いろんな活動をしていく中で、俺自身を大切にしてくれたり俺の活動を大切にしてくれる人がいる。
「あの時、こんなふうに大切にしてくれた。」という出来事は特別な感情を生み、信頼に繋がったり関係性のこだわりに繋がる。
とても優しく、とてもあたたかい気持ちで包み込んでくれた人の事は、いつまで経っても大切だと思える。
この1ヶ月くらい、ゲーム実況の収益だけでほぼ生活がまかなえるようになってきていて、どうやら今月も大丈夫そうだ。
来月の事はわからない。
不安定な状況に変わりはなく、何かが変わってしまえばあっという間に今の状況は崩れてしまうのだと思う。
それでも、たとえ今だけだったとしても、人生の中でも有数な自分らしくいられる季節を過ごそうと思う。
自分らしさとお金の有無はイコールではない。
このままいけば今月は乗り越えられる、このままいけば来月もきっと。。という状況。
俺がピンチだと騒いでる時は、ほとんどの場合、その月を越えられるかどうかみたいなレベルの時なので、普通の人からすれば今の俺の状況だって危なっかしいかもしれない。
それでも、関わってくれている人達が支えてくれて成り立っている今の自分の生活は、毎日とめどなく感謝の気持ちが溢れてどうしようもないほど嬉しい。
俺が喜んだら喜んでくれる人がいる。
とても純粋であたたかい気持ち。
子供の時ってさ、笑顔になるだけで大人に喜ばれたよね。
存在しているだけでもてはやされた。
だんだん、大人になるにつれてそうじゃなくなっていく感じない?
もしかしたらだけど、大人になるにつれて自分でなんでも出来るようになっていくから、面倒を見る必要がなくなって、その事が存在を小さくしてしまっているのではないかと思ってしまう。
奇しくも、俺は生きるのも稼ぐのも下手で、極端な方法ばかりやっていて、放っておいたらすぐピンチになって泣きそうになりながら仕事をする事になる。
それでもずっと一貫して自由で自分らしい生き方をしたいともがいてる。
そう思うだけじゃなく、自分の生活をかけて飛び込んでる。
安全な場所で想像するだけじゃなくて、実際にミスったら生活が破綻するような場所に飛び込んどるんよな。
きっと、実家にいればもっと安定はすると思う。
でも俺は生活が安定すればいいのではなくて、どこまでも自分らしく生きたいんよ。
誰の目も気にすることなく、自分の判断ですべてを決めていきたい。
そのために、大変でも一人暮らしがいいんだと思う。
ミルダムのウィークリーミッション達成や、週末イベントで上位に入ったときなど、「なおきちさんモチベあがってるwww」と喜んでくれるメンバーがいたり、1人でアクセス数が上がらない中、毎日長時間マイクラをやっていた時にコメントを入れるわけではないけどいつも楽しみにしてくれていて、座標をメモしたり何度も見返してくれていたメンバーがいること、本当にあたたかくて。
誰にも見向きもされないという気持ちを持ちながらも、やりたいからやる!とやり続けた事って、表面的には見えなくても気にかけてくれる人が実は居たりするんよ。
それってすごいこと。
自分がやっている事にいつもこだわりを持って、伸び伸びとやり続ける事で知らぬ間に誰かの楽しみになっていたりする。
思えば、子供の頃から人見知りで自分から人に話しかけられなかった俺は、いつも人が興味を持ちそうな事に磨きをかけて目立ってた。
自分一人でやっている事に、誰かが声をかけてくれて関係性が始まった。
そこからコミュニティに発展していくようになった。
俺の一喜一憂を、自分の事のように感じて応援してくれる人達がいるということ、こんなにもあたたかい事はない。
誰にも相手にされないときも、全く反応がないときも、ずっと1人でもやり続けたからこそじゃな。
絶対に形にすると決めて、自分らしくやれる好きな事をずっとやり続けた結果。
俺の活動を楽しんでくれたり、ネットを通じて共に日々を紡いでくれる人達と楽しみながら生きていく。
天使のような優しさを持った人達の心に触れながら癒やされながら生きていく。
今の俺って、悪意がある人に対してはすぐに直接言ったりブロックしたりするし、極力真っ直ぐに発言するし、誰に対しても都合のいい人間ではないと思う。
気に入らない人もおるじゃろうしな。
それでも、こだわりを持って忙しい中時間を作って優先順位を高く持ち続けてくれている人達に感謝する。
本当、特別なこと。
「あの時、大切にしてくれたから。」
その気持ちは、相手と自分の中で行ったりきたりしながら、その往復の回数が多くなればなるほど特別な存在になっていくのだと思う。
