コミュニティをやっていて思う事がある。基本的にコミュニティというのは共通の目的や価値観、思想を持って集まる事が多いと思うのだけれど、「〜が好き」というので集まった場合、多くの場合価値観でぶつかる事になる。
例えば野球が好きというコミュニティがあったとして、野球をするのが好きな人もいれば見るのが好きな人もいる。ガチでやるのが好きな人もいればゆるくやるのが好きな人もいる。
共通のものを好きなはずなのに、これを1つにまとめようとしてしまうと、距離感が近すぎてお互いが居心地悪くなってしまう。
「〜をゆるく楽しむのが好き」という絞ったコンセプトにするのはいい事だと思う。1つ問題があるとすれば絞りすぎると人を集めにくくなること。
人は人が集まっていたり、盛り上がっている所に集まりやすいのでスタートが遅くなる。
色々やってみて思ったのは、まずザックリ大きな枠で集まって、そこから細分化していくということだ。これもリスクはあって、人が分散する事によって「盛り上がり感」が失われてしまうこともあるということ。
なにも考えずに楽しいと思う事を楽しみたいだけなのに、規模が大きくなってくるとそれすら難しくなっていくというもどかしさは何度も感じてきた。
あと、コミュニティを自己顕示欲を満たす場所、自尊心を満たす場所に使う人達。これ系統は気をつけたほうがいい。
管理人のように振る舞いだしたり、同様のコミュニティをコミュニティメンバー引き連れて始めようとする。
コミュニティは人ありきで動いていくし成長スピードも変わってくるわけで、本当にコミュニティの事を思うのであればそんなことするわけがない。
けど、意外とこれやる人多いんだよね。
好き + 価値観 で分類していくのが最終的にはいいのではないかと思ってる。
規模が大きくなった時、そこに発生するエネルギーは本当に大きくて、だんだんと舵取りしにくくなる。
なんだかんだ、今でもネット上で3000人くらいのグループを管理してるけど、ここは価値観の統一をはかっているから大丈夫な気がする。
メンバーが自然に動いてくれているのも嬉しい。最悪何かの拍子に活動が鈍くなっていった時には自分だけでも続けていこうとは思ってる。
こういう時に、自分自身がその物を好きなのかどうなのかが大切になってくる。
一人でも続けていきたいと思える事をずっとやってきたけど、これからもそうだ。
物理的に一人では無理なこともあるけど。そして、けして一人を望んでいるわけではない。
ひとりになってしまうことも、そりゃあるよって話。
ここを覚悟していないと、絶対に曲げてはいけない軸の部分を曲げてしまって取り返しがつかない事になる。
そもそもそのコミュニティをどうして作ろうと思ったのか。ここありきで動いていたはずなのに、コミュニティが形を変え、これを変えてしまえば人は増えるけど。。みたいな局面になることってある。
実際、経験上どちらの選択をしても、ごっそり人が抜ける時期ってくるものだ。
スタート直後の濃い時期が好きな人もいれば、みんなでわいわい出来る時期が好きな人もいる。
ただ、それはどっちも同じコミュニティであり、人間の子供の時の方が可愛い、今の方がカッコイイと言ってるのと同じで、どちらも良さがある、ただ今は今なんだよね。
それを理解してくれるメンバーが本当のメンバーなのだと思う。
規模が大きくなったら運営方針も変えないと難しいだろうし。でも軸が変わるわけではない。
規模が大きい所から縮小せざるを得なくなったときも、運営方針は変わるだろう。同じく軸が変わるわけではない。
人を集めるのに特化したモードと、快適に長く関わっていくモードって俺の中では違っていて、それを理解されなかったこともあった。
好きな事で集まって、ある意味関係性や距離感をデザインするのが管理人という存在なのだと思った。
軸はこれ!軸はここです!と定期的にアナウンスする事である程度の価値観は保たれる。
規模が大きくなった時にめんどくさい人が多くなったと感じるのは、割合が同じでも相対的に増えているからそう感じるだけなのだと思う。
その分、いい人にもめぐりあいやすくなってるはずだし。
明日から10月が始まる。
「好きなものに特化する」というテーマで様々な事をやっていきたいと現段階では思ってる。
どうなるかは動き出してみないとわからない。
相変わらず通常業務もどっさりあるしね。
もう1段階、好きな事だけやれる状態に自分を持っていきたい。その一心で行動あるのみだ。
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