ふと、人間関係は高く高く積んだ積み木を崩すようなものだと思う事がある。
信頼関係の強さが積み木の高さだとして、誰もこの高い積み木を壊さないと信じていられるから積み木を更に高く積み上げられるんだよ。
一人でも積み木を勝手に壊す人がいれば、それを止める事は出来ない。
でも、そんな事誰もするはずがないと信じて更に高く積んでいく。
みんなで高く高く積んだ積み木を崩す人が出てくればその事で傷つく人が無数に出る。
1対1の関係性だったら、その衝撃はモロにくる。
崩した人はそのまま逃げたり言い訳をしたり。
でも、積み木はまた一つ一つ手で丁寧につみあげていくしかないんだよ。
一生懸命積み上げた積み木を崩してそのまま逃げるということ、本当に罪深い。
数人で積み木を積み上げるのであれば、積み方やどういうふうにやるかなどルールが必要となる。
自由に積み木を置くことは出来ないから窮屈に思う事もあるだろう。
しかし、好き勝手各自が積み上げていこうとすればバランスを崩して自然に崩れてしまう。
高くなんて積めない。
積み木の積み方を知ってる人間がそのルールを決める。
そのルールが気に入らないのであれば最初から関わらなければいい。
気付かれないように積み木を置く台を斜めにしたり柔らかくしたり。
どれだけ一生懸命積み上げようとしても気付かないように積み上げられないようにする人が出てくる。
一つの台で、みんなで積み木を積み上げていっているのに、他の台で勝手に積み木を積み出そうとする人がいる。
こっちでみんなで積み上げたやり方や知識を使って。
各自が好き勝手、それぞれの台で仲良くなった人を連れて行って積み木を積み上げていこうとすれば最初やってた積み木は積み上がらなくなる。
人が分散するからね。
そして、各自の台でも積み木自体が少ないので高くなんて積み上げられない。
何人かで結託して他の台で積み木を積み上げようとしたとしても、もともと裏切りの元成立した関係。
また勝手に他の台で積み木を積み上げようとする人がその中から出てくる。
人間関係は積木くずしの繰り返しのように思ってしまう事がある。
もしくは、みんなで一つの積み木を積み上げているのに、積み木を盗んで他に持っていく人が出る。
積み上げやすい形の積み木はいつだって人気だ。
積み上げやすい形の積み木を持った人が積み上げやすい積み木を持った人を連れてゴッソリ持っていく事もある。
最悪だよね。
元の場所がボロボロになるのは考えたらわかる。
最初は不揃いの積み木も、角を丸くして、形を合わせて、ルールのもと積み上げていっているのに、形が整った所で盗んでいく。
これほど最悪な事があるだろうか。
彼等にとっては「積み木遊び」なのかもしれない。
でも、俺は真剣に積み上げてる。
どれだけチープなように見えても無駄だと思われても。
積木くずしは終わらない。
でも、見たい。
高く高く積み上がった積み木の上から見える景色を。
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