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役に立てないと価値がないという幻想。 | なおきち思考日記

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自分自身について

役に立てないと価値がないという幻想。

年末最後に全く脈絡のない記事を書く。

俺に何かあったわけではないんだけど、なんとなく直感が書けというので書いておく。

どこかの誰かにとって必要な言葉なのかもしれない。

 

役に立てない=価値がない

と思っていた時期がある。

結論からいうと、全然そんな事はないと今は思ってる。

 

なぜなら、今の俺は別に意識して誰かの役に立っているわけではないからだ。

むしろ、助けてもらってばかりいる。

一人で歩く力(生きるチカラ)が弱いので、助けてもらえている気がする。

 

自分だけでは全てをやりきれない、迷惑なはずの自分という存在がどうして応援してもらえるのか疑問に思う事もある。

もしかしたら、”役に立たない存在”として役に立っているのかもしれないと思った。

 

世の中には助けてもらいたい人と、助けたい人がいる。

俺は意図的にピンチになったりする事は一切ないのだが、あえて飛び込む事はある。

チャンスや自分にとって必要だと思う事があれば、ピンチになろうとも飛び込む。

主に仕事で使いたいツールや機材を購入する時に、金銭的にピンチになるというパターンばかりだけど。

 

俺にとっての課題と不足しているものはいつも”現金”で、それをどうにかする事が使命なのだと思ってる。

表面的にお金が欲しいというだけの話ではなく、人生レベルでの課題が、お金に不自由しなくなるという事を達成する中でクリアされていくというイメージ。

助けて欲しい時に助けてくれと言える勇気、関係性など。

一朝一夕ではかなわない。

嫌なヤツにお金出したくないじゃん。

そういうものでしょ。

 

俺の場合、ありのまま生きながら助けてもらえる存在になるというハードル高い目標設定がされているように思うので、それを目標にやっていってる。

ありのまま生きながらという部分は、価値観や感覚自体を磨いていかなければ変化出来ない。

 

話をもどす。

俺は俺の人生レベルの課題と向き合い、実践しているだけで誰かの役に立つようになっているのだと思う。

これは誰もがきっとそうなんだと思う。

 

誰かの課題の内容によっては、「助けてくれと叫んでいる人を助ける」という使命を持っている人も必ずいる。

その人にとっては、困っている人がいないと困るわけだ。

これは顕在意識のレベルの話ではないし、感覚的な話なので理解出来ない人もいると思うんだけど、俺はそう思ってる。

だから、自分が存在し、自分という存在を全うしているだけで役に立ってる。

 

役に立てない存在というのは、自分の使命や人生レベルの課題と向き合わずに社会性だけを磨いて表面的な生き方をしてしまう人だと思う。

自分の課題と向き合うという事は、必ずしも誰かにとって都合のいい事ばかりではない。

なかなかクリア出来ないから課題なのであって。

 

俺が子供の頃からずっと抱えている「自由になりたい。」という気持ち。

ずっと不自由さや不便さを感じていた。

人並みの生活は送らせてもらったと思っているけど、自分は人と同じではないのだと子供の頃に感じていた。

 

あんなに退屈な学校という場所に毎日行く事について、どうしてみんな平気なんだろうと思ってた。

確かに、休憩時間や放課後や授業が始まる前までは友達と遊べて楽しい。

でも、授業がつまらなさすぎるしめんどくさすぎないか?

純粋にずっとそう思い続けていたので苦痛だった。

 

中学校の時も同じ。

友達は最高だったし部活も頑張ったので、授業中以外は割と楽しかった。

ただ、授業がめんどくさすぎた。

 

高校の時はもっと分かりやすくて、授業が終わる時間に登校したりしてた。

不良でもなんでもなく、単純に気分が乗らなくてめんどくさかったから。

高校は自由な高校を選んで本当に良かった。

普通の高校だったら卒業するの難しかったかもな。

 

ただ、高校はかなりサボったので割と自由も感じられた。

サボって乗る平日昼間の福塩線のガラガラ感がとても好きだった。

 

世間的には駄目なやつだけど、俺の人生的には高校生活はあの感じで良かったな。

授業は相変わらずつまらなかったけど。

 

社会的にはダメダメな高校生だったけど、そんな自分にも友達や恋人が当時からいた。

だから、社会的にどうかと人に求められるかは別の問題というのがハッキリ分かる。

役に立てなくても愛されることもね。

 

いや、無意識のうちに役に立っている事はあるということか。

普通に接するだけで、誰かの心の支えになっている事ってあるよ。

俺も誰かに対してそう感じる事がある。

 

いつも生放送に遊びに来てくれるメンバーとかね。

何気ないいつもの会話に救われる事だってあるよ。

きっと、そんなふうにして知らずしらずのうちに俺達は誰かの役に立ってるよ。

 

 

意識して何かをしなくても、真っ直ぐに相手を思いやって関わっていけば大丈夫。

心からの行動なら。

 

ただ、普段からどういうスタンスで生きているかについては考えなければならない。

俺は嫌われようが好かれようが自分のスタンスを貫くという生き方をここ数年やってきたので、その感じでいいと思ってくれている人だけが周りに居てくれてる。

今の状況になれるまでにたくさんの人が去っていったかもしれない(あまり覚えてないという事は重要な人物ではなかったんだと思う)し、こちらからたくさんの人との縁を切った。

