新型コロナが蔓延すると、どうしても実際に会ってコミュニケーションをとる事が感染リスクになってしまう。
俺の場合は、普段からそんなに出歩かないので困ることは無いんだけど、基本的に会ってコミュニケーションを取っている人にとってはストレスが溜まるんじゃないかと思う。
ネット上では、めんどくさい人達がたくさんいて普通にコミュニケーションを取りたいだけなのに邪魔をしてくる。
批判的な人や人の事にまでとやかく言ってくる人とは本当に面倒くさいと思う反面、関係を切ったりブロックするのが恐いという人もいると思う。
俺が活動の中で作り出してる空間は、こういうめんどくさい人達を一切排除した空間。
完全にオープンな場所で発言を制限する事なんて出来ないけど、グループの中なら出来る。
だからネガティブな発言を繰り返す人や、批判的な人とは関わらないという判断が出来る。
俺がそういう判断を下せば下すほど、同じタイプが嫌いな人にとってはメリットであり快適になっていく。
なかなか人の発言について、細かく「それやめてくれない?」って言うのは難しいと思う。
でも、実現してるのが俺の活動でありコミュニティ。
そこが明確な強みになってる。
様々な考え方がある中で、俺は俺個人の感覚や価値観に特化する事にした。
それが好きな人は残り、嫌いな人は去る。
シンプル。
この状態が基盤にないと、一般論を飲み込まなければならなくなる。
一般的な正解と俺の中での正解が違うなら、俺は俺の中での正解を取るので独自の発展が出来るという事。
当然、理解されない事もあるだろうし、変人扱いされる事もあるとは思う。
もともとまともな人間ではないので、多分普通の人よりそういう事に関して鈍感なんだろうな。
自分が一番普通じゃないという事を自覚してるもんね。
客観的な視点と主観をどちらも持つことにより、必要な時はバランスを取ってるけど、本当は主観だけしか必要ないんだと思う。
社会性がないと暮らしていけないからそうやってバランスを取るけど、本来社会性なんてない人間なんよな。
角が立たないように出来るだけ相手を肯定する事を意識していた時より、今の方が自分らしく生きられているしこだわりを持ってもらえていると思う。
当然といえば当然。人に嫌われないようにするという事は、空気になるという事に近い。
人というのは癖があるもの。
その癖を出してしまえば嫌われる事もあるけど、同じ数だけ好かれる可能性もある。
この癖の部分には一貫性を持つ必要があり、なんか時々天才肌を気取って相手によって変化させてる人いるけどそういう人は大体見事に”嫌い”ばかりが集まってる。笑
本来、好かれる事もあれば嫌われる事もあるはずなのに、嫌われる事しかない人って、その都度対処する度に対応を変えて見事に嫌われる選択肢だけを取っているという事なんよな。笑
物事には両面あるから、裏が好きな人もいれば表が好きな人もいるので嫌われ続ける事の方が難しいはずなんよ。
世の中には変わり者もたくさんいるので、例え少数派の意見を持っていたとしても、誰とも分かりあえないという事はありえない。
この事については本当に考えた。
俺は嫌われる可能性の高い人間だという自覚があるので、しっかり自分の中で考えておかないといけないと思ったから。
俺は好かれる事もあれば嫌われる事もある。
でも、嫌われる事が圧倒的に多い人を見かける度に、俺も周りから見るとあんな感じなのかな。。と思うとちょっと恐くなった事がある。笑
違いを探した結果、嫌われまくる人は対処療法の悪いバージョンみたいな事をやってる事に気付いた。
本当に見事に嫌われる選択ばかりしてる。
すごく優しい人に対しては変なマウントを取ったり押し付けたり。
それが迷惑になっている事に気付いていない。
でも、強い立場の人間には必要以上に媚びたり。
強い立場の人間は、そういう下心は簡単に見透かせる人が多いので「なんだこいつ。気持ちわる!」って思われて終わる。笑
常にありのままの自分で普通にしていたなら、フラットに接していたならその方が好かれるだろうなぁと思う。
好かれようとして嫌われてるパターンが多いのかな。
勉強したり努力して本を読んだり著名人のSNSをしっかりチェックしてるのに、上っ面だけ取り入れてまるで自分が考えたかのように著名人がいいそうな事をいうので、そこも嫌われるポイントなんだろうな。笑
あれは、”誰が”言ってるのかが大事であって、そのへんの人が言っても響かないよ!笑
様々な経験をして結果を出したストーリーがある人がいうから重みがあるし伝わるんだと思うよ。笑
どれだけ言葉を真似ても仕草を真似ても、それが偽物なら簡単に見透かされる。
そして信用できない人という判断をくだされるんよな。
こういう事を何度か俺直接この手のタイプの人に伝えた事があるんよ。
でもやっぱ無理だったな。
まぁ俺の人生じゃないし、その人はその人で幸せなのかもしれないし、いっか。って思った。
俺が思うベストと、誰かが思うベストって違うしな。
ただ、そのままでは関われなくなる可能性もあるなぁ。。とか思うと、なんだか切なくてね。
俺は快適に関われる人としか関わらなくなっていってるから。
きっと、幸せになる方法はあるのにその選択を人はしないんだろうね。
俺もそういうとこあると思う。
もっとすごい人からすれば、勿体無い、こうしたらいいのにとか思われるかもしれないけど、好きなようにやるもんな。笑
俺は自分で気付きたい。
ダメなとこも何もかも。
時間がかかっても。
人に言われても自分の中で響かなければ変われないよ。
