最近は人とぶつかる事も避けないようになった。出来る限り思っている事を思ったように伝えるようにしている。相手からすれば至極迷惑な話ではあるが、本当の感情や思いを伝えられないまま関われない。仲良くなりたいからこそ、通らなければならない道だと思っている。
この事で、勘違いされても構わない。というか、勘違いではないのだろうし。深い部分には、「仲良くなりたい。」「これからも関わりたい。」という強い思いがある。しかし、そんな思いがあればあるほど、本音を隠してしまいがちだ。相手が去ってしまうかもしれない。理解されないかもしれないと恐れてしまう。
実際、恐れていた事が現実になる事も少なくない。きっと、本音を隠して上辺だけで関わっていけば、もっと長く関われたりもするのだろう。相手にもプライドや自尊心がある。去っていく事を不思議だとは思わない。
子供の頃、あれだけ人とすぐに仲良くなれたのは、みんな本音で生きていたからだと思うんだ。おとなになってからも、仲良い人には大概深い部分まで話してる。どこまでぶつかれるか、どこまで本音を出せるか、そしてそれを乗り越えられるかで仲良くなれるかが決まる。途中で、どちらかがリタイアしてしまったらそこで関係性は終わってしまう。頭がいい大人なら、こんなリスクは避けたいだろう。
でも、なんかもう嫌なんだよね。上っ面で話をしてんのが。関係性って、継続する事が目的じゃないでしょ。上っ面で話して継続しても何も楽しくない。いつだって、一貫して本物の関係性を求めてる。
もうなんか表面上のたくさんの関係性ってさ、十分やりきったんよ。だから、そこはもういいかなって。
俺は関わる人間を選ぶけど、その分、関わる人達と楽しんでいきたいという気持ちが本当に強い。関わる人達に変な人を繋げたくないし、いつだって全力で遊ぶ時は遊びたい。
嫌いな人と繋がってる人とは関わってられないでしょ。俺の中では当然の話し。思っている事を伝えた、分かり合えなかった。よくある話ではある。本音は、誰も去ってほしくないけどな。でも俺は自分の道を行くと決めているし、相手にだって選ぶ権利があるんだ。俺が一方的に考えていてもそれは俺の問題であって相手の問題ではない。俺は、こう思ってます、あなたはどうですか、そのやり取りをして考えが合えば共に行く、合わなければ、ここでお別れですね。となるんよな。
そういう意味では、多様性を俺は認めているから、俺と関わらないという選択を取る人の気持ちもわかるよ。人それぞれだからね。俺の考えが好きかどうか、俺が相手の考えを好きかどうか、別の問題だしね。
俺は周りにいてくれる大切に思える人達に時間を使いたい。アンチや分かり合えない人達に使ってる時間はない。大切な人達にさえ時間を使えていない状況だ。
どうでもいい人がどうでもいい人と関わろうがどうしようが関係ないんだよ。大切に思うからこそ腹も立つしぶつかり合う。これからも、そうしていく。
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