそう思っているのなら。
器の小ささも人間としてのしょうもなさも。
リアルな自分ならば。
本当は何も出来ない人間なんだよね。本来はね。
そこを一旦認めているからこそ、そこから歩き出せる。
大切に思う人を大切にする事が昔から上手く出来ない。
その事で、軽く思われていると相手に思われてしまう事もしばしば。
しょうがないんだとは思うけど、すごく苦しかったんだ、そのことが。
自分の事をやっていたらいつの間にか時間が経っていて、同じように相手の時間も経っていて、俺の中で人を好きでいる事を弱く小さな炎をずっと保つようなものであり簡単に変わるものではない。
でも人は強く求めないと心を繋ぎ止めておくことは難しいのだろうなと思う。
自分は不器用すぎる。
猫のような存在になりたいといつも思うが、猫のような存在にしかなれないのだと思う。
上手にやることなんて出来ないから。
夢中で何かやっている間に気がついたらたくさんの物を失っていて苦しくなって、楽しかった事を思い出したりする。
休んで、また歩き出す。その繰り返し。
そんなふうにしか生きていけないんだと思う。
たくさん人を傷つけてきたなって思うし、これからも傷つけていくんだと思う。
本当は誰も傷つけたくない、そして仲良くしたいだけだ。
だけど嘘の自分でしか繋ぎ止められないのなら今の俺は本当の自分でいたいと思うだろうな。
表面上取り繕えば色んな事は表面上上手くいくのかもしれない。
でもそうすればするほど現実の世界と心の乖離は進んでいくんだ。
お金が稼げなくても何も出来なくても愛される存在なんているのかな。
そんな事を考える時、自分は可愛げがないからなと思う。
たくさんの「出来る事」を証明していく作業はそれもまた愛されたかったからなんだと思う。
求める割に、愛する事を上手に出来ないからきっとガッカリさせたこともたくさんあるんだろうな。
一般的な事は何も出来ないよ。
いつも難しいなと思う。
数ヶ月に一度くらいかな、とてもさみしくなる事がある。
そんな時も、何をどうしたら自分が満たされるのかさえいつもよくわからない。
どこからくるさみしさなのかもわからない。
自分自身に対する物足りなさなのか、誰かに何かしてほしいのか、そんなことさえわからないから困る。
一人で生きていける人間ではないのに、人と生きていける人間でもない。
誰も幸せに出来ないんだろうなとよく思う。
全部認めた上で歩き出す。今、そう思う事、本来の自分がそうであることとこれからは違うし、自分なりに考えて行動していくから未来はいつだって変わる可能性は残されてる。
自分の弱いところだって、マイナスなことだって考えるし書くよ。それが本来の俺だ。
どうしようもない劣等感や苦しさを抱えて生きているのは誰だってそうだ。
ありのままの自分でいこう。これからも。
不安定な時もある。自分の存在価値を疑う事もある。どうしようもない精神状態の時もある。
だけどそれは俺を構成する要素の一つであり本当の自分なのだから。
誰かにとって見苦しかったりどうでもいいことだとしてもいい。
自分と人が同じである必要はないのだから。
猫はそこに存在しているだけで癒やしだと思う。何もしない姿を許す心を実感させてくれる事、その事自体が彼らの存在価値になってる。
ただただ眠り続ける存在を抱きしめる事、そのままいて欲しいと思う心を実感させてくれる。
そんな生き方もあるよって、勝手に人間が見て思っているだけなのだけれど定期的に思い出させてくれる存在。
猫のようになりたい。そういう生き方しか出来ないのだから。出来ないというかしたくないというのもある。
色んな立ち位置に自分を置いて生きてみたけど、やはりそこは一貫していた。心の中で求めていたのはずっと猫のような存在だった。
尖り、突き抜けるしかないんだ。生き方として。
理解されなくて当然の生き方をどれだけ出来るかなんだと思う。
そして猫と同じように、その姿を見てそんな生き方もあるんだと存在で見せていけたら自分の存在理由も少しは実感できるかな。
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