「普通」って難しい。

子どもの頃から普通ではないと、どこか扱われていたように思う。

多分、よくない意味で。

気のせいならいいが、多分気のせいじゃない。

 

普通になろうとすることは割と早い段階で諦めていてさ。

でも、「普通」を理解することは諦めていないんだ。

 

なぜなら、「普通」を理解しないと社会の中では居心地が悪くなるから。

「普通」になれなくても「普通」を理解していれば「普通」っぽく接することができる。

そうしたいかどうかと言われると、したくはない。

でも、必要だと思ってる。

 

少なくとも自分の考えだけでいい場所ばかりではないわけで。

「ヤベーやつ」と俺は紙一重なんじゃないかという自覚がある。

その証拠に、「ヤベーやつ」の気持ちが割と分かってしまう。

本質は、自分もヤベーやつなんだと思う。

 

「普通」を理解することを諦めてしまった時に「ヤベーやつ」になるんじゃないかな。

そもそも理解しようとしてもできない人もいるのかな。

いや、「普通」を理解するより日本語を理解するほうが難しいと思うんだけど。

それとも日本語を理解できないからヤベーやつなのか。。

 

解釈と感じ方の違いだと思うんよな。

「普通」というものは、多数派はどっち?ということと一般的な常識で大体目星がつくと思ってる。

それが染み付いているかどうかの違いなんじゃないかな。

 

俺は染み付いているわけではなくて知識と感覚でやってるだけだから間違うこともあると思う。

まったく的外れになってしまうこともあるかもしれん。

本当に染み付いてる人、根っからの「普通」の人は考えるまでもないんだろうな。

社会で生きていくうえでは少し羨ましくもある。

 

考えるプロセスを一つ削れるわけだから。

「普通」じゃない人というのは、一歩間違えると「ヤベーやつ」になるんじゃないかという恐怖と常に背中合わせ。

 

 

普通の人が普通にできることが難しい時があるんよ。

頑張って頑張って、やっとこなせる。

 

電話とかも恐いしな。

電話恐怖症。

どれだけ好きな相手でも恐い。

なんなんだろうね、あれ。

 

インターホンも恐いし。

ビジネスチャットツールでの連絡もこわい。笑

しょうがないんだけど。笑

 

多分、嫌な思いをしたことがあるものが、片っ端から恐怖症になっていってるんだろう。

いきなりの電話なんて、いい話のほうが少ないじゃん。

アポ無しのインターホンも宗教の勧誘とか断りづらい何か。

ビジネスチャットツールでは丁寧な言葉での修正の依頼。笑

 

学習してしまってるんだろうな。

良くないパターンを。

望まないパターンを。

「こう」なったら「こう」なる可能性が高い。。と。

だから内容が関係ないのが困る。

 

こういう恐怖症により相手に悲しい、寂しい、不快な思いをさせたこともあるかもしれない。

でも、恐いものは恐いんよ。

相手が悪いなんてことはまったくなく、ただただ申し訳ない気持ちになる。

半日気分が戻らないなんてこともよくある。

誰も悪くないのに落ち込む。

 

きっと、普通な人はこんなことで恐怖を感じない。

どんな自分とも付き合うと決めてるから、普通じゃないことは普通じゃないと認識し、その上でどう社会と関わっていくかを考える。

 

自分みたいな人間は、フリーランスという生き方が本当に性に合ってる。

あまり上手にお金を稼げなくても、自分らしくいられることが何より嬉しくてさ。

 

今日も自分らしくいられた。ありがとうございます。

と思いながら眠りにつく。

心からの感謝。

今まで辿った道の協力してくれた存在すべてに。

 

お金がないのは大変だけれど、幸福度にはさほど影響しないんだな。

お味噌汁が美味しいだとか、すき焼き味のふりかけが美味しいだとか、そんなことで改めて幸せを感じる日々だ。

まるで猫が猫じゃらしを見かけた時に、毎回初めて見たかのように興奮するように。

目をまんまるにして。

そんな存在が愛しいから、自分自身の中にも少し似た部分があることにまた幸せを感じたり。

 

猫さんはお手本であり先生だから。

ありのままでいること、できそうでできないもんだよね。

ありのままいながらにして可愛がってもらえる猫は本当に究極の存在。

存在するだけで周りの人を癒やし続けられるなんて本当にすごい。

自覚があろうとなかろうと、その一挙手一投足に猫好きは注目する。

所作も美しく身体能力も高い。

しゃなりしゃなりと歩く。

液体のように柔軟。

 

猫は「普通」ではない。

だから自分も「普通」ではないこと自体はさほど嫌ではない。

社会に溶け込むのに必要なだけで。。

理想は、普通がどうとか考えなくていい日々を送れるようになること。

猫は自分が普通であろうとそうじゃかろうとどうでもいいだろうしね。

人も、そんなふうに生きていけたらいい。

それぞれがそれぞれでいいはずだ。

関われる人は極端に少なくなるけどな。

 

人は言葉があるから厄介。

猫がもし言葉を話せたなら、好きでいられるか分からない。。と、時々思う。

 

攻撃力がない存在が生意気なのは可愛らしいと感じることもあるけどな。

 

どうでもいい話になってきたのでこの辺にしとこ。

それでは。