現在、ミルダムというゲーム配信サイトで収益を受け取ってる。
スタートは時給30円。
4時間まで。
順調に進んでも毎週1ランクずつしか上がっていかないので、一気に上げる事は出来ない。
現在の俺の実力が見えてきた。
D3から始まりD2、D1とあがっていく。
各ランクに必要なポイントは事前にリサーチした。
D3から昇格する基準は1日で満たした。
YouTubeのいつものメンバーの応援のおかげ。
D2帯はD3と比べて2倍以上のポイントが必要になる。
現在、D3帯にいながらD2帯に必要であろうポイントをクリアしているという状況。
このペースでいけばD1をクリア出来るかもしれない。
D1クリアに必要なポイントは、D2の昇格に必要なポイントの更に2倍以上。
現在、全く無理せずやって1日5000ポイントくらいか。
だから週間3.5万ポイントはいける見込み。
これはD2を余裕でクリア出来る数字。
ただ、D1を安心してクリアしようと思うと7万ポイントくらい稼いでおきたい。
つまり、現在の実力の2倍の力を出さなければクリア出来ない。
1日目に12時間やって1.1万ポイントほど稼げた。
ただ、それを毎日続けられるかどうかは別の話なので、あくまでも瞬間風速はそれくらいいけたということ。
ミルダムのシステムは奥深く、視聴者がどれくらい協力してくれるかにかなりかかってる。
意識して視聴してもらったりコメント入れてもらったり、そういう一つ一つが重要になる。
今後上手くいけば、B1くらいまではいけるかもしれないと思ってる。
B1をクリアするには、B2をクリアする為に必要なポイントの倍のポイントが必要となる。
B2は10万ポイント。
B1は20万ポイント。
ミルダムでは、昇格目安、降格目安という概念があり、満たすと昇格したり降格したりする。
この目安は毎週変動する。
この他、絶対条件というものが定められているので、昇格目安を満たしていても絶対条件を満たしていないと昇格出来ない。
本格的なスタートは再来週から。
D1からC3に昇格出来るかどうか。
ここが最初のハードルになる。
今、俺が知識を深めていくだけではなく、得た知識をいつものメンバーに伝えて意識してもらうようにしてる。
ちょっとした事でポイントが違うから。
人に労力や時間を使ってもらうという事は、本当に貴重なものをいただくということだ。
ほとんどの人がたくさん持っているもの。
でも、かけがえのないもの。
積極的に協力してくれる方にはいつも感謝してる。
大きなハードルを越えるために限界を越える必要がある。
そういう環境に身を置くというのは、なんともいえない気持ちになる。
恐さもあるけど、ワクワクもする。
難しそうでも興味があれば前のめりでやれる。
子供の頃って、たくさんのチャレンジが日常的にあったよ。
高い所からジャンプ出来るかな、あいつより早く走れるかな、ドッジボール強くなれるかなって。
たくさん調べてたくさん練習した。
上手に出来なくても日が暮れても。
大人になるとそういう事が少なくなる。
クリア出来る範囲で挑戦するようになる。
出来レースの達成感なんて意味ないのにね。
不可能と思われた事を可能にするスリルに勝るものはないよ。
出来なかった時に涙が出ないのは本気じゃない証拠だ。
悔しいという気持ちを感じにくくなってる。
言い訳がうまくなったのかな。
勝負ではなく、オリジナルの道を選ぶようになってから、人と自分を比べる事が極端になくなった。
その結果、悔しいと思う事も減った。
誰かの実力は称賛するものとなった。
心のそこからリスペクトした。
それは心が育まれたという事だと思っているけれど、どこか寂しさもあってさ。
だから今、自分の実力以上の事に挑戦したいと思えた事、挑戦している事が楽しい。
上のランクの人には相変わらずリスペクトの気持ちしかないけど、俺は俺のやり方で上がっていきたいな。
いつものメンバーと一緒にさ。
なんか、今日はもっと本質的な事を書きたかったんだけどまた今度にしよう。
日常的に友達と話さないような人間の奥底の話。
このブログでは心を抉るような感情もダサい自分もたくさん出したい。
