先日、カンデオホテルズ福山のスカイスパに行ってきてほしいという依頼を受けて行ってきた。
その方は、遠方に住んでいて気軽に福山市に来ることは出来ない。
もともと温泉が好きで、疲れたら行ってるみたい。
体調が優れない時や、心が疲れてしまった時に行くといってた気がする。
素敵な習慣。
今回依頼をもらったのは、「スカイスパ良さそうなので、自分の代わりに行ってきてほしい」という事だった。
下見という意味かな?と思ったんだけど、おそらく自分の分身として行ってきてほしいというようなニュアンスがある気がした。
自分の代わりに行ってもらって、その癒やされている様子を見て自分が癒やされるという事なのではないかと思う。
善意ある人の特徴として、人の幸せを自分の幸せとして”感じる”事が出来るというのがあると思ってる。
これ、本当優れた能力で、このタイプの人はすごく好きだ。
猫ちゃんが幸せにしていると自分も嬉しいという気持ちが俺にもあるんだけど、それとよく似ている気がする。
猫ちゃんに優しくしてあげている人に、「ありがとう。」と心から思う。
それもきっと同じこと。
人の幸せを妬む人は不幸だ。
人の数だけ不幸の可能性があるということだから。
逆に、人の幸せを自分の幸せとして感じられる人は豊かだ。
人の数だけ、自分の幸せがそこら中に落ちているのだから。
年末にかけて再び不安定な時期が到来してしまった俺に、見返りなんて求めていたらこんな事絶対に出来ない。
それに、この方は過去からずっと一貫して活動を応援してきてくれている。
ご自身の活動もあるのに、合間を見て来てくれる。
体調が優れない時もあるだろうに、文字では体調が悪いというのは見かけるけど、配信などの声ではあまり見せない気がする。
どちらかというと、元気な印象があるのはきっと、配慮の気持ちを持っていたり配信する時は極力楽しく気持ちよく接したいという心の表れなのではないかと思う。
そこに集まる人達も個性豊かで、楽しそうな雰囲気の人が多い。
この方の懐が広いからだと思う。
別件で、お歳暮が違う方から届いた。
こちらの方も、継続して応援してくれている方。
去年もお歳暮をもらった。
こちらの方のお歳暮の特徴は、型にはまらず贈りたいものを贈るというスタイル。
とてもいい。
お歳暮の内容を一つ一つ選ぶ事を楽しんでおられ、到着して俺が開ける事を心待ちにしている感じがある。
”贈る”という事をここまで楽しんでいる方は珍しい。
事前に、「サプライズでお歳暮送ったから受け取ってね!お問い合わせ番号は…」というような内容のメッセージが前日に来たりする。
”サプライズ”という概念さえ打ち壊してる。
自分がサプライズをするという事よりも、相手の受け取りの都合を優先した結果、この形だ。
相手が驚くということよりも、サプライズで贈るという行為自体を楽しんでいるのかもしれない。
いろんなかたちがあっていいと思ってる。
ギフトなんて、型にはまる必要は一切ないし、贈る側がめちゃくちゃ楽しんでるなんて最高だ。
義務的なギフトほどツマラナイものはない。
贈りたい時に贈る、贈りたいから贈る。
そんな基本的な事が、社会の仕組みの中で薄れていくのはさみしい。
本来、ギフトとは楽しいものだと思う。
贈る側も含め。
母の日に、なけなしのお小遣いを使ってカーネーションを買い、「喜んでくれるといいな。」と思いながら渡す瞬間を心待ちにする。
そんな、子供の頃に誰もが持っていたような気持ちを今でも持っている人は、きっと周りにいる人達も素敵な人なんだろうと思うし、喜び、喜ばれて生きてきたんだなと感じる。
生きてきた道筋に思いを馳せる。
人に大切にされている人が、周りにいる人を幸せにしている姿は美しい。
俺は何も持っていない代わりに、唯一自分で優れていると思っているのは、相手の長所がどこなのかを明確に見極め語れるところだと思ってる。
人って本当にすごい。
控えめに言って天才な人ばかり。
俺が逆立ちしても出来ないような事を日常的に行ってる。
きっと、興味関心が人それぞれ違うので、各自が好きな事を全力でやった結果、誰もが天才レベルの才能を発揮出来るからなんだと思う。
だから型にはまる必要なんて無いし、好きなようにやっていたら、それが好きな人が集まるんよな。
その感じが良い。
自然だし。
相変わらず俺は友達が少ない代わりに、日常的に奇跡を起こしてくれるような人たちがそばに居てくれてる。
スカイスパもお歳暮も、俺の交友関係の狭さから考えると奇跡だよ。
面白い、この人好きだな。と思える人しか周りにいないのでストレスもないし楽しい。
つまらないと思う事がないというのは人生レベルで考えても有意義。
