プレゼントは物じゃなければならないとか、現金をそのまま渡すのって冷たいとか心がないみたいな風潮あるじゃん。
あれ、おかしな話よなぁと昔から思ってる。
現金だと寂しいと思う人がいるのは事実で、それは一つの価値観なので存在するのはいいじゃん。
でも、日本全体で少しそういう空気ない?
人によっては、現金のほうがありがたい状況の人やそういう価値観の人だっている。
お金は必要なものに変換出来るもんな。
一方、心を込めたプレゼントを物として贈るのもいいよね。
選ぶ楽しみがあるのも事実だし、贈る喜びを感じやすいのはあると思う。
そして、受け取る側にとっても、「これ好きなの知ってくれてたんだ。」とか、「これほしかったやつ!」みたいに自分という存在を肯定してくれているような気持ちになれる場合もある。
時間をかけて用意してくれたものは特に。
そして、コミュニケーションツールとしてプレゼントが機能してると思う。
お金はあるけど時間がない、なにか贈りたい気持ちはあるけど何を贈ればいいか分からないという場合には困ってしまうという一面もあるわな。
だから、どちらも素晴らしいでいいじゃんな。
事実、俺はそう思ってる。
どうして急にこんな事を書くかというと、お米を送ってくれようとしてた方から買いに行く余裕がないのでと入金してもらったから。
優しいと思ったのは、「クリパやマックなどにも使って。生活費にしてもいいよ」と一言付け加えてくれていること。
こういう配慮って、想像力がある人じゃないと出来ないと思う。
こちらから「あまったらどうしたらいい?」とか聞くのおかしいじゃん。笑
そもそも余るってなんだよってなるし。笑
余るほど余裕のある生活もしていないしさ。笑
だからそれも事前に察して伝えてくれてる。
紛れもなく優しさよな。
他社目線。
相手の心に負担をかけない配慮。
現金より物のほうがこもっているみたいな風潮って、一般的には物のほうが印象に残りやすいからなんだと思う。
同時に、物がない時代の考え方でもあると思う。
安価になんでも手に入る時代となり、現代では”気持ち”の部分だけが残ってると思う。
だから、現代に合った考え方としては、プレゼントはどういう気持ちで贈るかそこが重要になっているのではないかと思う。
気持ちがあれば現金であろうと物であろうと嬉しいじゃん。
スパチャや、配信での投げ銭やギフトみたいなものも、気持ちの塊よな。
クラウドファンディングもそういう側面あるよな。
だから、日本でも一部の人は現金と物の境界線は気にしなくなってるということか。
受け取る側がどういう価値観なのか明確にしてたほうが、贈る側も安心かなと思って書いておいた。(受け取る気まんまんかよ。笑)
事実、書いたようなことがあったからな。
贈る側と贈られる側で価値観が一致しているなら、他人は関係ないじゃん。
だから明確にしておいたほうがいいなと思って。
それに、それくらいフラットにお金の話が出来るほうがいいと思ってるから。
このブログはとくにそうよな。
明け透けに語ってきた。
価値観って良し悪しではないじゃん。
そう感じる、それだけの話しだったりする。
考え方が合う人もいれば合わない人がいるのも当たり前の話で。
俺はこう思う。
このブログはそれだけでいいんだ。
そのうえで、周りの人に関わるか関わらないかの判断材料にしてもらえる。
俺の考えが変わることってほとんどないので、だったら先に出しておいたほうがいいよねっていう話。
誰かの意見によって、どうせ変わらないのであれば先に言っても後に言っても同じだしな。笑
先に出しておけば、関わるかどうか判断するための相手の時間を減らすことが出来る。
こちらも、合わない人と関わるリスクが減る。
みんな幸せ。
あと、別件なんだけど、仲いい人がTwitterを鍵垢にした。
あり。
いいと思う。
ストレスがかかるのはよくないからな。
不要なストレスマジいらんよな。笑
俺も5年以上前かな、フェイスブックを友人までの公開にした。
理由は、俺の周りの繋がりと積極的に繋がって関係性を奪おうとするくそしょうもないやつが湧いたから。笑
きも!ってなって。笑
俺も俺で、よくわからない状態でそいつの事を褒めてた時期もあったから周りの人もそれを鵜呑みにして、そのままごっそり行ったわな。笑
ほいで、わざとそこに潜入して逐一報告してくれてた当時の仲間から話を聞いてたんだけど(なんの戦い。笑)、俺の陰口を言ってそっちに引っ張っていってたみたい。
俺の周りには基本的に最高な人しか置かないので、引き抜くのにコスパいいと思ったんだろうな。
自分で別で見つけろよとは思ったけど。
当時の俺はいい人だったので、出来るだけプラスに考えるようにしてた。
けなげ。
今の小汚い俺が守ってやりたい。笑
それに、そっちに行くやつも行くやつだしな。
結局それだけの話しではある。
どちらにつくかって、いくら陰口を言われてたとしても判断するのはその人なので。
俺も俺で良い人ではないし良い部分ばかりだけではないのに、当時は人を極力否定しない代わりに自分の悪い部分も無理に出す必要はないと思ってた。
その結果、イメージと本当の俺にギャップが生まれてたと思う。
そもそも、子供の頃の俺を知ってる人はわかると思うけど、性格も悪ければ、悪いこともするし、小汚い人間(2回目)じゃん?
それも不利だったなぁ。
もともとそういうやつだよ!っていう。
陰口で失望される関係しか築けてなかったということでもあるじゃん。
いい人ではない。
ここ数年、関わってる人は俺が自分からそう言ってるとこをよく見ると思う。
それは、この時の事があるからなんよ。
こんな事で崩れてしまう関係性なんて、無いようなもんじゃん。
だから、俺は最低な人間だよ!と言うようにしてる。
最低な人間だけど、良いとこもあるよ!と。笑
土台に良い人があるのは危険だと思ったんよ。
あれと同じじゃな。
素行の悪いヤンキーが少しいい事してたら評価されるけど、良い人が少し悪い事をしたら失望される。
だから印象はいたずらに上げすぎないほうがいい。
いつの間にか自分語りになってた。笑
そんなことがあり、鍵垢ありだと思った。
上っ面で分かるって言ってんじゃないよっていうのが伝えたくて。笑
人間関係は少なくても快適なほうがいいよ。
優しく善意がある人達は、その存在がもう癒やしなんよ。
素晴らしくて心地よくて。
そんな人達って滅多にいない。
そしてその善意は搾取されてしまいそうになる事もあるじゃん。
だから、普段癒やしてもらってる小汚い俺(3回目)が守れるなら守りたいと思うわな。
俺は泥まみれなので、少々汚れても分からん。笑
親切で優しい人はいつも快適で幸せでいてほしい。
親切で優しい人に良い事があると、本当に自分のことのように嬉しいし、良いことが起こるのは”ふさわしい”と思う。笑
親切で優しい人至上主義。
あたたかい関係性の中、末永く関わらせていただきたい。
俺は俺のまま、相手は相手のまま。
長く関わり続けてくれている方、ありがとう。
現在、絶賛ピンチ中ではあるけど、優しさの中生きられていること、文字通り生かされていることを嬉しく思う。
本当にありがとう。
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