そもそも自分がコンプレックスに感じている「正しさ」ってやつはとても曖昧なものだ。昔から世間一般に対するコンプレックスが酷い。適合できない自分、社会性の低さ、協調性のなさ。そこからくるコンプレックスはやがて個性を消した。
個性が邪魔なんだよな。常識的な正しさを追求していくと、自分という存在が邪魔で邪魔でしょうがなくなる。窮屈でどうしようもない。
正しくあろうとする事を辞めようと思った。どうせ正しくなんて生きられないんだ。自分の中の判断基準にコンプレックスを持つのはいい加減やめにしたい。
正しくありたいと思っていたのは、結局批判が恐かったからなのだろう。5、6年前くらいからかな。マイナスな自分を外に出さないようにし、出来るだけ社会性を持とうとしていた。「人脈」ってやつが欲しいと思った時期もある。
たくさんの社長さん達と名刺交換をしてみて思ったのは、名刺交換をしても人脈にはならないということ。当然だよね。紙切れの交換で人脈になんてなるはずもない。社長という存在にも何かしらコンプレックスを感じていたように思う。自分なんかが関わっていいのか。。って。社長っていうのはあくまでも肩書き出し、会社の規模も全く違うわけで、社長だから偉いっていうわけでもないと今は思う。ストーリーには興味あるけどね。
誰かに貢献出来る自分、みんなから尊敬される自分じゃないと相手にされないと思っていた。フリーランスになると、「信用」というのが死活問題になるからだ。いや、なると思っていた。周りの誰か一人が暴走したり、誰か一人の圧倒的アンチを生み出しデマを流されると一瞬で終わるか弱い存在のように思えた。実際、そういう経験を経ている。
リアルな人間関係だけで構築した仕事環境の中では危なかった。仕事だけではなく、コミュニティにおいてもそうだ。悪気なく爆弾を投下する人も出てくるわけで。
やってられるか。
そう思った。積み上げてきたものを、悪気なくふっとばされる気持ち。こういう出来事が真っ直ぐな価値観や思想を歪ませる。「万が一。。」と思い始めるときりがない。起きてもいないような事にビクビクするようになる。
考えた。俺は正しさが信頼を勝ち取る唯一の方法なのだと信じて疑わなかった。しかし、正しさというものは人によって判断基準が違う。ある人にとってはおかしな事でも、ある人にとっては当然の事。人によって正しさは違うのだ。
絶対的な正義として「常識」をぶつけてくる人もいるけど、その常識さえ時代によって大きく違ってくる。曖昧なものだ。だとしたら、何を判断基準にすればいいのだろう。
唯一、正しさをはかれるものがあるとしたら、「自分が信じるもの」だ。結局人は、どれだけ常識と比較して物事を判断しようとしても、本来自分のなかに備わっている価値観には勝てない。価値観も変化していくものだが、自分の奥底の正しさを無視して偽って常識を判断基準にすると、人生が歪んでいく。本来のレールから外れる。寄ってくる人物から変わってきてしまう。
昔から俺の周りには俺に似た人がたくさんいた。判断基準も似ていた。友達はずっと多い方ではなかったが、腹から笑える友達が少数いたんだ。喧嘩もしたしマジでキレる事も少なくなかったけど、それでも俺にとってそいつらは大切だった。
たくさんの人と関わるようになって、色んな声を聞くようになった。来るもの拒まず、去る者追わずというのが自分の中で普通になっていった。だんだんと、自分には全く似ていない人が周りに溢れていった。違和感は感じていたけど、数字が増える事が嬉しくて、それでもかまわないと思っていた。俺が違和感を感じているということは当然、俺に似た人も違和感を感じていたわけで、合わない人が増えたからとか、あいつが来るなら自分は行かないみたいな事が増えていった。
合わない人を周りにおくという事はこんなリスクも生じさせてしまうんだ。気付いた。俺は数を増やす事よりも、本当に心から笑い合える関係性を作りたいのだと。誰かの悪意や批判の声にビビッて尖る事を忘れてしまえば、敵の声は小さくなるだろうが、味方だっていなくなるんだよ。無難にいくやつに味方なんて出来ない。挑戦するから心が動くんだ。
自由で唯一無二の存在になりたいと思っていた昔の自分に恥ずかしかった。自分の感じた事を伝えて分かり合えずに縁が切れる事が恐かったんだろうな。でも、それが今の俺には出来る。なんでもありじゃないんだよ。怒らない人間ではない。考えが合わないのに一緒に活動をしていく事は出来ないもんな。
自分の考えを大切にしていく。軸をぶれさせない為に。一般的な判断基準は参考程度に、自分の判断基準を磨いていく。
最近は自分に似た人が周りにいる。大切だと思える人は、自分の一部のように感じる。もっと連絡とかもしたいのに日々の仕事に忙殺されていく。状況が落ち着かんとなんも出来ん。心に思い浮かべるだけで癒やしをくれる人がいる。
自分らしさを追求していきたい。真っ直ぐに、伝えたい事は伝えたい。それでも残ってくれる人が本当に関わるべき人だと思うから。
最近は反対意見でも恐れず言うようになった。意外とそれで去る人も少ないんだなって気付いた。基本的に自分のプラットフォームでなんでもやるから、俺が遠慮するっていうのはおかしな話なんだよな。遠慮しなくていいように自分で始めるんだから。
日を追うごとに深く本当の自分に戻れてる気がしてる。数年前の自分と本当に違うと思う。いいのか悪いのかは分かんないけど、俺は今の自分の方が自分らしくていい。ありのままに近づいていってる。もうちょっとだ。
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