炎上している人が謝罪していた。悪い所を直して良い部分を出していく。。という事を言っていた。過去の自分も全く同じように考えた事がある。これは子供の頃からの教えに起因すると思う。そもそも良い悪いっていうのは人によって感じ方が正反対になる。
陥りやすいのは、人気が出てきた時に相対的に批判の声が多くなった時に自分の個性を叩かれるので、その個性を消さないといけないという思考パターン。確かにそこを消してしまえば炎上はしにくくなるかもしれないけど、0にする事は出来ないし、一部の取っ掛かりを取るだけだ。デメリットとして、その個性を気に入りついてきてくれたファンを失うという事。
批判は、常識的な考えのもとに行われやすい。個性は常識を逸脱した所にある事が多いので、常識的に考えると自分が直せば済むという話に落ち着きがち。でも、そこまで人気になれたのは個性があったからなわけで、常識的じゃない行動や発言があったからその地位にいけたわけで、一般的な考えに「個性」というものをあてはめると「もうちょっと落ち着いたほうが良いんじゃない?」「ちょっとやりすぎなんじゃない?」という話になりがち。
それを振り切ってでも自分を貫けるかどうかなんだと思う。本当に難しいことだけれど。炎上したタイミングで多くの人がどっちにしても去っていくだろう。迎合しても貫いても、どちらにしてもたくさんの人は去っていくだろう。それでも、先があるのは貫いたほうなんじゃないかな。迎合する生き方もあると思う。それが悪いという事でもなくて、本当はどっちの自分で行きたいのかっていうこと。
メチャクチャいい人を演じていっても炎上はする。何をどうやっても批判する人間は100%出て来る。その時に自分で納得出来るのはどちらなのかって事だと思う。常識的な良い悪いを考えるよりも自分的にどうなのかっていう事を考えていかなければ結局個性を消すという答えで落ち着かざるをえない。
一時的に孤独になっても一人ぼっちになってもやりたい事を貫けるかどうなのか。一番大切な人に理解されなくても自分を貫けるのかどうなのかっていう極論にイエスと言えた人しか一定より先にはいけない気がしてる。
大切な人を蔑ろにするということではなく、そんな自分すら大切にしていけるくらいの神経がないと心が持たないということ。本当に大切に思い、思われているなら「あなたがきめたことなら。」と理解されると思うし、理解されない価値観同士なら先はないでしょ。
言葉にするのは簡単だけど、この判断も本当に難しい事だと思う。経営者が孤独、アーティストが孤独というのはここが大きいと思う。結局、どんな判断をしてもアドバイスをしてくれた人が責任をとってくれるわけではない。どれだけ大切な人の言葉であろうと、責任を取る事になるのは自分自身なんよな。「あの人がこう言ったから。。」という理由で失敗したら俺だったら後悔する。だから自分の事は自分で決めたほうがいいと思う。
まず自分自身に対して良い悪いという判断を極力しないようにしたいと思い、この1年位本当の自分でいくように心がけてる。最近よく書くけど、人とぶつかる事もあまり避けない。それで終わるような関係であれば遅かれ早かれ終わるから。自分で良いと思っている部分、悪いと思っている部分、コンプレックスな部分、全て自分が勝手に思ってるだけ。人から見れば正反対のことだってよくある。
だから自分で良し悪しを判断せずに極力見せて相手に判断してもらう。そしたらもしかしたら関われる人は少なくなるかもしれないけど、本当の自分でいいよって言ってくれる人だけが残る。もしかしたら一人ぼっちになって孤独になる可能性もなくはない。だからその覚悟がないとどっちにしても駄目なんよな。
理解されるかどうかわからない、だから止めるのか、それでもやるのか。そこの判断でGOを出せるのは覚悟があるかどうかだけだと思う。自分が全て正しいということではなく、正しいところも間違っているところもあるだろうけど、現状こういう人間です。ということ。
自分を出してみて周りの反応を見て、そこからまた自分と向き合えばいい。やっとそこから自分を研磨していく作業に入れるんだと思う。まだ自分の輪郭さえわからないのに洗練していこうと思っても無理だ。研磨する道具さえわからないだろう。紙やすりなのか彫刻刀なのかスポンジなのか。常識や一般的なものと比較するのではなく、自分自身の中にある理想と比較し近づけていく作業だ。だから常識は関係ない。
個人レベルの話でいえばそういうことだと思ってる。思考は流れるように変化していくもの。今後変わるかもしれない。。なんて考えてたら何も書けない。今、感じた事をここに書く。明日は明日の自分。それでいいよ。
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