精神的に不安定になりだすと、同時に感性が呼び起こされる感じがある。
青い深い海の真ん中で、まるで胎盤の中で丸まっているような格好で漂っているような気持ちになる。
防衛本能か。
心が保てなくなりそうになった時に、きっと人は脳内で様々なイメージを作り出す。
その一部が映像として美しいから感性が呼び起こされるのだろうな。
変な薬やってるわけじゃないよ。
あ、お腹壊して正露丸は飲んだよ。
でも、正露丸は精神に影響を与えていないと思うよ。
ここ数日、どうも不安定でね。
自由度が下がったり、今後来る可能性がある自由じゃない日々を想像するとくたびれる。
フリーランスなので、全て自業自得。
潰れてしまったら全て潰れる。
潰れる事は今の所ないとは思ってる。
そして、ガチで潰れた事は今までないと思う。多分。忘れてなければ。大丈夫だと思う。うん。
普通の人が普通にこなすような事でも、マジで地獄のような気持ちになってしまう時がある。
やりたい事以外は一切やりたくないんだ。
自分の本心は、どれだけクソでもちゃんと認める。
じゃないと、脳がね、その考えを見えなくさせちゃうんだ。
だめじゃん、そんなの。
苦しくても、自分の感情だ。
自分の一部だから。
理解されなくとも手放した方が楽でも。
自分を構成する要素がそう叫ぶなら、それは大切な直感であり感覚。
何も考えない方が楽な時もあるよな。
乗り越えられないと思った時、一時的に感情を他人事のようにする事がある。
よろしくないんだけどね。
本当になんでもない事が辛いんだ。
ただ、甘えてるだけだろ?
そう思われても仕方がない。
それでも動けなくなる時があるんだ。
何も喋れなくなることだって。
心の中ではこんなにも言葉が溢れているのに体外に排出する事が出来ない。
生み出せない。
あ、そういえば失語症ってあるな。
分かるというと、本当におこがましいとは思うんだけど喋らなきゃと思ってもしゃべれない時がある。
不思議だね。
喋ったほうが自然なのに喋れない時あるね。
どれだけダメな自分でも、自分自身は受け止めて否定しない。
その上で共に成長していく。
そう、自分自身に対していつも思ってる。
誰も甘やかしてくれなくても誰も理解してくれなくても、自分自身は最後の最後で絶対に自分自身を見捨てないし置いてけぼりにしない。
そう決めておかないと、自分のダメさ加減や最低さに潰れてしまいそうになる事がある。
どんなにダメでも最低でも、今そうなら、そうなんだよ。
こういう事を考えている時、青い海のど真ん中で漂っている気持ちになる。
日常の全てを置いて、キーボードを叩いている自分は、なんなんだろ。
全部全部、許さなきゃ生きてなんていられないよね。
自分でね。自分だけはね。
呼吸を整え、深呼吸。
入れ物の中身はいつだって子供。
ビックリするくらい。
何も我慢が出来なくてわがまま。
だけど、少しだけ変わったのは、大好きな人達の幸せを心から嬉しく思えるようになった事か。
昔は、自分の事しか本当に分かっていなかった。
誰かの幸せは誰かの幸せで、そこには明確な境界線があり、「自」と「他」は別物。
今は、共通の領域があるのを感じる。
きっとこの感情は猫ちゃんがくれた。
どの猫ちゃんも、いつもお腹いっぱいでいじめられずに温かい毛布にくるまって快適に眠れたらいい。
優しい人にご飯をもらって嬉しそうに甘えて、あとは自由時間。
そうだったらいいなと心から思うようになった。
だから変な話、猫ちゃんに優しくしている人を見ると、心の中で本当に”ありがとう。”とつぶやく。
お前誰だよ。笑
関係ないだろ。笑
猫ちゃんに優しくしてあげてくれてありがとうと思う。
人間に対しては、全ての人間にそう思えることはないな。
猫ちゃんの方が上だな。
気に入っている人達には思えるよ。
俺がどれだけ苦しくてお腹が空いていても、”幸せで居てくれてありがとう。”と、人知れず思ったりする。
妬みとかそういうのはまったくないよ。
お前だけ贅沢しやがってとかもない。笑
あたりまえだけど。
全ての存在は、幸せになるために存在しているね。
自由に自分らしく生きるために存在していると信じてる。
だから俺は自分が幸せじゃないと思う事は本当になくなってきたけど、自分らしく自由に生きられないと涙が出てくる。
そして深い深い海のそこにゆっくりと落ちていく。
気がつくと、高周波の音が鳴っている気がする。
そんな感覚。
精神的に不安定になるとさ、文体に出るようになってくる。
最初に言っておくけど、多重人格に憧れている厨二病のイタイおっさんじゃないからな。笑
本当に感じている感覚を書いているだけ。
