なんでも無制限に望んでしまう自分は、きっと愚かなのだと思う。
ただ、自分が愚かな事と、本音は別で考えている。
愚かな本音。そこを真正面から見る事をやめた途端、本心が自分自身でも分からなくなるでしょ。
汚く、醜く、ドロドロの欲望や本音を直視し、誰にも言えないような愚かな自分と共に生きていくんだ。
今、生活面でいうと先が見えない。
ちょうど全てが停滞したり後退する時期なのだと思う。
真正面から受け止める。
いつも近くに居てくれた人達は見かけなくなり、今年を無事越えられるかどうかさえ分からない。
そんな中、変な話だけれど、全てにおいて制限がある事すら幸せの一部なのかもしれないと感じた。
きっと、なんでも簡単に手に入ってなんの心配もせずに生きれたなら、それは「無」に等しいのではないか。
憧れも望みも無い世界。
望んだことは瞬時に叶う世界。
人間の体に収まっている俺からすると、そんな夢のような事は願ってもやまないが、もし本当にそうなれたとして幸せなのだろうか。
負け惜しみや出来ないから望んでいないと言いたいわけではなくて、こんな考えを持っている今も出来る事ならそんな身分になりたいと思っているという本音は隠さずにいよう。
ただ、あらゆる贅沢は日常化した途端、「普通」になってきた。
それは体験してる。
人の欲望は底知れない。
もし、全てが叶うのならそれはもう個である必要すらないのかもしれない。
時々思う。
もしかしたら、不自由を味わうために人間になってるのではないかと。
もう一つの世界では、不自由こそ何にも代えがたい価値あるものなのではないか。
以前にもどこかに書いたけど、人間の体が器だとして、魂の入れ物だとしたら、生まれる前や死んだ後は個ではなく湖のような場所に還る気がしてる。
一滴の雫として人間の体に入った瞬間から不自由は始まる。
”全て”だった頃はきっと、不自由や欲望なんてものはなくて全てが完璧な状態なのではないかと思う。
ただ、そこには幸せや不幸なんて概念はなくて、存在しているとも言えるが存在していないとも言えるのではないかと思う。
一つの体に入り、思う存分、不自由を楽しむ事は、きっと全てが終わった後にとても価値ある事だったと感じるのではないかと思う。
今は嫌だよ。当然。苦しいし我慢しないといけないし。
だけど、なぜだかそんな気がするんだよね。
不思議だけど。
困ったりピンチにならないと生まれない出来事や、動かせない人の感情というものも確実に存在してる。
そして生まれる関係性もある。
初めて知る一面もある。
きっと、悪い事ばかりではないのだと思う。
だからどんな時も、極力今を楽しむよ。
善意は素直に受け取り、全力で喜び、人の優しさに感動していく。
そして、俺がいつか与える側になれたなら、同じように困っている人の事を考え、与える事を楽しむ。
今、そうしてもらってるから。
なんていうんだっけ。
ペイフォワードだっけな。
俺に親切にしてくれたり善意で接してくれる人は皆、ペイフォワードの精神を持ってる感じがする。
自分も過去に誰かに親切にしてもらったから、あなたに親切にする。
だから、あなたも困っている人がいたら助けられる時は助けてあげて。と。
そんな優しい気持ちで接してくれてる人がほとんど。
そういうの感動するよ。
相手の辛さも幸せも、自分ごととして感じてるんだ。
この世界は自分の一部。
誰もがそう。
自分も誰かの世界の一部でもある。
世界が重なった部分を大切にする。
深い部分で共感したり繋がれる人達と共に生きていきたい。
いつも感謝の気持ちに包まれて眠りに落ちれる事が幸せだ。
人が離れていく時も、ずっと変わらず接してくれる人もいること。
その事に感謝だ。
自分勝手に生きているからね。
誰かの都合に合わない事だってあるだろうし、ガッカリする事もあると思うよ。
寂しさも嬉しさも、グチャグチャになりながら受け止めて生きてこ。
いい時も悪い時も、それが今の自分だと。
現在地だと。
今の状況と、これから先どうなるかは別の問題だからな。
だから、散々な日々が来たとしても真っ直ぐに受け止めよ。
笑っちゃうくらい裏目に出る時もあるよ。
そんな時は、淡々とやるようにしてる。
そういう時もある。
何もしなくても人が寄ってきて全てが上手くいく時もある。
どちらも素の自分なら、どちらの状態だっていいはずだ。
波のように繰り返されるなら、どんな時も変わらず生きてたい。
時々、俺の状況が良くなったタイミングで関わろうとして、状況が悪くなるといなくなる人とかいる。笑
そういう人は空気だと思ってる。
カウントしない。
逆に、状況がよろしくない時にこそ関係性が深まる人もいる。
このタイプ、マジですごい。
神。
いい時もそうじゃない時も、関わってくれるってさ、すごく嬉しいけどよく考えたら友達とかだったら本来割と当たり前のはずなんよな。笑
ネットでの関係性の割合が多くなると変な感じになってくるよね。
どんな時も、”今はそういう時期なんだな。”とよく思う。
味わってられない時もあるけど、極力味わうようにしてる。
足りていないからこそ、足りていないものをくれる人が居た時の感謝の気持ちが本当に半端ない。
感謝の深さって、自分の状態も確実に関係してるよね。
食費切り詰めないといけない時に、スーパーに行く度におやつやジュースを我慢してる時にちょっとおごってもらっただけで、神ですか?ってなる。笑
本当に嬉しくなる。
年齢とか関係ないと思う。
砂漠で水を欲している時に冷えたコーラもらった感覚。
そりゃ、小躍りするでしょ。
そこまで深く喜べるのは、紛れもなく制限がある生活の中だからなんよ。
人間の人生の中では、様々なものに限りがある。
その限りさえ、心から楽しんだり愛せたらいいなって思うよ。
自分の事も、自分以外の人の事も。
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