自分単体の価値について考えていた。
もともと人と上手に付き合う事が出来るほうではないので、本来の自分と、自分に付随する付加価値を分けて考えるようになった。
生きてきた時代によって自分に付随する付加価値が大きく変わっていく。
路上ミュージシャンをしていた時代、ハンドメイドをしていた時代、コミュニティを運営する事をメインに活動していた時代など。
その度に付随する価値に人が集まってきているのか、本来の自分に人が興味を持ってくれているのかわからなくなっていった。
そもそもどうして創作活動やコミュニティをやるのかというと、自分がどこまで出来るのか知りたいため。
人が集まるところに人が集まる。
いなくなればいなくなっていく速度は加速する。
それは何度も経験してきたことであり、その度に自分の魅力の無さを痛感する事になる。
自分に人が集まって来てくれていたのではなく、人が集まっているから集まっていたのだと理解させられる瞬間。
どれだけいい言葉を言われても結果が全てを物語る。
救われる部分もある。
人がどれだけ離れても変わらずいてくれる人が少数だけどいるということ。
本当の自分と本当に関わってくれていたのは、残ってくれた少数の人達なんだなっていつも思う。
開き直れればいいのだけれど、なかなかそれが難しい。
人が集まってきてる時に集まってくる人というのは去るのも早い。
流行に乗ってるだけの人達だから。
そういう人は口が上手いというか調子に乗らせようとする。
無駄に褒めてくる。
コミュニティの中でより良い位置づけを確保する為に必死だ。
それが透けて見えるから正直イタい。
一生付いていきます!的な事を軽々しくいう人ほど手のひらを返すのも早い。
俺はもっと視野を広く持ちたい。
そういう人達は俺を利用して居場所を確保しようとし、人がいなくなれば簡単にいなくなってしまうのだ。
だったら、俺も彼らを利用してやるくらいの気持ちを持ちたい。
そうすればきっと、その人達が去った時の胸の痛みもなくなるのではないか。
根付いていない人達がたくさん集まっている状態というのはとても不安定で心もとない。
一気にひっくり返る可能性を秘めているからだ。
最近ではこれらの経験から上手くいっている時期でも調子に乗る事は無い。
いつか、このタイミングが来ることを知っているからだ。
波乗りのように感じてる。
どうその波を乗りこなすのか。
バランスを崩せば真っ逆さま。
比較的安定しているグループがある。
現在メンバー数3200人を越えた。この1年だけで1000人以上メンバーが増え、自走に近い状態で運営出来てる。
皮肉にも、そのグループではメンバーと一定の距離感を保って運営している。
本当は仲間のように親しくやっていきたい。何をやるときも。
しかし立場が横並びになった瞬間に崩れる感じがある。
親しき仲にも礼儀ありという言葉は個人的にはあまり好きではないのだけれど、そうせざるを得ないのだと思う。
事実、なんでもありにすると上手くいかなくなる。
本当は個人の良識に任せてルールなんて一切設定せずにいきたいが。
圧倒的に空気を読めない人の存在、ルールを理解せずに参加する人の存在、悪意ある人の存在。
それらはなくなるものではない。
なくならない物に対してどうこう思っても意味がない。対応しないと。
楽しいコミュニティをまたやりたい気持ちはずっと持っている。
今の状況が落ち着かないと何も出来ないけど、時間とお金にもっと余裕が出てきたらゆっくりと時間を使ってコミュニティを運営したい。
今までの経験を全て使って。自分の居場所にもなるような。
そして出来ればずっと変わらない関係が続けばいいな。それが心からの願い。
出会いと別れが多いと心を消耗してしまう。
人と本当はぶつかりたくない。疲れるから。
でも、人とぶつかってでも自分を貫くと決めたからそこは変わらない。
だいぶ本来の自分を取り戻したように思う。
自分を無くせばある程度まで人を増やす事なんて容易いと思う。
その先が見たい。そこから先は太いしっかりとした軸が必要だと思ってる。
柔軟であるだけでは先には進めない。
12月は淡々と過ごす事になりそうな気がする。
12月でペースを作って1月で習慣化すればそれなりに安定期に入る可能性がある。
ただ、同じペースで何かをするという事は一番苦手な事なので出来るかどうかはわからない。
やってみる価値はあると思うからやる。
余裕がないと自分の事以外一切何も出来ない。
進化したい。
2018年に向けて準備はしてる。
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