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「アドバイスは いらない。」と伝える本当の理由。 | なおきち思考日記

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自分自身について

「アドバイスは いらない。」と伝える本当の理由。

よくアドバイスをしようとする人がいる。きっと、求めているタイミングで求めているアドバイスが欲しい時にはありがたいのだと思う。

俺の場合、特殊な人間なので普通の人みたいになんでもかんでもアドバイスに対してありがとうなんて思えない。

ひねくれた人間だ。

不誠実と言われるならそうなのだろう。

 

ただ、俺の感覚を書いておこう。

人は、聞く準備が出来ていない事に対しては耳に入ってこないと思ってる。

 

高校の時に、プログラミングを学ぼうと思ったら学べるタイミングがあった。

あの時真面目に学んでいたら、きっと今すごく役に立っていたと思う。

簿記もそうだ。

あの時、ちゃんと学んでいたら財産になっていたと思う。

 

だけど、あの時学ばなかった自分を後悔した事は一度もない。

なぜなら、あの頃の俺には、学ぶという選択肢自体がなかったからだ。

厳密には、学べる環境や選択肢は目の前にあったはずだが、絶対に選ばなかっただろうから後悔しても意味がないし、もう一度記憶を忘れてあの頃に戻れたとしてもまた同じ選択をする自信がある。

 

その時々の価値観で、選べる選択肢というのは決まってる。

目の前にどんな選択肢があるかどうかではなく、そのタイミングの自分の価値観と照らし合わせてみれば選択できる選択肢が決まっているのが分かる。

 

例えば、お金がないお金がないと思っている俺でも、活動を一切やめて寝る時間以外働けばお金に困る事はないだろう。

ただ、それをやって幸せかということ。

 

選択肢は今も目の前にあって、選ぼうと思えば選べるように思っているけれど、実際はそうではない。

見えない壁があって、自分の意思ではそっちにはいけないようになってる。

 

 

以上のように、準備が出来ていない事に対して人は、その選択肢を取れないようになってるのだ。

 

俺にとって他人から勝手に言われるアドバイスとは、選べない選択肢を突きつけられて、その通りにしなければ真摯的ではないと言われている気持ちになる。

俺はまだその段階にいっていないのに、今目の前でやらなければならないこと、やりたい事が終わってないのに”どうしてそうしなければならないのか”という理由を噛み砕けないまま次のステップに進ませられそうになっている気持ちになる。

 

俺は鈍くさいので、一つ一つの事を噛み砕いてちゃんと理解してからじゃないと次には進めないし、どうしてそうなるのかという行動原理が分かっていないまま上っ面の行動だけを取る事を気持ち悪く感じてしまう。

一つ一つのアクションには理由があるはずで、正当性や合理性等、きっと先人によって洗練されているはずだが自分がその理由を理解出来ていないまま先に進むというのは、なんというか勿体ない気持ちにもなる。

 

例えばゲームをやっていて、あの角にレアアイテムあるよ〜とか教えてもらったとしても、それを自分で見つけ出す楽しみを奪われている気持ちになる事もある。

ゲームって、クリア出来れば何でも良いわけではなくてその過程が大切だと思うから。

映画のエンディングを「こいつが死んであいつが生き残っていい感じになってる女と結婚して終わるよ〜。」とか口頭で言われたら「なんで言うの!?」ってなるのと同じだと思う。

映画のエンディングだけを知りたいから映画を見てるわけではない。

その過程で紆余曲折あるその様を見て、どのように結果に結びつくのか。それが見たいわけで。

 

「ゲームは上手くなる事が目的ではなく、楽しむ事が目的だ。」と俺が言いきっているのは、俺は下手な状態で生放送をする事もよくあるので、アドバイスをくれる人もいるがその全てをありがとうと受け取れないからだ。

結局誰かが言ったその通りにやって、どうしてそうなるのかを理解しないままやったとしても応用出来ないし、つまらないと思いながら練習をしていたら本来の目的の”楽しむ事”が疎かになってしまう。

 

練習をしたいならするよ。言われなくても。放っておいてもするんだ。勝手に。

だから口を挟まないでくれと感じる。だからそう伝える。

 

きっと、相手は親切で言ってくれているんだ。喜んで頂ければ幸いと。

しかし、俺には必要ない。必要であればその時聞くから。

こちらから聞いたら教えてくれたらありがたい。

 

押し付けるアドバイスを受け取らないのに、自分が知りたい時だけ聞いてくるのは都合がいいと感じる人がいるならば、それは視点の問題。

本来、アドバイスをくれようとしたのは善意なんじゃないの?でも、それは押し付けだから必要な時にこちらから聞くのでそしたら答えてというのは、俺の視点からすると相手の労力を無駄にしない配慮であり、自分自身が快適にいられる双方幸せな提案なんだけど。

