それは好き、それは嫌い。
はっきり物事をいう事は敵を作るということでもある。
誰だって否定されたり拒否されて嫌な思いをする。
俺自身もそう。
否定されたり拒否されたら嫌な気持ちになったり悲しい気持ちになる。
だから相手にそんな気持ちになってもらいたくなくて、相手を否定しない時期があった。
その結果、周りから心配されるほど関わる人間の質が低下していった時期がある。
今は好き嫌いはっきり言うようにしてる。
相手に直接「それ嫌だからやめて。」と。
はっきり伝えるなら覚悟が必要。
相手も人間だ。
「だったらもう関わらない。」という判断をされるのも頷ける。
人が離れていく、去っていく可能性があっても伝えたいかどうか、その答えは人それぞれだよね。
メリットに対してデメリットが大きすぎると感じる人も多いと思う。
あと、これは感覚的な話なので合っているか分からないんだけど、俺と同じ選択をして幸せになる人とそうじゃない人がいるんじゃないかと思う。
俺の場合は人生の命題に直結しているので、こっちの方が幸せになる確率が上がる気がしてるけど、人間の精神レベルによっては、すべてすっ飛ばしてこれやると人が去りまくって孤独になる可能性も十分にある。
俺はもともと自分の考えが明確にある人間だった。
そのうえで人見知りで伝えるのが苦手で嫌われるのも苦手だった。
次の段階として、自分の意見を押し殺し人に合わせまくって一切否定しないという生き方をした時期を経て今がある。
この途中段階があったから、今の判断基準に迷いはないけど、ここを通っていなかったら肯定しまくった方がいいんじゃないかと迷うと思う。
自分の経験からしか確信は持てない。
人の意見を聞いて、それを自分の意見のように軸にしている人を見かけるけど、何がどうなっても自己責任なんよな。
俺から見て、どう見ても今のあなたの現状だったらまずは相手を肯定してみる事から始めたほうがいいんじゃないの?と思うことがある。
その人が求めている事も、きっとそこにあるんじゃないかと。
俺は自分の意思を貫き、嫌いなものは嫌いだと伝えながらコミュニティを生成していってるけど、これ割とハードル高いんじゃないかと思う。
形になるまでが長いし、そもそも俺の本音や性格がこれだから成り立ってるけど、そうじゃない人がやるとストレスでしかないんじゃないかと思う。
実際、長く関わっていた人が去っていく事もあるよ。笑
それでも伝えられるだけ伝えるけどね。
相手を嫌いとか、関わりたくないというわけではなくてコミュニティを作った者が俺で、そのコミュニティで一緒にやっていくなら知っておいてねということ。
だから極力細かいとこまで伝えてる。
そんな小さな事で怒らなくてもいいじゃんっていう事も。
小さな違和感をスルーする事は出来るけど、その小さな違和感を伝えなければ一生小さな違和感をぶつけてくる人と関わる事になるじゃん。
積み重なって相手への不信感になるくらいなら早めに伝えて関わるならやめてと言ったほうがいい。
俺がここ数年、人間関係へのストレスが皆無なのは、変な人と関わっていないからに他ならない。
ストレスのたまりようがない。
関わらないといけないという環境を徹底的に排除してきたから。
自分の居場所は所属するのではなく創設する、クライアントとも本当に合わないという事になれば契約が終わった段階で更新しないという選択をとる。
合わない人とは徹底的に距離をとり、悪意がある人はブロックする。
今からの時代は、ネット上で人と知り合うのは簡単だけど、深めていく事が難しいのでそこに価値が生まれる。
仲良くなる場所に不快な人がいては重要な人物が残れない。
どちらを取るか明確にしておいたほうがいい。
そこに信頼や安心感が生まれるので。
人を肯定しまくれば表面上のコミュニティを形成する事は簡単だろう。
ただ、そのコミュニティの未来はもう見えていて、めんどくさい人を否定出来ない時点で詰んでる。
賑わえば賑わうほど発展すれば発展するほどめんどくさい人の数が増える。
割合は同じでも規模が10倍になったらめんどくさい人も10倍になる。
そしてめんどくさい人の人数が増えた時に起きるのが結託。
しかも、人間的に未成熟な人達の集まりなので最終的には結託した人達の中でも陰口が始まりガチの疑心暗鬼の時期に入る。
そして全てが消滅する。
せめて結託した人達だけでも幸せなればいいのに、もともと関係性を作らせてくれた場所を破壊するような事をしてる集まりなので、同じ事が起きるのではないかという気持ちは拭えなくなる。
コミュニティが崩壊するのはほとんどこのパターンなので、こうならないようにするには、そもそも合わない人をコミュニティ内に残さない事だと思う。
考えが合わないから不穏分子に発展するわけじゃん。