その結果が今。

 

誰かの役に立たなければ自分に価値がないと思い込んでいる人は、無意識に誰かの役に立とうと意識して行動し続けている可能性があり、一旦それを辞めなければありのままの自分で愛される事は難しい気がする。

そして、誰かの役に立とうとする事を辞めた時に、必ずあなたが思う最悪の出来事が起こる。

人が離れていくということ。

考えてみれば当然の話で、自分の生き方を変えるのだから、今までのあなたが好きだった人の中には「こいつは利用出来る(役に立ちたいという気持ちを自分の為に使える)から置いておいたのに、自分の役に立とうとしないなら不要だ。」と判断するひともいる。

でも、そんな人、こっちからしてもいらなくない?

だから切れていい人。

去っていくのはそういう人ばかりなので問題ないと思う。

 

ここで初めて本当の人間関係が見える。

自分が誰かの役に立とうと思って一生懸命やっていると、役に立って欲しいと思ってる人と繋がる事になる。

これは本当に役に立ちたいと思っている人からすれば幸せなことでしょ。

でも、役に立たなければ自分に価値がないと思い込んで、無理に役に立とうとしている人にとっては、蟻地獄にハマるようなもの。

本来、受け取るエネルギーで幸せになる人なのに役に立とうとし続けてしまうと、与えるエネルギーを出し続ける事になるので疲弊する。

 

与える事で幸せになる人と、受け取る事で幸せになる人がいる。

受け取る側の人は、与える(役に立とうとする)事を極めようとするのではなく、受け取る(喜ぶ)事を極めたほうがいい。

人に何かをしてあげたいと思ってくれる優しい人達は、純粋に相手に喜んでもらいたいと感じている心がきれいな人達。

最大限喜んだら子供のように嬉しくなってくれる可愛らしい存在。

 

与え慣れている人達は、表面上の喜びなのかどうなのかも見極められるので、表面上の派手な喜びは逆効果。

本心で喜ぶ必要がある。

本心で喜ぶって割と難しい事だよね。

これを可能にするには、結局自分の内面をちゃんと磨くしか無いんよな。

「有り難い」という事をどれだけ深く実感出来るか。

喉から手が出るほど欲しいという状況を作り出すというのも大切。

 

その点において、俺が度々ピンチになってしまうのは、奇しくもこれを実現してる。

ピンチの状態は不足している物を早急に手に入れないと詰むという状況。

手を差し伸べてもらえたなら、溢れんばかりの喜びと心からの感謝が出るに決まってる。笑

何も考えなくたって、全身が震えるほどの感謝だよ。

そりゃそうだ。

命を救ってもらっているようなもの。

 

だから、人生レベルの課題を向き合い、ピンチを恐れず突き進むという事は必要な人との出会いや関係性の構築を促進するという事なんよな。

安定ばかりを求めて、表面上をなぞるような生き方をしていると、本当に必要な存在がどういう人なのかすらわからない。

 

感覚的に思うのは、与えたいと願ってくれる心優しい人達というのは、精神レベルがかなり高い人達。

人の幸せを自分の事のように感じられる人達なんよな。

だからマジですごい。

神なの?ってよく思う。

すごく純粋で心がキレイなように感じる。

 

だって、自分が持っている物を減らしてでも相手にあげるんよ?重要な物を。手に入れるの大変なのに。

感動するに決まってる。

 

俺みたいに愚かなやつ(笑)は、どんくさくて不器用で心もキレイじゃないので、泥沼でもがき苦しんでる!笑

ザ・自業自得!

その中でも、自分もあんな素敵な人達のようになりたいと思いながら日々前にすすめるように頑張ってみてる。

 

俺が人生レベルの課題をクリアし、本当の意味で自由になったならきっとその時、今度は与える側の人間になるんだと思う。

子供の頃の俺は、今よりずっとずっとケチでさ。

自分の物がなくなるのが本当に嫌だった。

今は、少々のものなら余裕があれば人に奢る事もあるよ。笑

圧倒的におごられることの方が多いけど。

そしてピンチの時は無理だけど。

 

だいぶケチではなくなったという自覚はあるんだよなぁ。

物理的にお金が使えないという状況が多いだけで。

 

いつも助けてくれる人達は、本当全くケチじゃないのがすごい。

かといって、金銭感覚がおかしいわけではなくて節約するとこは節約しとんよ。

その上で助けてくれたりする。

無駄遣いはしないけど、必要であれば支援するよっていうスタンスってめちゃくちゃ嬉しいよね。

そして、その心は本当に尊いなと思う。

 

 

ピンチの時に助けてくれる人がいるかどうか、いたかどうかというのは、人生観にも大きく影響する。

人をどれくらい信じられるかという事にも。

 

ピンチの時はピンチだと叫び、欲しい物がある時は一応つぶやいとく。

やりたい事がある時も同様。

そうすると、時々奇跡が起きる。

人の力って偉大。

もちろん、自分でどうにかする事も多い。

どういう流れであれ、願いが叶えばいい。

喜んでもらいながら自分も最大限喜べる人生がいいな。

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