 

これでへそを曲げる人というのは、善意を自尊心を満たす道具にしていると思う。

本当の善意なら、相手が最適なタイミングを教えてくれたから「ありがとう、その時にするね。」となる。

そうならないのは、「せっかく教えて”やろう”としたのに。。」という上から目線が入ってる。

 

だから、基本的には臆することなく不要なアドバイスに対しては不要だと伝える。俺が快適ではなくなるので。

人に理解されない事を恐れてはならない。理解されない事を恐れた瞬間に、関係性というものはこじれていく。

 

本当の関係性というものは、こんなことでは壊れない。これで関係性が壊れたり去っていくような人であれば、それまででしょ。

遅かれ早かれそうなるよ。言いたい事を言えずストレスになっていき消耗していく。

 

相手がアドバイスを善意でしてくれているなら尚更、不要なら不要と伝える。

自分の行動には理由があり、目的がある。

 

楽しく快適に過ごす事。その上でみんなで”お互い様”という事を意識しながら楽しむ事。

大前提として自分が快適で楽しめる状態の上に関係性は構築していかなければ、土台を間違えるとその上に何を積み上げても不幸になるでしょ。

 

譲れない部分は譲らなくていいんだよ。

わがままでも自己中心的でもいいんだよ。

理解されなくても人が離れていってもいいんだよ。

 

自分自身が、自分自身の一番の理解者で在り続け共感しているなら、きっと平気だ。

自分自身が共感出来ない自分自身になってはいけない。

 

本当は楽しみたいのに。という気持ちを抑え込んで、大人ぶった自分を演じた時、内面にいる子供の自分は泣くでしょ。

そして大人を演じ続けなければ成立しない関係性が始まる。

 

内部とも外部とも。

 

そこに幸せはないだろ。

己の中に確固とした”自分自身”が存在しているなら、本当の意味で最後の最後まで守ってあげられるのは自分自身でしかないんよ。

 

生まれた瞬間から、死ぬその時まで一緒にいられるのは親でも友達でも恋人でもなく、脳内で対話している自分自身なんよ。

脳内で考えているだけなのに、その言葉に涙が出る事があるでしょ。

それってよく考えたらおかしくない?

どうして自分自身の言葉なのに涙が出るの?

あれはもうひとりの自分の言葉だと思ってる。

 

どうしてそう確信出来るかというと、自分の体を自分でくすぐっても、くすぐったくないでしょ。

でも、他人からくすぐられると、くすぐったい。

 

どうしてくすぐったいかというと、想像の出来ない動きを他人がするからでしょ。

自分で考えて自分の意思で動かすと、どう動かすか分かるからくすぐったくない。

 

本当に脳内で考えている事が、自分ひとりの声ならば、涙は出ない。

だって、くすぐったくないのと同じで自分が脳内で考える事は想像出来るはずなので何も反応しないはずだから。

 

反応するという事は、自分自身で自分自身を感動させられたり楽しい気持ちにさせられるということだ。

実際、意識して幸せを噛みしめるようになって幸せの数が増したように思う。

 

以上の事から、自分自身の中には客観的な自分自身と本来の自分自身がいて、必要に応じて出てくるのだと思う。

同じ声だから気付かないだけであり、概念として無いから気づいていない人が多いだけだと思う。

 

どんなしょうもない自分自身も、本当の自分自身なのであれば一度愛でればいい。

どうしょうもない部分であればあるほど、他人に愛でてもらうのは難しいでしょ。

だからまず自分自身で愛でればいい。

必要じゃなくなれば、意識から無くなっていく。

 

辺に、駄目な所だと認識して持ち続けてしまうと、逆に長い間考える事になると思う。

アドバイスが不要という事に関しても、世間的には不誠実だと思われるだろうなぁと思いながら口に出してる。

 

客観的な自分は、弱い内面の子供の自分を容赦なく攻撃するでしょ。

普通は従っちゃうよね。正論ではあるしね。

 

でも、貫いてもいいんよ。

わがままでもなんでも。

覚悟を持ってやるなら、ほとんどの事は許容されると思ってる。

 

一番癖のある理解されない部分に、こだわりを持ってくれるものだとも信じてる。

 

昔から、何故か女性に”可愛い”と表現される事がある。

見た目もゴツいし可愛いとは程遠いのに。

この可愛いという言葉は、猫ちゃんが不細工な表情をしていてもありのままだらけていても可愛いと思うその感覚に似ているように思った。

 