考えが合わない事が悪い事なのではなくて、自分の考えが合わないからといって自分はそこに残りながらもコミュニティを自分に合うように変えようとする事がおかしいと思う。
自分で作ればいいだけなので。
一度出来たコミュニティの中で人と仲良くなるのは簡単だし、成熟したコミュニティが大きくなるのも簡単。
成熟した居心地のいいコミュニティに飛び込んで、そこが自分と合わないから変えようとするっておかしいでしょ。
お前と知り合う前から頑張ってんだよこっちは。ってなる。
自分に対して敬意を払えとは思わない。
ただ、敬意を払えない人と一緒にいる意味なくない?とは思うし、そもそも人に対して敬意を払えないような未熟な人と一緒に何かしたいとは思わない。
俺に対して失礼な人はもちろん嫌いなんだけど、仲間に対して失礼な人も嫌い。
自分の事のようにイラッとする。
昨日今日来たやつが何言っちゃってんだ。って思う。
失礼だと思う事は形式張った事ではない。
形式は正直どうでもよくて、なめてるから出る行動みたいなのってあるじゃん。
そういうのが腹立つわな。
「それイラッとするからやめて。」
伝えた瞬間に本性を出す人もいる。
だから言ったほうがいいんだよ。
伝えてから初めてその人の一部が見える。
どういう反応をするかで人間性が少し見える。
その繰り返しよな。
人はいくつかのタイプに分かれてる。
俺とは全く違うタイプの人が俺と同じ判断をしていくと不幸になる可能性もある。
肯定に特化した方が幸せになる人もいると思う。
俺は自分で作り切り開き力技でなんとかするみたいな場面多いけど、最高の二番手を目指す人は「肯定力」が問われるだろうしな。
俺とは全く違った能力。
人を心から肯定しフォローし自身を持たせる。
最高の二番手を目指す人に最も大切なのは忠誠心だけどな。笑
トップより信頼を集める事になるんよ。
仕組み上そうなるんよ。
これ、誰がやってもある程度人間力ある人ならそうなる。
誰だって、いつも肯定してくれる人が好きよ。
俺は立ち位置的に否定しなければならない場合がある。
そもそもコミュニティの枠組みを決める作業があるから当然なんよ。
最高の二番手の作業は、決められた枠組みの中で肯定していく事なので、表面上否定する必要がほとんどない。
ただ、自分がないわけではなく言う必要がない事を言わないという状態だと思う。
バカではないからね。
そもそもトップと価値観が合ってるわけだから判断基準自体はほぼ同じ。
だからそこに所属するわけだし。
価値観は同じだけど立ち位置が違い、目指す場所が違う。
つまり価値観同じで属性が違う。
これが本当に相性がいいという事だと思う。
価値観と属性が完全に一致してしまうと、同じ座を争わないといけない場面が出てくるわな。
理解出来るし嫌いじゃないし尊敬するけど交われないみたいな事になる。
一緒に何かやるのが難しかったり。
そもそも俺みたいなタイプは自分の活動内では重要な事を譲ったらいけないので、同じタイプの人とはぶつかるのが目に見えてるよな。
俺のスタンスが明確だから、その時点で集まる人の属性もだいぶ決まる。
関われない属性も決まる。
俺は極力純粋に自分のど真ん中を生きるのが本当の仕事だと思ってる。
だから心が広い人達が自然に周りに残ってくれる。
心が広い人達や優しい人達、包容力がある人達じゃないとなかなか長く関われないんだろうなとも思う。
長所は短所でもあるからな。
結果、残ってくれる人は俺にとって本当にあたたかい人達となる。
すごく嬉しい。
量より質。
心から息を吸い思い切り吐ける、そんなのびのびとした関係性の中過ごしていく。
毎日、寝る時と起きる時に感謝の気持ちで満たされるんよ。
これ言い過ぎではなく、本当に。
それがすごく幸せでさ。
今日も幸せでした。ありがとう。
と思いながら眠りにつく。笑
特に何か特別な事があるわけでもないんだけどね。
当たり前の日々を当たり前に過ごせる事自体が幸せなんよな。
何度もピンチを迎えたから特にそう思うんだろうな。
当たり前って尊いよ。
とくに、当たり前だと思っていた事がそうじゃなくなる事が増えてる時代じゃん。
1日1日幸せを噛み締めよう。
先の事は分からないけど、ひとまず今日は幸せでした。というのを積み上げていこう。
それが今を生きるってことだもんな。
先の事を心配しまくるよりも、今日を幸せに過ごす事を考えるよ。
どうせ俺はギリギリにならないと動けない性格だしな。
幸せを感じるのって、経験やセンスだと思うので、「こんな事にも幸せを感じられるのか!」という発見を大切にしながら生きていくよ。
幸せを発見するのは概念を発見するのと同じことだもんな。
「当たり前」に幸せを感じるというのは割と究極だと思うけどな。笑
変わらず関わってくれる人達、本当にありがとう。
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