今、それが出てきてる。
若い時は、この状態が多かった気がする。
なんだか難しく美しい日本語を使いたくなったり、必要以上に荒々しくなったり様々。
きっと、複数の自分が体の中で確立されていってるんだろうな。
それは悪い事なのかな。
別にそれはそれでいいと思う。
そうしたいならすればいいね。
いつだって俺たちは自由だ。
”そう”なるなら、きっとそれは必要なことなんだよ。
鬱もそう。
きっと、必要だからそうなってる。
俺は多分鬱ではないけれど、デフォルトでこんな調子だから、相手がどういう感じでも関係ないよね。
理解が難しいと感じた事はない。
配慮が足りなくて申し訳なく思う事はあるけれど。
人との距離感を間違えないから、そこもいいのかもしれない。
どれだけ親しい人や大好きな人でも一人の時間は必要だと思うし、気分だってあるでしょ。
人にやさしく出来ない時だってあるでしょ。
それらを一歩引いて考え、思いやれるのは適度な距離感があるからだと思う。
前も書いたけど、俺は鬱に関しては、何も制限なく自由にし続けたら治るんじゃないかと直感で思ってる。
そういう直し方ってあるのかな。
分かんないんだけど、たくさんたくさん願いを叶えていったらいいと思ってる。
小さい事から。
やりたい事がなくなっちゃう人もいるのかな。
やりたい事がない人はどうしたらいいんだろう。
無理にひねりだすのも違うもんね。
”何もしない”をすればいいのかもね。
なんだっけ、これ。
ムーミンだっけ、プーさんだっけ。
確かプーさんかな。
”何もしない”をしているんだよみたいな言葉あったよね。
その考え方好きだよ。
俺も、何もしないをする時あるよ。
おすすめだよ。
動けなくなっちゃった時、強制的に何もしないをする事になるんだけど。笑
それでいいんだよ。
どんな時も、そうなっちゃったなら、それは必要な事なんだよ。
あ〜、必要なんだなって。
よくわかんなくても受け止めたらいいよな。
後から分かる事もあるしさ。
人は好きな事をする為に生まれてきた。
自由気ままに生きるために。
だから、何をしてもいいし何もしなくてもいいんだよ。
それが許されない環境で、違和感を感じているなら少しずつ変えていけばいい。
もちろん、変えなくてもいい。
全部自由だから。
何をしなければならないという事もないし、何もしなくてもいい。
そんな自由が本来俺たちには備わってるんだ。
俺と感覚が似ている人なら分かるよね。
こんな奇特な人ブログを読んでる人は変わってるよ。笑
誰も読んでなくても書くけどな。
自分の心を整える作業は、きっと、誰かの心も救うと信じてる。
自分自身を救う作業は、そのまま誰かを救う事になる。
だって、自分と誰かの間に本来境界線はないから。
自分自身への言葉は誰かに刺さることだってある。
だから無理に誰かに問いかけなくても、苦しい自分がいるなら自分に問いかけているだけでいい。
感受性の高い人は、俺が癒やされていくさまを見るだけでその人も癒やされていく。
猫がお腹いっぱいになって快適に眠っているのを見ると幸せな気持ちになるように。
人には、本来そんな優しい心がちゃんと備わっているから。
信じてる。
猫ちゃんがゴロゴロいう機能。
あの音を聞くと人も癒やされるっていうよね。
喜んでいる事を伝えるあの機能は神がかっているよ。
とても好き。
いつもそっけない猫ちゃんでも、甘えてみたりゴロゴロ言ったりする事で愛されるでしょ。
常に”ツン”は辛いでしょ。
いくら美しくても。
高嶺の花になっちゃう。(どれだけ崇高してんだ。)
”デレ”があるから、意識してもらえて光栄という気持ちが生まれる。
猫ちゃんって本当に完璧な生き物。
その存在がたくさんの人達を癒してる。
本来、人はその機能を持っているはず。
もっと高度な言葉が話せるがゆえに喧嘩になっちゃう事もあるけれど。
やはり、猫ちゃんくらいが一緒にいて楽で快適だもんな。
ちょうどいいと思う。
猫ちゃんと一緒に住んでいる人はとてもうらやましい。
誰にも理解されないとふさぎ込んでしまう事もあるね。
そんな日があってもいい。
全部全部、やりたいようにやったらいい。
そしたらあとは自然に関係性も何もかも出来上がっていくから。
ブログで書いていて、これは自分に言ってるのか誰かに言ってるのか分からなくなる事がある。
これもどっちでもいいんだよね。
何を感じても感じなくてもいいのだから。
ただただ、青く深い海の中をうずくまって漂っているイメージが今も続いてる。
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