ふと、一番古い記憶ってなんだろうと思った。

おそらくあれだ。

人生の中で何度か引っ越しをしているんだけど、社宅みたいな所に住んでいたことがあり、その時に社宅の敷地内に大きな鉄板みたいなものがあったこと。

あれ何歳だったんだろ。

全然小学生とか幼稚園生でもなかった。

保育所に行く前かそれくらいか。

 

なんとなくその社宅っぽいものがあった場所の地名を何故か覚えていて、大人になって最初に買ったバイクでそのへんをフラフラ移動してた。

あれ、確か子どもの頃住んでたのってこの辺じゃなかったっけ。

そう思いなんとなく探してたらそれっぽい場所を発見した!

 

子どもの頃って大人に連れ回されるので基本的に自分がちゃんと住んでいる場所以外の地理に詳しくない。

保育所に通う前くらいの年齢の頃の記憶を頼りにその場所にたどり着く確率って本当低いと思う。

あと、その社宅っぽいところに住んでた時、多分2階建てだったんだと思うんだけど、階段のところにおもちゃ箱を置いていて怪獣とかの人形があったように思う。

 

その時期のそれ以外のことはほとんど覚えてないなぁ。

なんか近所に仲良くしてくれる人達がいたり親が親の友達と交流している時に暇だなぁって思ってたくらいか。

 

小学校って7歳からだっけ。

多分保育所に行く前だと思うのでおそらく3歳とか4歳とかの記憶じゃないかな。

 

当時からこだわりが強く気に入った服ばかり着てた気がする。

我が強くあまり言うことを聞かない割に臆病で人見知りだったと思う。

子どもの頃からめんどくさいね。笑

 

興味があることは何時間でもやり続け、興味がないことは一切やりたくない。

そのへんも子どもの頃から変わりない。

 

ふと、懐かしい場所に立ち寄り当時のことに思いを馳せるのが好き。

だからレトロなものが好きなんだろうな。

 

知らない場所でも古いものがあると、当時の人々の生活を想像して豊かな気持ちになる。

寂れた商店街なんか行くと、全盛期はこうだったんだろうなぁって、今は見る影もない廃墟を見ながら開店当時のたくさんの人々の笑顔を想像する。

 

誰も見向きもしなくなった場所が、まだ多くの人々の中心だった時代。

そういう姿に自分自身を重ねて見ているのかも知れないね。

これは自分が年をとったからとかそういうことではなく学生時代からレトロなものが好きだったんよ。

 

あえて古いものを愛でるのが好きだった。

いい歳になると、ただの懐古厨に見られるので心外。笑

若い時から懐古厨だよ!笑

 

懐かしいという感情は本当好き。

今に不満があるからとかではなく。

戻りたいとかそういうことでもなく。

 

きっと、今の感覚で当時に戻れたとしてすごく不便に感じると思うしね。

今の感覚を持たずに当時に戻ったなら、戻ったことに気付かないだろうし。笑

 

あの頃はあの頃の時代の雰囲気を楽しんだ。

今は今の時代の雰囲気を楽しむ。

その中で、戻れない時代に思いを馳せて胸いっぱいになるくらい想像するのが楽しい。

 

電話ボックス一つとってみて、いろんなストーリーがあったんだろうなって。

小さな誰も立ち寄らない公園も、当時はたくさんの子どもが遊んだんだろうなって。

集合住宅地や団地の待ち合わせしやすそうな場所では、周りの目を気にしながら初々しい学生が待ち合わせをしたり未来を語り合ったり親の目を忍んで落ち合ったりしたんだろうなって。

 

そういう、あったかなかったか分からないようなことを想像して楽しめるのも、古い人間ならではの想像力のような気がする。

子どもの頃にダンボールを切り貼りしてなんでも作れると思ったあの時代を経ているからこそ。笑

片面しか印刷されていない広告の裏に思う存分想像したものを描いたのも大切なことだったんだろうな。

 

様々なことが安価で実現できるようになった今、必要なのは技術ではなくアイデアなんだと思う。

誰でもいろいろできる時代になっちゃったからね。

 

脳内で思いを巡らし楽しいことを創り出していくこと。

自分の場合は、「懐かしい」がヒントになっているように思う。

 

心の中で絵の具が混ざり合うような豊かな感覚を大切にしたい。

とても繊細で触れるとポロポロと乾燥した部分が崩れてしまうような。

その落ちた欠片さえ愛しく思える日々を過ごしたい。

 

「過ぎた時間」も自分の心の中で財産となっているんだな。

振り返った時、愛しいと思える時間を過ごす。

その時周りに居てくれた人達の優しさは未来の自分の心も癒やしてくれるだろう。

 

一度の優しさや思いやりが何度も心を救ってくれることがある。

自分の中にある絶対的な自分の価値が揺らぎそうになった時、補助してくれるのは相対的な自分の価値に他ならない。

相対的な自分の価値に気付かせてくれるのは周りの人の優しさや愛情なんよな。

 

愛する人達が愛情を持って接してくれた経験は、人生を豊かにしてくれる。

卵が先か鶏が先か。

自分が愛情を持って接したから相手が愛情を持って接してくれるのか。

それとも、相手が愛情を持って接してくれたから自分も愛情を持って接することができるのか。

 

おそらくどちらもある。

周りの人が冷たいと思った時は自分の接し方を考えたほうがいいよね。

多くの場合、自分が変われば相手も変わる。

 

気付かないうちに相手を不快にさせてることもあるだろうし。

意図しないことで不快にさせるのは本望じゃないもんね。

 

 

全然関係ない話になった。

昔と今は繋がってる。

今と未来も繋がってる。

結局、今現在を大切に生きることが良質な過去を生み出すと同時に可能性に満ち溢れた未来を作るんだろうな。

 

ということは、過去も未来も「今」だ。

未来を変えようとしたり過去を変えようとしなくても、「今」だけを変えればいいんだな。

シンプル。

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お後がよろしいようで。