ひとつひとつのエピソードが、よりパーソナルであればあるほど、感謝の気持ちとともに込み上がる、なぜか泣きそうになる言葉にならない感情が押し寄せる。
この感情が心を覆って、白い柔らかい毛足の長い毛布の上で自由に寝転んでいる猫のような気持ちになる。
そのとき、自分らしさと自由を実感出来る。
きっと、自由も幸せも心の中にあるもので、自分の状況に比例しているわけではないのだと思う。
どんな状況でも、一瞬一瞬に幸せは存在し、感じきっていいのだと思う。
どん底のような日々の中で、善意の一杯のご飯が心を救ったように。
不幸な瞬間はあっても、不幸な人はおらんのんかもしれんな。
未来をずっと心配し続ける日々というのは、幸せとはいえない。
未来が見えなくても、1日1日を自分らしく生きている瞬間は、いつも幸せだよ。
明日の事が分からない事が不幸なのではなく、明日の事を必要以上に恐れている状態が不幸なのだと思う。
そう思わないといけない心自体が。
きっと、起きている出来事はみんなそんなに変わらないよ。
それなのに幸せな人と不幸な人が存在するのは、幸せな出来事が起こる回数なのではなくて、どんな出来事も幸せだと感じられるセンスや努力の有無なのだと思う。
こじつけや、上っ面のポジティブなんかじゃなくて。
俺は、究極にお金がない時に、どうにか食費を浮かそうと思って13円のうどんを焼いて塩をかけて食べてみた事がある。笑
多分、それが究極だと思って。
あの経験からすれば、ほとんどの食事はガチで美味しいよ!!!笑
一回その経験をしたら、その後の人生って幸せを感じるハードルが下がると思うんよ。
「自分で出来ない」というのも、不幸な事なのではなくて幸せを感じられる大きな要素だよ。
自分で出来る事を人にやってもらっても、湧き上がる感謝の気持ちって小さいでしょ。
出来ない事をやってもらったときの感謝の気持ちは、「衝撃」といっていいほどだよ。
稼ぐ力や生活する力が弱い俺からすれば、お金の事を気にせず生きられる事は憧れであり、本当に特別なこと。
稼がなければならないときには、見ての通りどうにかしてきた。
でも、本当やってるときも思うけど効率が悪いというか、生み出せる幸せの全体数は小さい。
お金を稼ぐ事を目的としてやる事は難しい。
出会いや関係性や快適な空間のような、お金で換算出来ないような価値を作り出すのは得意だと思う。
ただし、これも自分を中心に形成していき、すべての人に理解される価値ではなく、一部の人だけに深く理解されるというニッチな能力。笑
そんな自分だから、理解して特別感を持ってもらえるだけで嬉しいわな。
いつも放送に来続けてくれたり、行動で示してくれる人は分かりやすくてありがたい。
嫌な事もいっぱいあったので、あまり人を信用出来なくなってしまってるけど(自業自得なこともいっぱいあるよ!笑)、純粋に気に入ってくれてるんだなぁって思ったらすごく嬉しいわな。
ここ数年、特に自分のやりたいようにやってきて、合わない人はブロックしたりやりたいようにやってきたので、その結果、今好きな事だけで食べれてるって嬉しくて。
俺の事を気に入ってくれている人達が、みんなガチで幸せになったらいいと思ってる!!笑
俺は、俺の手の届く範囲の人達の幸せをまず願ってる。
具体的に名前や顔が思い浮かぶ人達(ネット上の関係だと顔は知らないので名前)ね。
それ以外の人達がどうなってもいいと思っているわけではなくて、すべての人が。。と思うよりも具体的に誰と想像したほうが叶いそうな気がして。笑
すべての義務感から解き放たれた時、俺は俺と身近な人達の幸せのために生きるだろう。
好きな事をやりながら、身近な人達の楽しみも同時に作れたら最高なので。
そんなふうに生きていけたら、とてもいい。
なんか、口を開けば幸せだとか感謝だとかいつも言ってんな。笑
でも、本当そうなんだからええよな。
いつもそう思ってんだから。
あ、でも、クソみたいな人には「お前マジしょうもね〜な。」とか「めんどくさいからそういうのやめてもらっていいですか?」とか言ってるよ。笑
だから、いい人なわけではないよ。
心から幸せだと感じているからそう書いているだけであって、心からムカついたらそう伝える。
無理に関わる必要ないからね〜、そういう人と。
素直なだけね。
流れるように生きていたい。
自分らしく居させてくれる人達に感謝だ。
そして、箸にも棒にもかからない時期から特別感を持ってくれ続けている人に感謝だ。
いつもありがとう。
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