俺の周りには親切な人や優しい人が多い。

包み込まれるような優しさや思いやりの中、暮らさせてもらってる。

きっと、人は人に大切にされることで無意識のうちに自分の存在価値や現在地などを相対的に感じて見てるのだと思う。

だから常日頃から疎外感を感じたり大切にされていないと感じ続けた人は自信を失ってしまい刺々しくなったり内にこもってしまう。

 

思いやりを持って接してもらい続けるとさ、自然と相手の幸せを自分の幸せのように感じるよな。

いつも親切にしてくれている人に良いことが起こるとさ、自分まで嬉しくなって「神様、あの人に良いことを起こしてくださってありがとうございます。感謝します。」なんて心から思うよ。笑

自分とまったく関係ない内容の良いことが相手に起きた場合でも、ただただその人の幸せに満たされるんだ。

 

きっと、思いやりを持って人と接している人たちの間ではこれが相互に起きてるんじゃないかな。

自分の幸せも相手の幸せも、どちらも自分のこととして喜べるってすごく心地良い。

変な妬みとかなくて、ただただ嬉しくて。

 

俺は大好きな人達の良いところはメチャクチャ語れる。

この人のここ、すごくすごい!!ってなる(日本語おかしい。笑)。

 

そんな感動的な人間関係の中で生きていきたいよ。

狭く深く人と関わることでしか実現できないことだと思ってる。

無条件で優しくしてくれる人、まるで家族のように接してくれたり助けてくれる人、自分にとっての誇りだ。

そんな関係を数年続けてくれている人たちが複数いることがすごく嬉しくてさ。

 

「思いやり」って嬉しいんだね。

若い時はよくわかっていなかった気がする。

 

時々さ、おじいちゃんやおばあちゃんが若い子と話して涙を浮かべることがあるじゃん。

普段、存分に話すこともできなくなってくると、日常会話ができるだけで人は涙を流すんだ。

嬉しくて。

そんな心に寄り添えるといいよな。

 

できることなら、めんどくさいとかそんなこと思わずにさ。

俺も人だから心ではそう思っててもその時の気分では正直わからんよ!笑

ただ、根本にそういう心があるということは重要だと思ってる。

 

人間性はクズでも、どこか可愛げが有る人になれるといいなと思うんよ。

可愛らしさの正体ってなんなんだろうってよく考えるんだけど、きっと”根本の部分の優しさ”なんじゃないかと思う。

毒舌でもクズな性格でも、時々見せる本心・本音レベルでの熱さだったり優しさだったり。

上っ面じゃない感情。

 

俺は良い人ではないけど、根本に少なからず優しさみたいなものを失わずにいられているのは周りの人のおかげだよ。

見捨てず優しく接し続けてくれたり助けてもらって心の氷が溶けていく。

時間をかけて作り上げられた関係性の中で相手の幸せを心から願える心が育まれた。

それは、心から幸せを願って接し続けてくれた人たちのおかげにほかならない。

 

心の中にずっと、そんなふうに接してもらったことが蓄積していって深い優しさに気付くときがくるんよな。

まるで石の上に落ち続ける水滴。

徐々に石の形を変え穴を開ける。

一滴一滴が優しさ、石は心の形。

穴があいた時に気付きが生まれるんだな。

何度も何度も優しく心を叩いてくれたからだ。

 

どうか末永く良好な関係が続きますように。

素晴らしい人達とずっと関わらせていただけますように。

何もお返しできていないのにずっと変わらず接してくれてありがとう。

だからこそ信じられる。

ただただ幸せを願い行動してくれたその一つ一つのことが今も心の温度を上げてくれてる。

 

一つ一つの出会いと関係性に感謝だな。

最近連絡をとっていなくても、ずっと心の中で感謝し続ける相手も数人いるよ。

あの時はありがとう。と。

ずっと感謝し続けると思う。これからもずっと。

本当に大変な時期に助けてくれた人は、現在連絡をとっていなくても特別だから。

 

過去にしがみつきたいというわけではなく、「現在」を一番大切にしながら、現在があるのは過去に助けてくれた人たちのおかげでもあると自覚したいってことね。

かといって、「あの時こうしてあげたじゃん!!!」とか言われたら一気に冷めるんだけど。笑

そういうこと言わない人だから感謝の気持ちを持ち続けられるわけであって。笑

「あの時こうしてあげたじゃん!!!」とか言わない人がカッコいいんよ。

そのセリフの先に素晴らしい未来はないんよ。笑

見返りを求めずしてくれたことだからこそ胸を打つわけであって。

 

ふと書きたくなったので残しておく。

心から関わりたいと思える人たちだけと気持ち良い関係性を継続したい。

楽しく快適なのが一番いいからさ。