本当の自分というものは簡単に変わるものではないが、自分のスタンスというのは比較的選べるものだ。
「どのように人から見られるか」というのは無意識にコントロールしている感がある。
公にお金が無い時にお金が無いと言えるようになったのは本当に最近で、様々な本を読んでいく中で「お金が無いと口に出せば本当にお金が無くなる」「お金がないという口癖の人の所にお金は集まらない」等、まことしやかに囁かれる事について、本当そうだよなぁ。。と思った事がきっかけだったように思う。
結構ストイックな性格なので、信じたら極端にそれをやることがある。「マイナスを口にしない」「悪口を言わない」「人の秘密を漏らさない」ということもかなり徹底してきたように思う。完璧じゃないにしろ、ずっと意識していたことだ。
しかし、もしかしたらこれらの事が自分を停滞させる原因になっている可能性があるかもしれないとある時期に思った。
「お金がない」という事を伝えずに「助けて」という事は難しく、同様に「マイナスを口にしない」という事を徹底している中では助けて欲しい時にその理由を伝える事が困難だ。どうしても言い訳がましくなってしまったり「熱」を入れる事が難しいように思う。
「悪口を言わない」ということを徹底した結果、自分を守る事さえ怪しくなっていた。なぜなら、攻撃してくる相手に言い返す事すら自分に封じていたからだ。
人間関係を見直したタイミングで、自分の中で人に嫌われるという事を許可し(許可しなくても嫌われていたと思う)本当の自分の心に目を向けた。
どれだけクズであろうがどうしょうもない思考であろうが生み出された感情を凝視する事に努めた。
そして、この思考日記のブログが生まれた。
もともとのコンセプトがプラスであるかマイナスであるかを問わず現在感じている事を書く場所。
もしかしたらその事によって失望させた人もいるかもしれない。だが、だとしても後悔はない。これが本当の自分だからだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
勘違いしてほしくないのは、マイナスを口にしないという選択をしていた頃も本当の自分である事に変わりはない。
ただ、スタンスが今と違うのと、マイナスな感情を極力出していなかっただけだ。
怒り、悲しみ、そういったものは爆発するその時まで押さえ込んでいた。
小出しにはしなかった。
もともと短気なので、全て出してしまえば人と関わるには邪魔だと思ったからだ。
自分でも本当にめんどくさい人間だと思う。
ここ数年の俺は小さい事でも「は?」と思ったら言うようにしていてそれで関われないならそれでいいと思って過ごしてきた。
その結果、かなり快適になった。
自分がどういったスタンスでいくのかによって集まってくる人のスタンスが決まる。
全てを包み込むようなスタンスでいけば、全てを包み込んでもらいたいような人たちが集まる。
優しくマイルドな人たちが集まるかもしれないが、一方で一部の人間には都合よく自己肯定の道具として使われがちだ。
人のテリトリーでも何をやっても許されると思いこんでいる人が多い事に気づいて危機感を感じた時期がある。
あと、見返りを求めずに色々やる事を心がけていてそれを公言していたのだけれど、その結果、見返りを求めずに無料でなんでも貰いたい人が集まりやすくなった気がする。
驚いたのは、小規模ながらイベントを企画運営しているのにそこに利益を乗せる人間を叩く人がいたことだ。
俺のところは安いから正義、利益をあまり乗せていないから正義だといわんばかりの口調だった。
余計に利益は乗せにくくなり、きっと乗せたら幻滅するのだろう。
本当に善意ならば無料でやるべきだと考える人が集まりやすくなるのだと知った。
俺は清貧を貫かねばならぬのか。
そういう人間ではない。
清貧を否定するつもりもない。
ただ、俺の生き方はそれではない事は俺が知ってる。
俺は金も稼ぐしどちらかというと、よりたくさん稼いで多く稼いだ分だけ更に面白い事に投資していきたいと考える人間だ。
だからお金を手に入れる事に関して罪悪感を持ちたくはない。
お金をたくさん稼ぐ事を悪だと思っている人を周りに起きたくもない。
稼げるなら俺はたくさん稼ぐ。
現在、そうは出来ていないけれど、それはスタンスとして伝えておきたい。
たくさん稼ぐ人が悪だとは俺は思わない。
たくさん稼いでいる人の中には、たくさん稼ぐ事は悪だと叫んでいる人の何倍も社会に貢献している人たちが多いと俺は思ってる。
もちろんみんなではないけれど。
面白い事をやるのにお金を使う事を悪だと思っている人を周りに置いてはいけない。
無料でやる事が正義、安くやる事が偉いと思っている人を周りに置いてはいけない。
お金を使わずに出来る事はお金を使わずにやったらいいと思うけど、お金を使う事で効率化出来たり更に面白くなる事だってある。
面白い事にたくさん投資してきたけど、これからもそうしていく。
恐怖があると、それを助長するような人たちが集まりやすくなる気がする。
そして凝り固まっていく。
恐怖は逃げ続ければどんどん大きくなる。
恐怖の正体を凝視する事が重要だ。
何にビビっているのか、何が嫌なのか。
自分の思考に目を凝らして感じる。
自分のスタンスは無意識から構築していくのではなく、意図的にデザインしていくのがいいと思う。
1つ1つの事に自分の考えはこうだと語れるようになるのがいいと思う。
その価値観に○をつけてくれる人達が集まってきやすいのだから。
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