いつも大切な存在に置いてけぼりにされてきた気がする。

しかしよく考えてみれば大切に思ってくれていた人を置いてけぼりにしたこともあるはずだ。

大切だと感じているのに大切にできない病。

それは言い訳かな。

本心で大切にしたいと感じるのに大切にできない苦しさは本人にしか分からないものだし、他人からすれば本当にどうでもいいことだと思う。

でも本人は苦しみの渦中にいてもがいてる。

 

大切なものがたくさんあっても、結局「自分」を生きることで精一杯なんだ。

指の隙間から大切なものがたくさんこぼれおちても、繋ぎ止めようとすればするほど多くのものを失う。

 

大切に思う気持ちが強すぎて相手を傷つけたり壊したりしてしまわないか注意を払ってる。

その制御ができなければ、相手からすればただの狂気であり迷惑でしか無いから。

 

若い時に学んだ。

自分が相手を強く愛せば愛すほど理解してもらえるはずだ、最終的には分かってくれるはずだ、そんなふうに考えるのは危ないんだ。

ストーカーの心理ってきっとその延長線上にあるよね。

相手と自分は違う。

どれだけ大切な時間を共有したとしても、相手が離れていく時、気持ちはもうそこにないのだから。

 

過去は確実に存在していたけれど、相手と自分が違うように過去と今も違う。

そのことを理解しなければ、自分が大切に思っているその過去さえ、相手からすれば否定したくなるゴミになる。

大切に思えば思うほど、相手が離れていくというジレンマは存在する。

そして一度その乖離が始まれば、まるで宇宙のど真ん中に放り出されたボールのように加速していくだけだ。

 

これは愛し合っているときと逆の現象のように感じる。

恋や愛が始まってすぐの頃は、お互いの気持ちが高まれば高まるほど高揚していく。

だから陥りがちな罠だ。

 

相手の気持ちが冷めてからできる最善のことは、相手を追いかけず自由にしてあげること、解放してあげることなのだと思った。

追いかければ追いかけるほど、きっと相手を恐がらせてしまうから。

どれだけ好きでも耐えて耐えて忘れてしまうしかないのだと思った。

不要になった気持ちの行所なんてどこにもなくても、まるで魂を失った人形のようになっても。

 

それができなければ好きだった人に嫌われるだけではなく、相手からすれば消したい過去になってしまう。

それでも自分の中では時が止まったままとなり、過去に生きることになり得る。

 

大好きだ、大切だと思う気持ちが昔から人一倍強い。

そしてそう思いやすい。

本人の中では一生懸命に思っても、きっと客観的に見れば薄っぺらいんだ。

なんだか、そんなことを考え始めると嫌になるよね。

自分の中で、自分がちゃんと理解していれば、他人にどう思われてもいいはずなのに。

なんかむかつく。

そもそも感情の強さをはかる指標なんてないし表現の仕方はそれぞれのはず。

なのに否定されるのは嫌よな。

 

最近、何かあったわけじゃないんだけど。笑

大切なものを垂れ流しながら生きてるなぁ。。と感じ、指に身を任せてたらこんな内容になった。

脈絡がないように感じるけど、きっと自分の中で消化できていないことが過去にあるんだろうな。

 

もっと上手に人を愛したり大切だと思う存在を大切にできたらいいのに。

でも、きっと根本は自分勝手すぎる人間なんだと思う。

自分のやりたいことをやりたいようにやるというのが最優先になってる人間は誰も大切になんてできんのかなぁ。

 

ありのまま生きてみようと思って生きてみて、失ったものもたくさんあると思うけど、発見したのはそれでも少数の人達は今でも変わらずに関わってくれていて一人ぼっちにはならなかったということ。

これは本当にすごいこと。

 

でも、もっともっと大切なものを大切だといいたいし愛でたい。

自分らしさと自由と両立しながら。

 

自分が自分として楽しみながら、大切だと思える人達と共に楽しみたいと願うのは欲張りすぎなのかな。

どちらかを諦めれば簡単な話なのだけれど。

少人数では成立してる。

今現在、ごく一部の人とずっと楽しめてる。

そのままでも幸せなことに変わりはない。

だけど、自分の理想を実現できたなら、もっともっと楽しくなることを知ってる。

 

数より優先されるべきは快適さ。

快適さを維持するためにはたくさんの不要な枝葉を切り落とさなければならない。

時間はかかるだろうけど実現できたら美味しい果実を濃縮したかのような場所になるだろうな。

 

おだやかで共感を軸にコミュニケーションがとれて。

お互いを尊重して。

そんなのが一番いい。

 

悪意がない世界が好きだ。

悪意を持った人物が悪意をぶつけ、悪意をぶつけられた人の心に憎悪が生み出される。

憎悪が行き来するたびに増幅していく。

合わせ鏡のように無限に。

そんなのはうんざりだ。

 

そもそも無駄に人を不快にさせる人がいなければ、生まれない憎悪もたくさんあるはずだろ。

 

善意は人の心を癒やす効果があると本気で信じてる。

どこまでも優しい気持ちは、温泉のように心と体をあたためてくれる。

そのことを知っているから、そんな世界観で自分を中心にしたコミュニティはやっていきたい。

 

優しい人達が幸せになる姿を見るのが好きだ。

その本心が自分の中にあるからやっていけることでもある。

 

できるだけ等身大に近い自分でこれからもいこ。

最低なところも最高なところもあるはず。

大切なものを垂れ流し、自分という存在を垂れ流す。