夏になると無性に思い出の地に行きたくなる。

蝉の鳴き声、肌を焼く日差し、息苦しいほどの熱風。

アスファルトには陽炎。

排気ガスの匂い、うるさいトラックのエンジン音。

そんなものがひどく愛しく感じられて。

 

グーグルストリートビューの人形をつまんで懐かしい場所で離してやるイメージ。

暑さにやられ朦朧としながら歩いていると、自分の容姿さえ意識しなければあの夏に戻れた気になる。

鏡を見なければ、今があの夏ではないという確証がなくなる。

もちろん、頭では現実は分かってはいるがその時は無視。

 

あの時と同じ匂い、音、肌に伝わる感覚。

そういうのがたまらなく好き。

 

今に不満があるわけではないんだ。

過去に戻りたいと強く思うことも少ない。

当時は当時でめんどくさいこともたくさんだったしね。

 

思春期は「好き」と「めんどくさい」が混在していた。

夏休みの宿題なんてうんざりしていたし、休み明けには「忘れました」の一言で少し猶予を伸ばすのはデフォルトだった。

 

暑い夏に田舎の無人駅で電車を待ってる時の感覚は好き。

影が濃くてさ。

たいてい、近くに小さな商店があるんだ。

そこにメジャーじゃないジュースが売ってる。

普段選ばないようなジュースを「これ飲むの何年ぶりだ?」なんて思いながらベンチに腰掛ける。

 

日常のこと、思い出、目の前の風景、一人で座っているだけのになんだか頭の中が忙しい。

使われることのない向かいのホームの看板を見ながら「あの頃と変わってないんだなぁ」と思ったり、目を閉じて仲が良かった人に思いを馳せる。

 

どうしてだろ。

夏の影が濃いように、夏は思い出も濃いような気がする。

他の季節にも思い出はあるが、なんだかその季節の色を思い出も反映している気がするね。

 

今は、あの頃の至らなさも無謀さも悪くなく感じる。

あの頃にはあの頃にしかできないことがあった。

 

そういえば、昔は公園には水飲み場があって噴水のように水が出せた。

高く高く上がる水に、ただそれだけで友達と笑い合えた。

虹が見えて掴もうとしてみたり、飽きて駄菓子を買いに行ったり。

 

そんなことをしている時は、大抵自分の家でも友達の家でもファミコンをやって追い出されるように外に出たときだ。

ポケットには100円もなくて。

秘密基地でも作る?とか言いながら。

 

やることがないというのは贅沢なことだったんだと気づいたのはおとなになってからだったな。

 

夏休みに近所をうろうろしていると、時々友達とすれ違ったり。

近所のお祭りでは好きな子が来るかもしれないからドキドキしたり。

すごく狭い地域での出来事だったんだな。

あれもこれもぜんぶぜんぶ。

 

大変だったこともめんどくさかったことも終わって時間が経てば愛しく思えるものだ。

そして今も、きっと今の大変なことや難しいことも、未来の自分から見れば愛しいんだ。

 

「そういえばあの夏も蝉の鳴き声がうるさくてさ。」って、今のことも思い出すんかな。

 

懐かしいという感覚が好きだ。

当時の感情と、思い出した際に生まれる今の感情が、交互に、もしくは同時に襲いかかってくるからなんだろうな。

もみくちゃにされながらも静かな気持ちになるんよ。

動いているような止まっているような感覚。

鮮やかなような単色のような感覚。

その曖昧さや矛盾が脳内で駆け巡る感じが好き。

脳内では成立してるんだよな。

この感覚を表現するのは難しいけれど、各自の中で発生しているんだろうな。

 

時には、すべてを投げ出して「あの夏」に自分を落としてくるのもいいよ。

没頭すればいい。

鏡も時計も置いておいて。