支援してくれる事で俺が近場の旅に行くという、俺得でしかない旅に行ってきました。
今回依頼があったのは走島と鞆の浦のピザ。
天気予報とにらめっこして、一週間くらい遅らせたかいがあって天気は最高。
なんとか予定よりちょっと遅れるくらいの感じで仕事を終わらせて家を飛び出る。
鞆の浦から走島にフェリーが出ているので切符を買ってバイクごと乗船した。
走島は鞆の浦から25分の場所にある小さな島なんだけど、いつでも行こうと思えば行ける距離なのに自分の力で行ったのは初めて。
もしかしたら、小さい時に親と一緒に釣りとかキャンプとか海水浴に行った事があるかもしれない。
子供だったから覚えてない。
とりあえず事前に御飯食べれそうな所をチェックしていってたんだけど、よくわからなかった。
民宿みたいな所も営業してるのかどうなのか分からないところがあった。
海がすごくキレイで撮影した。
フェリー降りて向かって左の方の道を真っ直ぐいくと海岸があり、その先はゆるやかに行き止まりになる。
フェリー降りた所から見て向かって正面方面に行くと、すでに廃校となった中学校と小学校があった。
その先に小さい商店があったので入ってみると、おばちゃんが店番をしていた。
話を聞くと、今はもう学生くらいの年代の子がいないから学校は閉鎖されたらしい。
昔は1クラス30人ちょっといて学校には160人くらいの生徒がいたといっていた。
賑わっていた時代に思いを馳せた。
学校から近い商店なので、きっと子どもたちもいっぱい来ただろうな。
その後、小さい神社に行ったくらいで旅人が見るような所はほとんどなかった。
天気が良かった事と、バイクで行ってたから俺は楽しめたけど、ふら〜っと行って行きあたりばったりで歩いてたら何かあるだろみたいに思うとやばいと思う。
海岸あたりは電波が3G回線になってしまったり、フェリーも大体3時間に1本くらいの感じ。
だから大幅に時間があまっちゃったので防波堤の所で人気がなかったので横になってみた。
寝転んで青空を長時間見るなんて何年ぶりだろう。
ものすごく幸せで、ものすごく豊かな気持ちになったよ。
とても贅沢だと感じた。
何をやってもいい、どこに行ってもいい、だけどコンビニすらない不便さが不思議と心地よく感じた。
「あ〜。何もやらなくていいんだ。」
何もやれない状態に自分の身を置くというのは、本当の意味で休む事になるのかもしれない。
ただただフェリーを待つ為に空を見上げて考え事をする。
人間らしくて好きな時間。
その防波堤では電波は入ってたんだけど、逆にスマホを見る事が勿体無い気がして必要以上に見なかった。
目を閉じるとトンビの「ぴ〜ひょろろろ」という鳴き声、どこからともなくきたショベルカーの作業音、カラスの鳴き声、時々通る地元の方のバイクの音。
秋のカラッとした風とあたたかい太陽の光。本当に贅沢。
島を走ってる時の金木犀の香りも印象的だった。
この時期に来れてよかった。これもすごく贅沢。
事前に、走島では商店が少ないというのを調べていたので念の為お菓子を持っていってた。
でも、積極的に旅先でお金を使うべきだと思ったので商店でジュースとパンを買った。
坂道を三ツ矢サイダーを飲みながら歩いていると、まるで昭和の時代にタイムスリップしたような気持ちになった。
新しい建物なんてなくて、錆びた空き缶が転がっていたり至るところにバイクや車が適当に停まってる。
島は公道ではないからナンバープレートもヘルメットも不要らしい。
なにそれ素敵。
子供の頃はコンビニが今ほどはたくさん無かったし、個人商店みたいなのがまだあった。
大体おばちゃんがやっていて、ガラガラっと引き戸を開けると奥から出てくる。
あの感じが懐かしかった。
不便だった時代も、それはそれで工夫してやってたよな。
不便だからこそ生まれる時間もあるんだよな。
無駄ではないんだなと思ったよ。
楽しめる感性があるかどうかの話なだけで。
大人になった俺は、暇を楽しめる感性が養われていたよ。
子供の頃は退屈に耐えられなかった。
そういえば、久しぶりに「暇」だと思ったな。
普段、何もやっていない時間も暇だとは思わないもんな。
コンテンツやエンタメが溢れていて、いくらでも消費出来ちゃうから。
暇になんてなりっこないよ。現代では。
スマホを見る事が勿体無いと感じたあの感覚。