どこにも出しにくい感情というものもあるよ。
書きたくても、書いたらかまってちゃん的な感じになってしまったりさ。
そういう事じゃないんだ。と思って飲み込む。
どこよりも何よりも自然体で話せる場所でありたい。
このブログは。
ダサくて格好悪くて嫌われてしまいそうな自分の奥底を吐露出来る場所。
誰も読まなくていいから自分の心の安定剤になればいい。
それが基本。
感情に良し悪しをつけずに。
ありのままに。
浮かんできたリアルな感情に素直に。
しがらみや相手の気持ちも関係なく自分の中に浮かんだ感情を書けたら素晴らしいのに。
誰も読まなくていいと思っているはずなのに、何度公開ボタンを押したんだろう。
読まなくていいなら下書き保存にすればいいんだよ。
実際、下書き保存の数も増えてる。
きっとさ、どんな自分も理解してもらいたいんだろうな。
そして出来ることなら受け入れてもらいたいんだろうな。
驕りだ。
だけどリアルだ。
本心というのはいつだって、とても弱く繊細でつつかれたら涙が簡単にこぼれ落ちてしまう。
どれだけ鍛えても、本当の本当の本当の言葉というのは簡単に心をぐちゃぐちゃにするでしょ。
もっと滑らかに本心と向き合えばいいんだ。
どす黒くダークな自分がそこにいたとしても直視すればいい。
そして、どんなに最低な自分がいたとしてもそれが自分だと受け入れないとね。
本心なんていつだって綺麗事ではないでしょ。
欲しいものは欲しい、やりたい事はやりたい、誰かの感情や目なんて、生まれてくる衝動には関係ないのだから。
深夜の働かない頭でウダウダと自分の中の宇宙にダイブするのが好きだ。
とりとめのない言葉を見つけては吐き出し一喜一憂する。
自分の事なのに発見がある。
何年自分やってんだ。
飽きないね。
”自分”を生きるのって。
いつだってオリジナルの感情にしか興味がない。
使い古された言葉や受け売りの言葉なんてダミーだ。
自分で思い浮かんだと錯覚して悦に浸って話している人を見るとうんざりする。
それ、お前の言葉じゃね〜よって。
そして俺もきっと、同じように思われてんだろうな。
だけど、極力オリジナルの言葉を吐きたい。
せっかく生きてんだから。
整ってなくてもさ。
ふわふわしていても。
深くなくても。
それが今の自分の湧き上がる言葉なら。
無意識に誰かの言葉をコピーしてオリジナルだと思っている人を滑稽だと思っている俺が思うオリジナルな言葉って、きっと醜くて琴線に触れる言葉。
いびつなのに何故かよく分からない涙が出るような。
どうして自分が泣いているのかも理解出来ないような。
オリジナルの言葉にはそんな不思議な力がある。
きっと、言葉選びとかどうでもよくて、湧き上がる言葉そのままが琴線に触れるんだと思う。
深夜に文章を書いていると、変なモードに入る事がある。
自分の一部なんだろうけど、あれなんなんだろうね。
自動的に感情のままに指が動きタイプしていく。
ありのまま書くのが心地よくて。
もうひとりの自分がキーボードを介して感情を引き出してくれてるのかな。
だとしたら面白いな。
精神状態が不安定な時って、様々な自分が混線しない?
きっと、残酷な自分も優しい自分も1つの体の中にいるんだよ。
誰もが。
だから、レッテルに違和感を感じるんだろうな。
いい人でもないし、完全に悪い人でもない。
誰もがそうだよ。
その時キーボードを叩いている”自分”をありのまま表現すればいいんだよな。
一貫性なんていらないよ。
瞬間の感情で生きるんだ。
深夜の内面の混線を楽しもう。
変に思われたらどうしようなんて思ってたらこんな事書けないよな。
不思議と、ブログを読まれて変に思われる事は恐くない。
想像力が足りないだけなのかな。
リアルではどこにいっても借りてきた猫なのにね。
なんでどこまでも本当の自分を探してしまうんだろう。
まぁいいや。
長くなる。
この辺にしとこう。
心がまた変な所に入ったら更新するよ。
その時のありのままの自分で。
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