一時期ノマドワーカーという言葉が流行った。まさに自分の働き方はこれしかないと思った。それが可能な時代。インフラはかなり整っている。俺は使わないけどコワーキングスペースというものも各地に出来て定着していっているように思う。
8月くらいから久しぶりに結構外で仕事をするようになった。理由は単純で、家の中でずっと仕事をしていても気が滅入るからだ。好きなものに囲まれて暮らしているので単純に誘惑が多すぎる。
部屋も楽しむ為に作っているので仕事をするには集中出来ない感じになってしまっているように思う。
仕事を集中して出来るようなレイアウトに出来るまでは外にパソコンを持っていって仕事をする事が増えると思う。
去年、今みたいに外でパソコンを使う事を想定して買っておいた折りたたみのローチェアが何気に役立っていて気に入っている。冬は車の中で快適に過ごしながらパソコンで仕事をするというワークスタイルを確立していきたい。
ずっと家の中で仕事をしている人間からすると、外の空気は異常に心地よい。そして、エネルギーが常に一定でフラットな感じがある。
あまりそういう事を気にする人間ではなかったが、同じ食べ物を食べ続けていると味の違いに気付くようになるのと同じで、同じ環境で仕事をし続ける事によって、どうやら外の世界の素晴らしさに気付いてしまったらしい。
外の世界で素晴らしいと思うのは、色んな匂いがする事だ。普段あまり気にする事のない匂いだが、ずっと自分だけで部屋にいると匂いを感じなくなる。
部屋の匂いがデフォルトになるのだと思う。それ基準で、少し変化があると感じる程度なのだけれど、外の世界は季節、天気、時間帯などによって大きく匂いが違っていて楽しい。
夏の雨が降った後の匂いも好きだし、秋晴れの寒い朝の匂いも好きだ。夕方の排気ガスが立ち込めている匂いとどこかの家の夕食の準備の匂いが混ざっているのもノスタルジーな気持ちにさせてくれる。
基本的に家が大好きなのだけれど、外の世界は新鮮さをいつもくれる。ちょっと食料品を買いに外に出るだけでも「外の空気最高!」と毎回思うほどになっていた。
それくらいずっと家の中で仕事をしていた。
外での作業は古いMacBook Pro確か21012年だったかな、まだDVDスロットがあるものを使うのでデスクトップパソコンでの作業に比べると大幅に効率は悪い。しかし、いらない誘惑(娯楽)がないのでその分集中力を継続する事が出来、結果的に1日あたりの平均作業量は増やせると踏んでいる。
今問題があって、ノートパソコンはバッテリーが1日持たないのだけれど、そこはモバイルバッテリーで対応している。そのモバイルバッテリーが多分正弦波じゃなく擬似正弦波だというのが関係しているのか、マグセーフのアダプタの過充電保護か何かに作用してしまって上手く作動しない。
これが上手く作動してくれないと外で充電が出来ないので集中して外で作業出来ない。電源を取らせてもらえるお店に入るかその都度家に帰って充電する事になる。
家で充電する際にはアダプタは全く問題ないのでアダプタの問題でもないし、モバイルバッテリーも他のものなら使えるのが確認出来ているのでアダプタとモバイルバッテリーの相性なのだと思う。
一番欲しいモバイルバッテリーは5万円するのでちょっとケチったのが良くなかったのか。。
ただ、現状選択肢が無かったのは事実。お金が原因で選択肢が狭まってしまう事は本当に悲しいし勿体無いことだ。
俺だけではなく、世の中からお金が原因で選択肢が狭まってしまう人がいなくなればいいと本当に思う。
どれを買ったらいいのか自分の中で分かっているのに値段的に買えないからコスパが良さそうな他の物を選択する。
これでもいろいろ調べて評価も高いものも買ったので選べる中ではベストの物を選んだ自負はあるが、安物は安物なりだ。結局高くつくこともある。
ここ数ヶ月特に「お金と時間」というものと向き合ってみている。お金や時間が無くて人が離れていくのだとしたらそれはもうしょうがない事だと思う。人が離れていくのが恐くてありのままの自分を見せられなくなる事の方が恐い。
いつも挑戦をしたり何かやる時には改めて孤独になる覚悟がいる。誰だってひとりぼっちは嫌だ。置いてけぼりは嫌だ。悲しいのもさみしいのも嫌だ。
だけど、それらを避ける事を第一目標にしてしまった時、何かが終わるような気がしてる。
チャレンジする心は折れ年老いていくだけのような気がする。
そして守りに入った人間にそれ以上の結果は出せないと思ってる。
失敗する事もあるし、本当に孤独を噛みしめる事もあるかもしれない。それでも自分らしくいたいと思えるかどうかだ。
本当の自分とは誰かにとって常に都合がいいとは限らないのだから。
全部合わせていたら自分の心の声は不要になり、次第に自分自身に話しかけてくれる事もなくなる。
本当に自分がどうしたいのか分からなくなってしまうのだ。自分のことなのに。
人に全部合わせるのであれば自分の心の声は無い方がストレスが軽減される。
だから人間の脳はそのようになっているのだろう。
経験がある。今は、よく聞こえる。小さい声にも耳を傾けて違和感を解消していく事に努めているから。
生まれた時から死ぬ時まで変わらずずっと一緒にいてくれて、誰より自分ごとで考えてくれるのは当然だけど自分自身なんだよ。
人間関係は変わっていく。悲しいほどに。だけど、それも受け入れた。しっかりと軸を持っていないとこの変化に心が折れてしまうと思う。
いつか、もっと人と笑い合えるようになりたい。自分が自分らしくありながら。人が人らしくありながら。
自分の願いを叶え続けていった先にしか、人の願いを叶えてあげられる未来はない。
どうしようもない自分を本当に受け入れてくれるのは自分自身しかいないのかもしれない。
だから自分だけはどんな自分も受け入れようと思ってるし、誰もがそうあるべきなんじゃないかって勝手に思ってる。
人の気持ちはわからないから。わかりたいけど、わからないから。
自分に当てはめて考える事しか出来ない。ただ、出来る事をしよう。
俺は全員と仲良くしようとするのではなく、感覚が合う人を特に大切にしていきたい。
色々やってみたけどそれしかない気がしてる。
働き方も生き方も、失敗してもいいから自分なりにやってみよう。もっと本当の自分でいられるために。


































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