島特有だな。
暇な自分を楽しもう、考え事をしてみよう。って。
帰りのフェリーではいい感じに日が傾き、雲の隙間から神々しい太陽の光が見えた。
またどこかで写真をアップすると想う。
鞆の浦に戻って石窯ピザの店に行った。
鞆の浦にフェリーがついたのが16:25で、ピザ屋さんラストオーダー17:00だったので焦ってたけど16:40前にはついた。
女性数人のお客さんがいた。
海を見ながら本格的なピザが食べれる。
嬉しい。贅沢。
正直、ここでもピザだけでいいかなぁ。。って思ったけど積極的にお金を落とす事を意識してセットにした。
サラダとドリンクがついた。
本当に美味しかった。
海の家のような建物と立地。
来るきっかけをくれた方に本当感謝した。
また後日、閉店時間の関係で行けていないところに行く予定。
本当幸せな一日だった。すごい。
お金がお金以上の価値があると本当に感じた。
俺が想像しているお金の大体これくらいみたいなのを軽く超える経験。
お金って使い方次第なんだなぁ。
勉強になったんよ。
お金の使い方で人をガチで幸せにしてる人が存在する。
マジですごいと思う。
幸せにしてもらった側の人間だから実感。
しかもこれ、依頼ではあるけど仕事という感じではないんよね。
支援に近い依頼。
お金出すから様子見てきて、ストレスかからないようにでいいよみたいな。
そんな依頼出せる人って本当すごくね?
普通さ、「これくらいお金払ってるんだから、絶対にこことここは行ってよ?ちゃんと忘れないようにして?」みたいな言い方されても文句言えないじゃん。
俺、報告する時に「時間余ったから横になって空見上げて幸せだった〜。」みたいな報告してたんだけど、よく考えると人の金で行かせてもらって横になってんじゃね〜よ!って話よな。笑
ここのノリのすり合わせが済んでるから実現してるんだと思う。全く義務感なくやれて、しかも本人に今日行くとか言わずに天気予報ばかり見てた。
今日行く事にしたと伝えたのは走島のビーチ。笑
これ、信頼関係があるから出来る事だよね〜っていう話をした。
あ〜、幸せな一日だった。
生きてるとすごく感じた。
自分らしさを感じた。
自由を感じた。
こうあるべきだよなって。
今回は、支援してくれた方のおかげで成立してる。
活動に集中出来るようになれば、こんな素晴らしい日も増えるだろう。
遠方だから行けないとか、体力的に行けないみたいな人が他にもいるかもしれない。
その人達の目となり足となり感じた事を写真と動画と言葉で伝え、共に創り出す思い出になるとすごく素敵だと思ったよ。
そんなふうにしてほしい、楽しみにしてるという人が増えていくと感謝の循環で回っていきそうな気がする。
今回、この方が依頼をくれた事でまず俺が幸せになり、俺が行った先で積極的にお金を使った方々の生活のたしになった。
俺が行った先々で関わった人達も同時に幸せにしてるのが分かる。
一度お金を使う事で、同時に複数の人達を幸せにしてるんだよな。
善意でお金を使ってもらったから、俺も善意を持って積極的に使おうと思えた。
だから食べ物がリュックに入っているのに商店でパンとジュースを買い、ピザ単品でいい所をセットにした。
ケチろうと思えばバイクも置いて単体で行けば半額くらいで行けた。
お金を使う事がダメな事じゃないんよな。
お金を使う事で幸せになったり生活が楽になる人達がいる。
そういう事をイメージしながらお金を使うということは、とても豊かな心だと思った。
手渡した相手がどんなふうに幸せになるか。
その事に思いを馳せて自分自身が幸せを感じられるという豊かに育まれた心がある方が俺を支援してくれている。
本当に素敵だと感じるし、勉強になる。
俺は自分らしく使わせていただき、思い切り湧き上がる感謝の気持ちを表現する。
どれだけ素晴らしいかという事をこうして書き残す。
お金は、使い方によっては額面以上の価値と交換出来るという事を学んだ。
旅先は、何もないからダメという事でもないんだよな。
求めているならいいし、楽しめるならいい。
一度自分の目で確かめるというのは本当に大切な事だね。
貴重な機会をいただきました。
ありがとう。
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