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“誰かの問題”に罪悪感を抱えなくていい。 | なおきち思考日記

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人間関係

“誰かの問題”に罪悪感を抱えなくていい。

世の中にはたくさんの人がいて、その数だけ価値観が存在しとるんよな。ふいに、本当に理解し難い人と出会ってしまう事がある。

ひどい言葉を投げつけられて、こちらは何もしていなくても相手は人を選ばず傷つけようとしてる。

その人を救えない事、関係性を構築出来ない事について、自分自身の中にチクリと罪悪感のようなものを感じる事がある。

 

別にその人からしてみると、何も救って欲しいなんて思ってなくて、上から目線で何考えてんだよwwwって話だと思う。

俺も、たしかにそう思う。

でも、本当は出来る事なら分かり合って笑い合えたらとてもいいのになぁって思うよ。

 

無駄に人を攻撃して、その跳ね返りでしか自分の存在を感じられないように見えてとても悲しくなる事がある。

不良ってそんな感じじゃん。

どうしたらいいか分からなくて、悪ぶって、社会にかまってもらって。

 

でも、その時期に何もしていないのに攻撃されて怪我をする人は確かに存在していて、不良の人生の中ではただの一部でしかなくても、攻撃された人にとっては一生の傷をおう事だってある。

人の精神レベルは層のようになっていて、同じ層の人としか関われないように出来ていると思う。

 

俺の目線からすると、子供の時、たしかに攻撃性があり反発する事で自分自身の存在意義を見出したり自分の位置を確認していたように思う。

精神的なレベルが上下で表現される構造なのだとしたら、何か経験するたびに精神的なレベルがあがっていき、過去の自分のような人を見るとどうにかしてあげたい気持ちにはなるよな。

 

あの頃のどうしようもない葛藤や苛立ちを、他人がどうにも出来なかったように、きっとその人達の今抱えている問題や苦しみは他の人がどうこう出来る問題ではない。

その人達はその人達の”現在”を生きていて、かわいそうでもなければそれが当たり前なんだろうな。

 

だから、誰かの未熟さに心痛める事もない。本当上から目線でどうしようもない感覚だと思うけど、そう思うから書いておく。

同じように、俺よりずっと上の精神レベルの人からすれば俺もちっぽけな存在で、関わりたくないと思うような存在かもしれない。

 

経験して学んでいき、同じ精神レベルに辿り着いた人達だけで関わっていくのがいいと思う。

本当に関われない人って存在すると感じたから。

 

人を馬鹿にする事でしか満足感を感じられない人の周りには、同じ精神レベルの人達が集まるけど、結局お互いがお互いをディスるようになる。

人の悪口で盛り上がっているような場所の仲間って、相反する状態が生まれていると思う。

誰かを貶めたり蔑むことで繋がっていく関係は、やがて関係性がこじれた時に仲間だと思っていた人に牙が向けられるでしょ。

 

穏やかな空気感の中、お互い様、ありがとうという気持ちで繋がっている関係は無理がない。

「あの時こうしてくれたから。」と、感謝の気持ちを持って接する事が出来る人達との関わりは宝物だ。

たくさん人がいても、なかなかそういう人達との出会いはない。

だけど、確実にそういう人達と繋がっていけてる。

 

この心の充足感は何物にも代えがたい。

友達がいない人に友達を作って楽しい時間をあげたいとか、優しい空間の中に招き入れてあげたいと思って頑張っていた時期がある。

だけど、精神レベルがそこに達していない人を中に入れても、結局内部崩壊を起こすだけだと分かった。

とても悲しかった。

 

調和が取れていたのに低い精神レベルに引っ張られる人が出てきて一緒に落ちていく人が出てくる。

本来、人はネガティブな事は好きなんだと思う。

だから引っ張られる人の気持も分からないでもないが、関われなくなる事が悲しかった。

 

今は、誰かをどうこうしてあげたいと思うのではなく、自分が自分らしく中心として存在し活動していたら同じ精神レベルの人達が近くに来てくれるので、それを貫く事にしてる。

誰かの問題を自分の問題として捉えたとしても、その問題は本人にしか解決出来ないんだよ。

 

俺がそこに足を突っ込んでも、結局うまくいかない事を俺のせいにされて仲間との関係性も壊され何も残らないという事にたどり着く。

精神レベルが違う人と接する違和感には従っておいたほうがいい。

その人の問題はその人の問題。自分は自分の問題とだけ向き合っていればいい。

そうする中で、同じ精神レベルの人達と結果的に同じ問題をクリアする事に繋がったり、仲が深まっていく。

建設的な関係ってそういうもんだな。

 

誰かの問題を解決してあげようとする事は、一歩間違えたら過保護で過干渉のお母さんのような状態になるのかもしれない。

本人の経験の機会を奪うということ。

 

ただ、混同してはいけないのは、困っている人を助けたらいけないとかそういう話しではなく、精神レベルの違いは明確に違和感として認識出来るものなので、助けたいと思った人には積極的に手を差し伸べるべきだと思う。

同じ精神レベルの人が困ってる事も当然あるのでね。

 

俺はここを徹底していくよ。

ちゃんと関わろうとしていない人とは関わらない。

精神レベルが合っていない人とも関わらない。

 

大切にしている部分にズレがある人とも関われなくなると思う。

幸せになる事に、”量”はそれほど必要ないのだと思う。

心から好きだと思える人達とのつながりが癒やし。

 

優しい世界観でコミュニティを運営していくには、そのコミュニティにいる全員が優しくなければ成立しないんだな。

一人でも合わない人が入ってると、そいつがめちゃくちゃにして台無しにするんだな。

残念だけど、そういう人とは関われない。

 

基本的にはちゃんと丁寧に関われる人とは関わっていきたいと考えているのに、意外と関われる人って少ないよ。

 

相手を攻撃して楽しんでいる人は、いつか何倍にもなってその攻撃が返ってきてしまう。

これは確率論だと思ってる。

一生信号無視を続けていたらどこかのタイミングで車にひかれてしまう感じ。

 

逆に、優しさも確率論だと思う。

一回一回の優しさは、意味がないものに見えたとしても、いつか誰かの心を打つ。

相手の精神的な状態もあるだろうし、マッチした時には相手は涙が出るくらい喜んでくれる事もあるだろう。

相手から優しさを受けるときもそう。

実際、何度も涙を流してきた。苦しい時、辛い時に心から理解してもらって手を差し伸べてくれる優しさというのは、本当に涙が出る。

 

別にスルーされても悪くなんて思わないし、スルーされて当然くらい思っていても、やはり心のどこかで誰かの温かい手を求めているのかな。

自分の中で、求めたら駄目だと無意識に禁止してしまったから顕在意識にすら出てこないけど、涙が出るのは潜在意識でずっと求めていたからなんだろうな。

強がっていても、潜在意識はごまかせない。

 

優しくあたたかい人を尊敬する。

サラリと人に手を差し伸べられる人ってすごいし、そういう人達だけで集まっていったなら気持ちよくお互い様でやっていける。

自然に循環していくのは美しい。

優しさの等価交換を求めると、きっとどこかで歪むでしょ。

 

人を馬鹿にして盛り上がるような場所にはいたくない。

楽しいことっていくらでもあるし、もっとみんなで積み上げていける楽しさがいい。

優しい人達と日々を紡ぐ。

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