年齢を重ねると、だんだんと新しい出会いってなくなっていくじゃん。

最終的に孤独になってしまう人って想像より多いのではないかと思ったんよ。

俺が友達少ない割にあまり孤独に対して恐れを抱いていないのは、最悪なんとかなると思ってるからなんだと思う。

 

インターネットを使って本気で人を集めて関係性を作っていくこと、やろうと思えばいつでもできると今でも思ってる部分はある。

ただ、本気で集めるなら自分らしさを少し失う覚悟はいると思う。

そのほうが簡単だから。

 

できるということと望むということは必ずしもイコールではない。

あと、集められると思ってるけど、いざやってみると全く集められない可能性もあるよ!笑

 

ゲームに限らずなんだろうけど、趣味は年齢問わず共通の話題になる。

ドラマでもアニメでも映画でもいいんだろうけど、ゲームだと悩みを共有したり手助けする余白が生まれやすい。

情報なり技術なり。

あと、ルールや細かい設定を覚えなければできないものもあるので思いの外頭を使う。

これがいいと思うんよな。

ボケ防止というと言い方が悪いけど、社会から離れた人が一気に老け込むっていうのはよくあることじゃん。

 

あれは対人関係や仕事などで頭を使わなく良くなってしまい衰えていってるからなんだと思う。

デフォルトの状態では高速で「退化」に引っ張られるのが老人なのではないか。

 

習慣として頭を使ったり興味を持ち続けられれば老けるのは遅れるし若い子と同じ目線で共通の話題が自然に生まれるので、変に流行を取り入れようとして痛々しくなることもない。笑

若い子に合わせようとして付け焼き刃のように少し古い流行りを取り入れている人は見るに堪えないし、何もしないよりも若者をドン引きさせてしまうだろう。

 

自分の興味自体が自然に最新情報を耳に入れるようになる。

目的がなんなのかによって変ないやらしさが生まれるかどうか変わる。

ある種の下心に人は想像以上に敏感なんよな。

そこに気持ち悪さを覚えるんだ。

 

 

俺もいい年になってきたけど、ずっと年上の人でゲームをやっている人を何人か知ってる。

ネット上でコミュニケーションをとってる中で、年の差なんて全く感じない。

プライベートな話をする時に、「そういえばそうだった。」と思うくらい。

でも、それは大した問題じゃないよ。

むしろ、楽しんでる。

 

自然に年齢の壁を超えて友達のように話せるのは理想だと思う。

ゲームの中のアバターを自由に変えられるように、実年齢もまた関係なくて自由な世界なんだ。

精神年齢だけでコミュニケーションが取れる世界。

好きだな。

 

どうぶつの森やマインクラフトのように、まったりマルチプレイができるゲームもある。

癒やされることも多いよ。

誰もが、だんだんと現実世界で体が動かなくなっていく。

そんな中、ゲームの世界では自由に飛び回れたら未来への不安や孤独は幾分和らぐだろう。

 

リアルでの関係性よりネットでの関係性に心が救われることのほうが多くなってる。

顔を合わせなくても心は通じ合えるんだな。

相手を大切に思う気持ちというのは、リアルでもネットでも同じなんだ。

 

俺は周りの人達から孤独を消したい。

できることなら。

ただ、一定数、その人の問題で孤独になってしまう場合もある。

それは本人の問題なのでどうしようもない。

 

アドバイスどおりに動いてくれれば孤独を和らげる方向に進ませることができる状況は存在する。

特にコミュニティ内ではコントロールできることもある。

でも、結局本人が孤独になるような行動をとってしまうと外部の人はどうしようもない。

 

そこは分けて考えてる。

だからすべての人から孤独がなくなればいいと本気で思うけど、手を差し伸べられる人は限られてるのだと思う。

本来の性格が孤独に向かう傾向があっても、本気で孤独じゃなくなりたいと考えるならすぐにでも変えられるだろうな。

 

結局は思考パターンと行動パターンが現実を作り出してるだけなので、そこが変わっていけば結果が変わり自然と現実が変わる。

 

あと、誰かの居場所を作ってあげたいと本気で思い行動していた時期があるけど、これも結局コミュニティに変な人を入れてしまうとコミュニティクラッシャーになってしまうので、入れられなくなるんよな。

居場所を作りたいけど作れない人の居場所を作ってあげたらその人のせいでみんなの居場所が壊れてしまうというジレンマ。

昔から、1対1のコミュニケーションなら癖がある人とも割と普通に話せた。

俺も変わり者だから。

 

ただ、一般の人って癖がある人に対して想像以上に耐性がないんよな。笑

それこそ、多様性で片付けたいのにコミュニティは衰退する。

 

だから誰かの居場所を作ってあげたいという気持ちはまったく変わらないけれど、自分の居場所を作る、そこがたまたま誰かの居場所になればいいというふうに考えることにした。

自分がいなくても回り続けるコミュニティを夢見ていた時期もあるんだけど、自分がいなくても回るようにしようとした結果、誰かに自分と同等の権限を与えることになるじゃん。

そうなると、一気に俺の存在が邪魔に感じてくるのかな。

評判を落とそうとしてくる人が増えることに気がついた。

 

メンバーの俺への信頼がなくなれば自分の信頼が相対的にあがると考えるんだろうな。

なんどかそういうのを見かけたよ。

そもそも、俺がいなくても回るコミュニティを作りたかったのは、誰かの活動をやりやすくさせてあげたかったからだった。

 

不思議と同じ結末になるんよな。

最初はあんなに持ち上げてくれていた人が、うまくいきだすと俺が邪魔になるみたい。笑

1番になってごっそり持っていきたくなるのかな。

 

これも居場所がほしい人を入れると居場所が壊されてしまうジレンマに似てるね。

自分の気持ちは確かにあるのに、それが実現する頃、関係性がおかしな方向に進み出す。

どうして良好な関係でいられないんだろうか。

そもそも嫌いなら近づいてくるなよって思うしな。

 

コミュニティは利用したい、でも俺が邪魔みたいな感じになるんだろうな。

俺が作ったコミュニティでもおかまいなしだ。

 

ここ数年、自分の居場所を作ることだけを考えてきた。

その結果、上記のようなことは当然起こり得ないので快適。

一つ、デメリットがあるとすると自分中心にしすぎると広がりにくくはなる。

 

大きなことはできないけれど、不満はないかな。

平和な日々が続いてる。

その基盤を保ったまま進化していければいいけれど。

 

 

話を戻そう。

おじいちゃんやおばあちゃんが孤独になってしまうのって、なんだか寂しい。

おじいちゃんもおばあちゃんも若い人も誰も無理せずに楽しく生きられたなら素晴らしいのに。

 

大切にし合うことでお互いの自尊心が高まる。

大切な気持ちは行ったり来たりしても失われないんだ。

増幅する。

そんな関係性の中で生きていきたい。

幸せが無限に増えていくようなコミュニティを夢見てる。

 

「最低な部分がある人間がそんなことを考えちゃ駄目」なことなんてないんだ。

本心で思えるならいい。

 

ただ、ポジティブな思考をする人間がいい人とも限らない。

相反する感情や矛盾を抱えながら人は生きていくんだ。

どちらも本心。

それでいい。

どちらか一つにしなければならないなんてことはない。

一貫性なんて意識するものではなく、ただの結果だもんね。

考えなくていい。

 

今、この瞬間、たしかに心の中にある。

その事実だけあれば、それで。