美しさが変異して感じるそれではなく、ありのままの存在の部分、つまり良し悪しを自分で決めずに出す部分にこそ可愛らしさを感じるのではないか。

自分も人にそのように感じる事がある。

ダメ人間が割と好きなんだけど、ダメ人間のどうしようもなく駄目な所が、どうしようもなく愛しく感じたり可愛らしく感じる事がある。

 

世間的には理解されないだろうなぁと客観的に見ていて思うけど、だからこそその隠しきれないダメさ加減が可愛らしいと。

この感情は、男女問わず持つ。男性に対しても可愛らしいなぁと思う。

猫のように見えるからなのかもしれない。

自分に害がなければ人のダメさ加減は割と楽しめる方。

誰にでもダークな部分も駄目な部分もあるでしょ。

 

ありのまま生きてる人は可愛らしいよ。取り繕わなくたって良い。

ありのままいれば、それが好きな人は残り嫌いな人は距離をとってくれる。

それだけの事でしょ。

 

好きでも嫌いでもないと思われる事の方が今の時代リスク。

 

人を可愛らしく感じる女性の感覚は好き。

母性がある。優しい。

 

”その他大勢”に意見を合わせた段階で面白くなくなるよ。

個性を貫いて生きればいい。

その代わり、関われない人が出てくる事だけは覚悟しなければならない。

 

 

アドバイスが不要だと伝えるには、自分なりの理由がある。

理由をこうして伝える事も大切なのかもしれないね。

 

俺は楽しく快適であればそれでいいよ。

人と比べると正しくない事もあるでしょう。

理解に苦しむ事もあるでしょう。

理解しなくていいよ。

全ての事を理解出来ると思ってる事こそ驕りだと思うしね。

 

本当に合う人というのは、理解しようと努めなくても出来るものだ。

もともと持った感性が共感するんだ。

その感覚で繋がれると強い。

 

だから臆することなく世間一般と同じじゃない自分を出していく。

似た者同士に引っかかる電波を発信する。

自分自身の、本当は出したくないどうしょうもない部分にこそこだわってもらえるポイントがある。

偏った考えを出せ。

理解されない事を恐れるな。

 

自分から本質的な部分を出す事で、本質的な部分でキャッチしてもらえる。

うわべをなぞるだけの関係性は脆い。

ガツンと、深い部分で繋がろう。

 

人のどうしようもない部分好きだよ。

抑えきれない欲求や、理性が吹っ飛ぶような渇望など。

生きてる感じがする。

 

人間の動物的な部分に純粋さを感じ、リアルを感じる。

見慣れた表面に興味はない。

墓場まで持っていかないといけないエピソードをたくさん持ってるような人の方が面白いよ。

 

不器用でどうしょうもないけど真っ直ぐな想いを持ってる人に心打たれるよ。

きっと、本当はみんな不器用な部分はあるのに大人の顔をして平気なふりをしてる。

見せて助け合ったほうが早いじゃん。

自分が苦手な事は誰かが得意かもしれないし、逆もまた然り。

 

俺は楽しく快適な場所を作る事に特化してる。

俺の感覚でやるので世間一般とのズレはある。

そこが味だとも思ってる。

 

言語を超えた”感覚”の部分で人と繋がりたい。

その為にこのブログがあるように思う。

深い深い、日常的に話さないような部分をさらけ出す為にあると思う。

 

俺の出来事や感情や感じたことと、シンクロニシティでリンクした人がたまたま見つけて感情が動いたならすごいこと。

だからもっとダークなことや本質的なことや理解されにくい事を書きたい気持ちになってきてる。

 

とりとめのない、とめどない衝動がある。

誰かの心に刺さればいいなとは思うけど、そもそも理解されなくても共感されなくても読まれなくても書くのがこのブログ。

生まれては消える感情や感覚を繋ぎ止める作業。

 

明日には忘れてしまうような刹那の感情を書きなぐる。

このブログは、大体俺が落ち込んでる時に反応がいい気がする。笑

やはり、そういう時の方が言葉がリアルなんだろうな。

 

どうしようもない感情をボクシングのように書きなぐる時間。

自分が殴り続けているような、殴られ続けているような、どちらか分からなくなるあの感覚。

書き終わってシェアせずにそのまま閉じる事もある。

 

5000文字とか書いてるのに公開してないものもいっぱいあると思う。

書いて気が済む。

 

 

 

この辺にしとこ。

今、仕事が減りつつあるから対応しないといけないかもしれない。

なかなか安定させてはもらえないな。

ピンチになったらごめん。

まだなんとかやれてる。

 

お金だけは本当になかなか縁がなくて。

お金の事を考えず自由に暮らしたいなぁ。

 

好きな事を優先してしまうからだろうな。

いつまで経っても苦しいな。

好きな事だけやってたいね。

本心はいつもそう。

隠さないよ。

本当のことだから。

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