お金に関しては、正直人それぞれ考えがかなり偏りがちだと思う。自分の立場や収入の状況など一度忘れてフラットに考えてみたいと思う。
あと、弱者と呼ばれる位置付けにいる人についても役割があるような気がして、これも自分の立場からいうと紛らわしくなるので一度フラットに考えたい。
俺が持っているお金のイメージは、あたたかくエキサイティングなもの。優しさの塊でもあり、結局は使う人次第のもの。
だから、お金がいいとか悪いとかそういう次元の話はどうでもいい。
持っている人が好きに使ったらいいと思う。
持っていない人は、必要以上に求めてしまうと拗れてしまうものだと感じてる。
俺は、客観的に自分のお金の使い方を考えると変な使い方をしてるんじゃないかと思う。
いつも、お金がなくて食費を削ったりしてる割に、こだわるものには惜しげもなく使う。
当たり前なのかな。
見ようによっては当たり前だとも感じる。
食費を削ってでもいい物が欲しい時がある。
特に仕事道具や日常的に使うものは。
ケチると、ずっとストレスを抱え続けないといけない。
それは、人生レベルで損してると思う。
額面以上に損してる。
お金は気持ちよく思ったように使うのがいい。
人からお金を受け取る時も、極力フラットに捉えるようにしてる。
クライアント、友人など、様々な関係性の中でお金の受け渡しがある。
自分のところに流れてくるお金に関しては、気持ちよく受け取って気持ちよく送り出したい。
感覚的な話だけど、その方が自分を経由してくれることが増える気がして。
お金を渡す側からしても、気持ちよく受け取ってくれて気持ちよく使ってくれる人に渡したいと思うんじゃない?
逆の立場だったらそうだなぁ。
せっかく気持ちよく渡して喜んで欲しいと思っているのに、申し訳ない気持ちでいっぱいにさせてしまったら、こっちが申し訳ないというか。
で、もう一つビビってしまいがちなのが、他人の目よな。
当事者間で成立していることを、関係ない人がゴチャゴチャ言いがちじゃない?笑
そういうのを恐れている人もいるんじゃないかと思う。
息苦しいね、そういうのって。
一昨年になるのかな、東京旅行を奢ってもらったんだけど、あれに関しても現地で奢ってもらった分を考えると10万円以上奢ってもらってると思う。
でも、当人とは今でも「思い出コスパいいよねwww」なんて笑い合ってる。笑
「あの時はありがとう。」と、どれだけ時間が経っても心から思えるし、特別なことであればあるほど心に残る。
お金を使ってくれた人が、お金を使って良かった、コスパ良かったと思ってくれてるというのは、もうそれが答えなんだと思う。
お金は、金額が大きくなればなるほど、後悔しない使い方をせんといけんよな。
お金を使っているのは自分の意思。
受け取っているのも自分の意思。
後悔してほしくないし、使って良かったと思ってくれるような器の大きな人から受け取りたい。
そして俺も、そんな素晴らしいお金の使い方を学ばせてもらって心の広い使い方がしたい。
実際、現実にこういう素晴らしい出来事が起きるたびに、俺のお金に対する価値観は大きく変わっていってると思う。
もともと、お金を稼ぐのも下手だもんな。
その割に自由に生きようとするもんだから、いつも人生はガチャガチャしとる。笑
でも、そんな自分の人生は嫌いじゃなくて、自分らしいなと笑えてる。
自分の理解を超えたお金の使い方をしてくれる人には、すごく興味が湧く。
どうしてそんな大胆な使い方が出来るのか、人間の可能性を感じる。
なんだか、凍っていたお金に対するイメージを溶かしてくれてる感覚がある。
俺にお金を使ってくれる人は、どうか後悔だけはしないで欲しい。
今だったら、配信する時にギフトが入ったり、活動を支援してくれたり。
毎月、受け取ってるよ。複数人の方々から。
とても助かってる。
支援、ギフト、ありがたい。
とても嬉しい気持ちになりながら受け取ってる。
だって、俺の活動を認めてくれて一緒に楽しんでくれて、その上で一緒に守ってくれてるのだから。
こんなに嬉しいことはないでしょ。
どういう形であれ、受け取ったお金は俺の生活や楽しさや自分らしさを守ってくれてる。
とても愛しいもの。
あたたかいもの。
お金自体は無機質かもしれないけれど、そこに乗っかった優しさやぬくもりを感じてるんだろうな。
美味しいものをお食べ。と、振り込んでくれたりするお金も、数字ではなく俺の目の前にご馳走として出てくるんだよ。
お金は、そのままだったら数字でしかないもんな。
でも、優しさを持って使ってくれた時に、目の前に優しさそのものが現れるんよ。
すごい。
そのことを理解し、イメージし、相手を想って使えることって、すごく尊いと思う。
まじで世界救うレベル。
そして、やはり心の奥底の冷たい冷たい何かが解けていく感覚がある。
自分の中でイメージしている人間の幅が広がる。
俺は、施してもらう側が多いのだけど、言い換えれば弱者とも言える。
世の中は全てのものが対になっているんじゃないかと思うんだけど、弱者には弱者の役割がきっと存在してる。
それは、施しを受けたときに心から手放しで喜ぶことなんだと思う。
何も持たない人間が、何か返せるとするならその部分でしかない。
そして、施す側もきっと、それ以外何も望んではいないのだと思う。
見返りを求めて、見返りが返ってこなさそうな人に何かあげたりしないじゃん。
かといって、弱者はそのままでいいと思ったらいけん。
何か、チャンスがあればいつも恩返しがしたいという気持ちを持ち続けないといけん。