だから、一旦いいとこも悪いとこもある自分で生きてみてる。
いい感じに最適化されてると思う。
人間関係ね。
等身大の自分で関われる人、本当の自分で居ても関われる人というのは安心する。
本来の俺は、嫌われるかこだわりを持ってもらえるかの2択の人間だったはず。
だいぶ取り戻せたと思う。
この5年くらいで。
95%の人が俺の目の前から去っていっても、5%の人がそばに居てくれるなら十分だ。
多くなくていい。
心から楽しく共に生きたい。
本題に戻ろう。
オンライン上での快適なコミュニケーションは重要になっていく。
外に出られない中、家の中でコミュニケーションを取っていくようになるから。
快適なコミュニティに属していない人は、外部の批判的な人の言葉に疲れてしまうだろう。
他人の悪意ある言葉が飛んでくる中で楽しむ事なんて出来ない。
経験上、災害など人々の心が不安になるタイミングでは、人は批判的になる。
分かりやすく。
この感じがすごく嫌い。
普段、快適なグループ内でも変なコメントが出てきやすくなる。
俺は容赦なくそういう人達を退会させていく。
ブロックをする事もある。
人を批判して自分の心を癒やしてんじゃね〜よ。
相手も不安なんだろ。
他人を不安の渦に突き落とす事で自分の心を紛らわせるやつなんか俺のグループには必要ない。
お互い様だろ。
不安なのは。
だったら、そんな時は何が不安なのかをみんなで話せばいいじゃん。
そしたらみんな同じなんだなと思える。
そして落ち着きを取り戻す。
プロセスが違うだけで結果が同じなら、こっちのプロセスがいいと思わない?
たちが悪いのは、批判的になってる事に本人が気付いていないこと。
マジでそういうの嫌い。
しょうがないんだけど。
いや被害者出るしな。
落ち着けと。
そういうときこそ。
マジでネット上そういう人で溢れかえるので、制御出来るのはグループの中だけだと思う。
しかも、普段から考えをしっかり伝えているメンバー間じゃないと成立しない。
だから”有事の際”の前に関係性は作っておかないといけない。
オンライン上の快適な空間の価値について、まだきっとみんなピンときていないと思うけど、俺はもっと高いレベルで快適な空間を作りたいんよ。
そうするにはハードルが必要。
総合的に考えて、ちょっと前に提案した支援型クローズドコミュニティね。
あれが最終形態だとは思ってる。
まだ早すぎたようだけど。
日々、積み上げていく。
ゲームはコミュニケーションを取るのに本当いい。
軸として、俺が生放送をし、そのチャット欄でみんなでコミュニケーションを取る。
それを繰り返してる。
快適にゲームをする事は、快適にコミュニケーションをとれる場所を作るという事でもある。
だって、生放送の内容はゲームじゃなくてもいけるはずだから。
今、ローカル系の簡易的な動画を作っていってる。
そこからローカル系のメンバーにYouTubeを見てもらえる流れを作れたら良いと思ってる。
最終的にはね。
そのために、グループに関連する動画の作成を検討してる。
以前作ってたんだけど。
今やってる、写真について喋るあの動画のパターンで色々作るといいと思う。
以前言ってた”ブログを書くように動画を作る”というコンセプトとしてはすごくいい。
あとは、それを見てもらえる習慣をつけていくと、YouTubeメインのゲームの活動とFacebookメインのローカルの活動がYouTubeで合わさる可能性がある。
FacebookはFacebookで必要だけど、YouTubeを見てもらえる習慣が生まれるとその流れが大きくなっていけば実質的にGoogleが広告料を支払ってくれて支援してくれるみたいな流れになるじゃん。
動き出しにパワーが必要だけど、そんな事をちょっと考えてる。
あと、気になったものはなんでも気軽にちょこっと動画にしてアップするようにしていくと無駄がない。
まだ生放送外で喋るという事になんか抵抗が残ってるけど、これを消していくと強い。
快適な空間を作る。
その基盤を作る。
ほとんどお金にならないような作業が続くので恐いけど、一度そこを通らないと無理だろうから通ろう。
ピンチは必要以上に恐れたら効率が悪い。
俺の場合、基盤を作ろうと思ったら目の前にある事を片っ端からやっていくしか無いんだと思う。
優先順位とか関係なく。
優先順位を考え出すと、「今これやってる場合じゃないしなぁ。。」とか思って結局何も出来ずに終わるから。
自分の性格と相談しながらやろう。
今日、今この瞬間にやりたい事をやるという積み重ねでいく事しか俺には出来ないんだと思う。
そういう人間なんよな。子供の時から。
そうしよ。
本当不器用すぎてもどかしいけど、何度も動けなくなってしまった事があるのでよく分かった。
体が動く事をやる、動かない事は極力やらない。
そういうことだな。
必要かどうかは考えるけど、不要かもしれないと思いながらも体が動くなら飽きるまでそれをやるしかないんだな。
変な人間だよね。
でも、恐らく人間は本来そういうものなんじゃないかなって思ってるよ。
その瞬間にやりたい事をやる。
その積み重ね。
そうやって生きていくのって計画性はないけど気持ちいい。
死ぬ時に後悔しにくいと思う。
あっという間にピンチになって苦しむ事になるのは分かりきってるけど、俺みたいに馬鹿なやつは選択肢なんかないんだな。
だとしたら、いい意味で諦めて本能のままに生きるのがいい。
突き抜けろ。
なりふりかまわず。
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