またちょっと同じような事を書くかもしれんけど書いておこう。
子供の頃にくらべ、好かれるまでいかなくても、テクニックというか、人に「合わせる」事はある程度出来るようになった。
だから、一般的に嫌われないように。。と考え行動する事は少しは出来るようになった。
完璧ではないけどね。出来る範囲で。
だから、ある程度色んな人と関われるようにはなったんだけど、果たしてそれで幸せなのか?と、最近よく感じる。
これは本当に難しい問題なんだよな。
ありのままいればきっと、嫌われてしまうだろうし、人も離れるだろうけど本当の自分でいられる。
人に合わせ続ければ上辺だけの当たり障りない話しだけしてればそれなりに人間関係も作れるだろう。
こういう事を考えている時にさ、「誰からも嫌われず、好かれもしない」のと、「たくさん嫌われ、深く好かれる」のどっちがいいかっていう事だと思ったんだよね。
言い換えれば、「0」という数字も、10−10=0なのか、0−0=0なのか。。
結局、物事っていうのはメリット・デメリット足すと0になる事が多いと思う。
人生もいい事や悪い事だけではないもんな。
だったら、どっちが好きかっていうので決めていいんじゃないかな。
価値観に従えばいい。
将来、変わってもいい。
だから今どう思うか。
なんか、そんなふうに思ったよ。
出来るだけ嫌われないようにしたかった数年前。
それでも影口を言われてたのは、結局オレはそういう人間なんよな。
嫌われないようにして嫌われないならそれはそれでいいかと思ったけど、嫌われないようにしても嫌われるなら、もう好きなようにしたいよね。笑
もともと人に好かれるタイプじゃないっていうのはよくわかってんだ。
そこは勘違いした事はない。
それに、価値観が多様化してるんだから全ての人に好かれるっていうのは土台無理な話しなんよな。
争いや嫌われる事は苦手なんだけどね〜。
しゃ〜ないよね。
でもさ、前にも書いたけど、生きてきた中で常に好きだと言ってくれる人が不思議といてくれたんだよなぁ。
どれだけありのままに生きていたって、共感してくれる人がいたんだ。
自分的にはそれは奇跡だと思っているけれど、もしかしたら俺が嫌われる事を恐れて批判を受けないような生き方を選べば、好きになってくれる人さえいなくなってしまうんじゃないかと、ふとね、思った。
好きっていうのは恋愛だけじゃなくて友達とかそういうのも含めてね。
当たり障りない人っておるじゃん。
邪魔ではないけど、別に好きでも嫌いでもないっていう感じの人。
はっきり言ってしまえば特に魅力を感じない人ね。
なんか、自分でそっちを選んでしまいそうになってたんじゃないかって。
トラブルも少ないだろうけど喜びも何もないよ。
そんなの、存在してないのと同じ。。とまではいかなくても、自分の人生じゃなくていいよね、それ。
誰だって出来るもんな、そんなの。
面白く無いと嫌なんよ。
いつまでも、ヘンテコでいいから自分の考えのままに生きたい。
自分の人生、好きに生きよ。
好きに出来なくなるような選択はしないように。
楽しまんと意味ね〜わ。
俺の人生的にはな。
うんざりしとる時間勿体無いって。
絶対、おもろい事しとったほうがええじゃん。
な。
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