出来ない時は出来ない、だからと言って受け取ったらいけないということはないんよ。
何も返せないのがわかってるから、受け取ることを躊躇してしまうことあるよな。
でも、その論理だと困れば困るほど何も受け取れなくなる。
甘えさせてもらうことで発展する関係性もあるよ。
甘えさせてもらうことで生まれる信頼も必ずある。
会ったことないのに長年かけてちゃんと関係性が構築出来たりする。
お金を使うということは、「特別ですよ。」ということを意思表示することでもあると思う。
もちろん、使えない人だっている。
お金を使うからいい、使わないからダメとかそんな話ではなく、お金は表現方法の一つになりうるということ。
本当いろんな使い方が出来るんよな。
もっともっと、フラットに考えた方がきっと全体では幸せになる気がしてるんよな〜。
お金という固有のものがあるというよりも、たまたまそれがお金という形をしているだけで、渡しているのは気持ちなんよな。
受け取ってばかりの人がいうのもおかしいかもしれないけど。笑
でも、そんな気持ちで受け取ってる。
受け取れば受け取るほど、そういうことなんじゃな〜って思う。
お金でもお金じゃなくてもいいってことなんよな。
ただ、お金だと何にでも変換出来るから便利だよねっていうだけで。
正直、お金じゃないと支払えない物だってあるじゃん。
だから必ず必要なんよ。
出来るだけフラットに書いてるけど、この感覚伝わるんかな。
気持ちをそのまま受け取ってるってことなんよな。
なかなかお金についてストレートに書くことってないよな。
ねじ曲がった考えの人と議論するつもりもないしな。
俺はこう思ってる、それで完結する話だから。
それが好きな人は近づき、そうじゃない人は遠ざかる。
それだけの話なんよな。
不安定な状態のまま突っ走る俺は、そんな生き方しか出来ない。
安定を求めてみたこともあるけど、そこに幸せはなかった。
その結果、とてもちっぽけな存在となり、野良猫のように生きてるんだけど、こんな自分に価値なんてあるのかなぁ。。なんて思ってた。
でも、俺が喜ぶことで喜んでくれる心優しい人たちの存在に気がついた。
本当に天使のような人たち。
俺はワクワクすることと興味があること以外は、基本的には人生の中での必要性を感じられない人間なので、ワクワクさせてくれる人たちの存在はありがたい。
俺は社会的には本当に小さい。
どうしようもなく。
子猫がさ、ちっぽけで何も出来ないのに様々なものに興味津々でいつも真っ直ぐに追いかけ回して、時に失敗しちゃったりするじゃん。
あれ、とても愛しいんだけど、なんで愛しいのか考えた時に、共感出来るからなんよな。
野良猫さんにもすごく共感出来る。
野良猫さんは先輩。
冬の寒い夜をなんとか越えながらもあたたかいお昼には日向ぼっこしてる。
素敵。
自分らしさ大事。
きっと、人間に置き換えるとクズなとこもあると思う。
そんな野良猫さんが好きな俺は、クズそのものなんだろうな。
それでもいいから、自分らしく生きたい。
それが俺にとっての人生の喜びだからな。
活動を通じて「楽しい」を共有しながら、共感できる人達だけと関われればいいよ。
自分の軸を貫かせてくれる人達は仲間だ。
俺はやりたいようにやりたい。
自分勝手だけど。
そう分かっているから、どこかに所属しようとするのではなく、自分でなんでもやってる。
それでいい人は共に行こう、価値観を押し付けてくる人とは共にいられない。
人それぞれ考えが違って当然だからこそ、自分の考えを貫ける環境は自分で作らないといけない。
取るに足らない考えなら人が去って孤独になって終わり。
現在、そうなってないこと自体に感謝なんよな。
それどころか、時間も労力もお金も使ってくれてる人達がいてくれて、こんなに幸せなことはない。
狭く深く長く関わっていきたいよ。
俺にこだわりを持ってくれてる人は、俺も強いこだわりを持って接する。
八方美人な人は、それはそれでいいと思うけど、やはりこだわりを持ってくれてる人の方が優先順位は当然上がるよな。
俺は俺にこだわりを持ってくれている人だけを見ればいい。
あたたかい時間を共に過ごしていきたい。
先週、ミルダムで配信者ランク昇格できたのも、紛れもなく応援のおかげ。
自分一人の力では絶対に無理だった。
昇格できたことで、時給も上がって一番助かる形で応援してもらえたと思ってる。
本当綺麗事抜きにして、生活費の確保は重要であり難しいからさ。
活動しながら確保出来るのってありがたいよ。
楽しい時間を増やしたい。
もっと自由に楽しみたい。
それを実現しようとしてくれる人の存在は、俺の中で大きい。
もちろん、自分でも試行錯誤しながら色々やっていく。
活動を継続しているだけで生活していけるのが理想であり、叶えたいこと。
それが安定して叶った時に、俺の人生はこの上なく豊かなものになると思ってる。
そのために、お金に関する考え方や活動がどうなれば俺にとっての幸せなのかについては書いておかないといけないと思った。
俺が自由になればなるほど、共に遊んでいる人達との楽しい時間が増える。
関わってくれている人達とのコミュニケーションが増える。
うんざりすることなく楽しく生きていきたい。
喜びを与えてくれる人達ありがとう。
俺も何倍にもして返せるようになりたいし、なる。
恵まれない時代によくしてくれてありがとう。と、改めて言える時を楽しみにしてる。
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