動画で話したいんだけど、いつも使っているアプリがアプデにより使い物にならないので、とりあえず今の気持ちを残しておいた。
今、俺の生活の状況は良くなく、生活費を稼ぐためにヒーヒー言いながら頑張ってる。
マジで生活費を稼ぐのは苦手だからな。
好きな事なら10時間以上でもぶっ続けで喜んでやるし、実際にやってきた。
興味がない事とかやりたいと思えない事は、まるっきり駄目なんよ。
生活費を稼ぐ事はツマラナイし興味がない。
だから下手。
基本的にダメ男なんだと思うよ。
それでも、やらないといけないから効率悪いけどやってるだけだからね。
生活費を稼ぐ事は向いていない。
自分の活動に特化して、そこで収益化していく以外に自分にとっての幸せはない。
だから、活動を応援してくれながら、今回のようなありがたい奇跡を起こしてくれた二人に心から感謝の気持ちを持ってる。
あと、ミルダムの配信者ランクを維持する事で得られる報酬もマジでありがたい。
いつもその配信者ランクをキープするのに必要な条件を満たす7割以上、時には9割以上を担ってくれてる方が居てくれて、一貫してやってくれてる。
これ、使う時間や労力を考えると本当にすごい事で、この方が居てくれているから配信者ランクをやっていけてる。
この方がどうしても外せない用事があった時は、心配して他の方(スカイスパ依頼の方)が補ってくてた事もあった。
ウェブ上での関係性ではあるけど、リアルでの薄い繋がり以上に関係性が出来ている事を嬉しく思う。
距離や年齢や性別を超え、共に時間を過ごしていけるのは本当に嬉しい。
こういう方々が、俺の心と、時には生活を守ってくれているんだなと思うと、湧き上がる幸せを感じる。
スカイスパに行った帰り、2リットルの大きなアイスを買った。
何年も目に入っていたけど買おうか迷っていつも見て見ぬ振りしてたやつ。
スカイスパ行った後にはアイスも忘れずにね!って言ってくれてたので買えた。
自分の状況的に、今買えるような身分ではないので自分ひとりだったら無理だった。
背中を押してくれてありがとう。笑
アイスに指定はなかったけど、どうせだったら!と思って。
ここはケチケチしたらいけん。
思い切りが必要。
選択肢としては、ハーゲンダッツ(以前、この方からおごってもらった)、レディーボーデン、ビエネッタもあった。
ビエネッタも、定期的に食べたいと思いながら我慢するやつ。
数百円なので別に買えばいいんだけど、ためらう。
生活が不安定なときって、切り詰められるのは食費くらいなので、基本的には痩せる。
前回ピンチになった時は5キロくらい痩せたんかな。
それくらいは普通よな。(共感求めんな)
俺が興味ない事は一切出来ないのは、神様が課したことか、もしくは無意識で求めている事なのかもしれないなんて考える。
もしかしたら、人に心から甘えてみたいのかなって。
無条件の人間的な愛みたいなものを感じてみたいのかなって。
それを感じるには困ってないと駄目じゃん。
だから、無意識に困るような感じになっちゃうのかなって。
脳が当たり前の事を当たり前にやらせてくれたら、正直、生活費に困るなんて事にはならないと思うんよ。
やらないといけないのに本当に体が動けない事があったりする。
泣きそうになる。
なんなら、泣く。(え?)
自分のダメさ加減にっていうのもあるけど、なんで動けないんだよ!って。
寝てる場合じゃないだろ!って。
あと、眠たすぎて何も出来なくなったりもする。
本当困る。
うまくいきかけたら脳がストップさせてる気がするんよ。
一回、無意識に求めているものを感じきらないといけないのかもしれない。
「困った時、人は助けてくれる。」
みたいな事を無意識レベルで信じられるようにならんといけない気がする。
難しいよな。
自分の日頃の行いも絡んでくる話じゃん?
成長過程で、甘えたいのに甘えられないみたいな状況の時期があったから、その時甘えられなかった分を脳が無意識のうちに満たそうとしているのではないかと分析してる。
生活が破綻する可能性があるレベルでやるなよ!俺の脳!きついって!
もっと余裕があるときにやれ!
本当涙が出るくらいキツイんだけどなぁ。
だって、気が気じゃないじゃん。
月末の支払いとか、今年も年越せるかなぁ。。って本気で考えないといけないの。
顕在意識でコントロール出来る領域外の事だから、乗り切るしか無い。
人に助けられながら生きていく、そういう道を脳が作り出している限り、俺はその方向性の上で生きていく事になる。
ありのまま生きて、自分らしく生きながら、そんな事が可能なのか人生をかけた強制参加の実験は続く。
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